気まずい。非常に、果てしなく気まずいこの状況を打破する術を誰か下さい。なんでこんなに空気が重いのか、と云うよりも何でこのメ ンツが揃ってしまったのか意味が分らない。 確率的にはかなり低いはずなのに、どうして私はバッティングしているのかと云うのが一 番の疑問なのだが。運が悪いにも程があるだろう。生クリームを掻き混ぜながら、気付かれないように溜め息を吐いた。スポンジの温度を確かめ、冷蔵室からフルーツを取り出す。こんなにも重苦しい空間でお菓子作りをする経験なんてそうそう無い。後にも先にもこれっきりにしたい、というのが本音だが。もったりとしてきた生クリームに視線を落としてから冷めたスポンジを引き寄せ包丁を入れた。

カップを置く音が静かな食堂に響き、次いでテ ーブルの軋む音が聞える。そちらに目を向ければリヒターさんが立ち上がったところだった。多分、紅茶のおかわりだと思う。ティーポットを差し出せば、一つ頷いてから受け取ってくれた。あの人はあれでいて気の利く人だ。他の人が手の届く位置に置いてくれるはず。

こんなにも逃げ出したくなる雰囲気の中で、こうしてケーキを作り続けられているのはリヒターさんのお陰である。彼がいなかったら私はとっくの昔に作るのを止めて部屋に引っ込んでいたに違いない。だって、怖い。けれど 、知った人がいると安心出来る。一番近い所に座ってくれている彼の横顔を見詰め、止めていた手を動かした。

スポンジにクリームを塗りながら食堂内を盗み見る。彼らはこのケーキを食べるのだろうかと首を捻った。アンジュさんのリクエストで作っているチョコケーキはビターテイストなのだが、彼らがケーキを食べる、と云うこと自体が想像出来ない。しかし、糖分を摂取することは大切なことなので食べる可能性は捨てきれないのだ。一応、もう一品プリンが作ってあるが、そちらの方が良いだろうか。両 方出して好きな方を選んでもらうことにしよう。 両方を人数分用意し、リヒターさんの肩を叩いた。ケーキとプリンを手にし、どちらが良いか交互に示す。少し思案した後、彼はプリン を手に取った。他の人にも聞いてもらおうと目配せすれば、敏い彼は少し離れたところに座っていた方々を呼んだ。

無言の圧力が苦しい。要らないなら要らないと言ってくれ。食べ盛りの子達のお腹に収まることになるだけだから。数十秒間の沈黙が生まれ、空気が止まった気がした。だから何でこの人たちが揃ってしまったのかと、あれほど。 もしかしたら選びにくいのだろうか。それなら 、と小腹が空いた時にちょっと摘めるように仕舞っておいたパウンドケーキとクッキーのセットを戸棚から取り出した。小さな籠に入っているそれを見てリカルドさんが微かに唇の端を上げて席を立った。歩み寄ってきた彼はそのまま何も言わず籠を手に席に戻っていく。これがあることを知っていたのではなかろうか。そうでなかったら今の反応をしないはずだ。何でバレていたんだろう、と云うのはこの際もうどうでもいい。二人分あるそれを、リカルドさんがアッシュ君の前に差し出した。少しだけ眉を動かした彼が黙ったままパウンドケーキに手を伸ばしたのを見て胸を撫で下ろす。気を抜くと座り込みそうになるが、我慢しろ、私。

『たっだいまーって何ここ空気おもっ』
『騒がしいのが帰ってきやがった』
『ミチタカー今日のおやつはなに?あ!アニス ちゃんチョコが良い!!』

明るく元気な声が重苦しい空気を払拭する。可愛いとは言い難いが妙に愛嬌があるぬいぐる みを抱えた少女はまるで弾丸だ。開口一番なにやら顔を顰めて言っていたが、私の姿を捉えたら一直線に寄ってくる。アッシュ君の舌打ちを微塵も気にすることなく、だ。おやつの催促だったのだろう。チョコケーキの乗った皿を取ってにっこり笑った。軽い足取りで席に着く彼女に新しいフォークとカップを用意する。ご機嫌な様子で彼女はケーキにフォ ークを刺した。 残ったケーキとプリンを冷蔵室に仕舞い、アニスちゃんのカップに紅茶を注いだ。それから 、あと一人分が有るか無いかの中身に、新しく淹れなければ、とポットを振った。

『ミチタカ』
「っはい!」
『…そう驚くことないだろ』

初めてアッシュ君に名前を呼ばれた。背中に届いた鋭い声に思わず肩が跳ねて、ポットを落としそうになった。落とさなくて良かった、 とホッとしながら振り向く。カップを少し持 ち上げて、こちらを見る翠玉のような煌く双眸が綺麗だと思った。ほんの少し見蕩れていたが、彼の意図に気付いて残りの紅茶を空のそれに注いだ。最後の一滴まで入れ、本当に空になったポットを覗き込んでから湯を沸かすためにキッチンへ戻った。

タイミング悪く皆が帰ってくるのに眉を寄せる 。これではお菓子と一緒に紅茶が出せない。 どうしてもう少し遅く帰ってきてくれなかったのか、なんて。ただの私の我侭だ。火に掛けられたポットを見詰めながら肩を落とした 。

『今日はなにかしら?』
『ケーキかプリンだよー。ねえシェリア、プ リンにしたら一口ちょうだーい』
『良いわよ。ただし、アニスのケーキ一口と 交換ね』
『しょうがないなぁ』
『でもよぉ、アッシュ達は違うの食ってっけど』
『あらほんと』

今日の食堂は赤髪率が高くて少し目に痛いような。目を擦りながら冷蔵室に手を掛ける。 今来た人たちはどちらを選ぶのだろうか。

『裏メニュー、ということかしら』
『どうやってもらったんだか』
『うるさい。何だっていいだろうが』
『特別、ってやつだ。なあ、ミチタカ』

顔を上げたと同時に呼ばれた名前と、その人に瞬く。不敵に笑うリカルドさんに、訳も分らず反射的に頷いた。別に頷かなければならない威圧感を感じたわけではない。と思いた い。 片手にケーキ、もう片手にはプリンと云う些 か滑稽な私を凝視する複数の視線にたじろきながらも、どちらですか、と皿を上げた。女の子にはケーキ、男の子にはプリンが人気な ようだ。湯が沸いたことを知らせるポットに 茶葉を入れながら、今度は何を作ろうか、と カウンターに頬杖をついた。まだ納得してい ないらしい皆の視線を気にしないふりをしながら。


そんな午後のひとこま



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