外の景色を眺めながら脚を揺らす。与えてもらっている部屋に充満する絵の具の匂いを吸い込んで深く息を吐いた。描きかけの絵をそのままにベッドに腰掛け、変わる外の色を追っていたのだが、段々と飽きてきたのでそのまま後ろに倒れ込んだ。柔らかく受け止めてくれるスプリングに頬を緩ませて何度か左右に転がっていたらドアの方から呆れを含んだ小さな笑い声が耳に届いた。首をもたげ目で姿を確認すれば、艶やかな藍色よりも濃い髪の美少年が腕を組んで立っている。最近よく話し掛けてくれたり構ってくれたりしてくれる子だ。ツンデレ気質のある少年は、大きな瞳を瞬かせドアに凭れるのをやめた。小さく手招く彼に首を傾げたらもう一度、今度は先程よりも大きく手招いた。
飛び起きて靴を履く。上着に袖を通しながら彼の方へ歩いて行くが、朝食の食器を返していないことに気付き、慌てて引き返した。トレーを持ちながら戻ってくる私に、少年は呆れ顔で溜め息を吐くだけ。それから、何も言わずに私の手からトレーを取り上げてしまった。あっという間の事に対応出来なかった私をおいて歩き出した彼の後を追う。
口数の少ない彼といることは苦痛ではなかった。元よりこちらの世界の言葉が使えないので、お喋りな人といるよりは彼の様な人といる方が良い。
ロビーに来た所で掛けられた声に少年の肩が小さく動いたが、足を止める気は無いらしく、立ち止まってしまった私を手招いた。
『リオン!』
『…』
『リオンってば!』
『…ちっ』
(舌打ちするほど嫌なんだ…)
肩を掴まれてしまえば止まるしかない。盛大な舌打ちをもってして不満を示したリオン君は嫌々ながらも振り返った。眩しい程の金髪を無造作に伸ばし、溌剌とした雰囲気を纏う青年が満面の笑みでリオンはの肩を叩く。明らさまに嫌そうな表情の彼は、私を背に庇うように立ち位置を変えて青年を睨み上げた。きょとり、と瞬いた青年が楽しそうに笑うが、リオン君の表情が変わることは無い。その様子に苦笑を見せた青年だが、直ぐに笑顔に戻り、それから、私に視線を寄越した。これまたにっこりと笑う彼はまるで太陽な人だと思った。温かくて優しく、全部を包み込んでくれるような。
『やあ!元気そうだね。今から食堂?』
「…あの、」
『バカかお前。こいつは言葉が通じない』
『ああ、そうだった。忘れてた』
『まったく』
頭に手をやり、しまった、とでも言うような表情をする青年が恥ずかしげに頬を掻きながら目線を合わせてくる。リオン君の後ろに隠れながらも青年を窺えば、彼はどうしたものかと言わんばかりに眉を寄せた。腰に手を当てて首を捻る様子をリオン君の背中越しに見ていたのだが、突然の第三者の登場に思わず目の前にあったピンクのマントを掴んだ。
恐る恐る声の主を見る。スタイルの良い身体。細い手足と綺麗に括れた腰を惜し気もなく晒した女性は、艶のある黒髪を揺らし、大きな瞳を瞬かせながら顔を出した。大きな瞳は何処と無くリオン君を思わせる。ただ似ているだけにしては少し違和感が有るように感じたが、気のせいだろうと視線を反らした。一度そうしてしまえば、リオン君のマントを見詰めて押し黙るしかなくなってしまう。なのでマントの一点を凝視していたが、それを遮るかのように視界に入り込んだ手に肩を揺らした。
2回ほど揺れ、反応が有るか確かめるような素振りに顔を上げる。様子を窺っていたらしいリオン君と目が合う。彼は少しだけ目を細めてから、先ほど加わった女性を顎で示した。示され方に難色を見せた女性だったが、直ぐに笑みを浮かべた。
『あんたさ、なんでまたこんな奴と一緒なの?』
「ええと…」
『他の奴にしときなさいよ』
「え…あの、リオン、君」
『ルーティ、やめろ』
『いっちょまえに騎士気取り?』
『違う』
『じゃあ、なによ』
『まあまあ二人共。彼女が怯えてるじゃないか』
なあ、と頭を撫でて笑いかける青年に微かに頷き、掴んでいたリオン君のマントを弱く引いた。彼らが何を言っているのか何も分からないが、十中八九、問題は私だ。だから早く食堂に置き去りにしてくれ、とリオン君を見る。通じないことは分かっているが、もしかしたら彼が空気を読むことに優れていたら私の考えを読み取ってくれるかもしれない。しかし、普通に考えてそんな事は有るわけもなく、リオン君は首を傾げただけだった。
頭に乗ったままの青年の手に、どうしたものかと目を泳がす。彼が動かさないから、こちらも動くことが出来ない。振り払う、なんて、怖くて出来ないのだ。イヤな顔を出したされたら、悲しそうな顔をされたらどうしよう。そんな考えばかりが頭を占める。考え込む私に気付いたリオン君が青年の手を退かしてくれた。
『過保護だなあ、リオンは』
『そういうわけじゃない』
『その割りにはミチタカに構ってるわよねぇ』
何か面白いものを見付けでもしたのか、女性はにんまりとチェシャ猫よろしく笑いながらリオン君の肩を突ついた。嫌そうに振り払ったリオン君はまたしても舌打ち。彼がこれだけ嫌がっていても、彼らの仲は悪く見えず、寧ろ仲が良いと思えるのは彼らが共に積み重ねてきた時間や信頼し合う思いがあるからだ。それがそう感じさせる。
三人を見詰めて口元を緩める。良いな、なんて思ったりして。そう思ったとしても叶わない事だと知っているけれど。突然現れて、時間も信頼も有りもしない自分には難しいこと。タルトは大丈夫だと言うけれど、本当にそうなのかは確信は無い。確かにこの船の皆はとても優しくて温かくて、よくしてくれるけれど、まだ時間が少なすぎる。それに、もしかしたら明日いなくなってしまう可能性だって無い訳ではないのだ。
けれど、いつか本当にそうなれば良い。その為にも、私も向き合っていかなければいけないのだ。
『行くぞ』
『あ、ちょっとまだ話は終わってないわよ!』
『待ってよ、リオン!!』
リオン君に手を引かれるまま頷いた。後ろからついてくる二人に、横目見たリオン君は少し笑っていた。どうやら彼も満更ではないようで、ほんの少しだけ弧を描く唇に、私は彼の手を引いて意識をこちらに向かせた。この間ジュディスに習ったばかりのこの世界の言葉。まだたどたどしいそれに彼は目を丸くして、それから苦笑した。
『リオン君、楽しそう』
『お前…何処で覚えたんだ』
「??」
『今度はちゃんとした奴に習うんだな』