ことばがたりない
柔らかく差し込む日の光りに誘われて、自然と意識が浮上する。クロノスが此処に居ろと言うからニ・アケリアにいるけれど、理由は聞かされていない。ただ、そこまで言うのは珍しかった。
散々泣いてすっきりしたのか、普段の調子を取り戻したらしいアルヴィンは私を此処へ送ってから姿を消してしまった。何も言わず、ただ赤くなった私の目尻を軽く擦って嘲笑気味な表情を浮かべて。
ほんの少しでも分かってくれたんだろうか、私の精一杯の想いを。全てを話していないけれど、いつか話せる日が来ると良い。
「アルディア、此処にいるのかしら?」
「プレザ?」
軽いノック音の後に開けられたドアの向こうにいるのはプレザで、久しぶりに見た彼女は少し疲れているように見える。美しかった髪は色艶を失っているようにも思えるし、疲弊を滲ませる顔色がとても心配になった。彼女は誰にも何も言わないで抱え込んでしまう節ががある。私にすら言ってくれないのは少し寂しかったりもするのだ。
「貴女に…会いたくて。アルには会った?」
「うん、まあ。また何かあった?」
「少しだけ、落ち着いたように見えたから…気になって。だって貴女達は、」
「私達には何もないよ。あの時から、ね。私からすれば貴女達の方がお似合いよ」
「やめて。アルとはもう何でもないの。あんな人…知らない」
まるで拗ねた子供の様な瞳をしながらうんざりと首を振る彼女に苦笑せざるを得ない。だって、本当は二人とも愛し合っているのに、意地を張るなんて。私の手前、仕方がないかもしれないけれど、私と彼女の仲なのだから素直に言えば良いのに。仮初めだったとしても、幸せな二人を見ているのが私にとっても嬉しくて幸せだったのだ。大切な人達が幸せでいるだけて良かった。それ以上は何も望まない。それが例え偽善だと言われても、本心故に恥じる事はないのだから。
素直になれと言っても、彼女の性格上なかなかそうはいかないみたいだ。つん、と顔を背ける彼女の髪を撫でる。少しだけ恥ずかしそうにしながらも甘受してくれる彼女を、改めて大切な人だと感じるし、彼女の方もそう思ってくれているのだと知る。他人の接触をあまり良しとしない彼女が、はにかみながらも微笑んでいるのだから。
「それで、本題はなに?」
「…本当、貴女には敵わないわ。私、貴女に会えて良かった。あの時に貴女と会っていなかったら今の私はいないもの。ずっと傍にいてくれたこと、私とアルに惜しみない愛を注いでくれたことを忘れないわ。大好きよ」
「それは、別れの挨拶?なんて聞いても、きっと貴女は教えてくれないでしょうね」
「ごめん、なさい」
目を逸らしたプレザを抱きしめる。細くしなやかな体躯は少し力を入れてしまえば折れてしまいそうだ。緩く背中に腕を回した彼女が擦り寄る。
彼女を止めなければと思うが、彼女の想いを尊重したい気持ちもある。二律背反とはこの事か。板挟みな状態に心が揺れる。止めなければいけないんだろう。もう二度と会えなくなってしまう気がするのだ。それでも、私が彼女の意思を縛る事は出来ない。
少し身体を離してプレザを見る。悲しげな色を孕んだ瞳に私が映った。秀麗な顔を歪め、彼女が拳を握ったのに気付いた時には遅く、私は吹き付けられた気体を吸い込んだ。ごほり、噎せる。体内に収めてしまったそれは即効性の催眠効果があるらしく、眠気に襲われ視界が霞む。
私は気付くべきだったのだ。彼女が並大抵の覚悟で此処に来たのではないということを。どうして気付けなかったのか、昔と比べるとだいぶ平和ボケでもしたのか。
「ごめんね」
掠れた声で呟けば、悲痛な表情のプレザが息を呑むのが分かって、それだけ。私は意識を手放した。
一体、どれだけ意識を失っていたんだろうか。嫌な予感がする、とクロノスの呟きに私は飛び起きた。その通りだった。意味も無く心臓が早鐘を打っている。
「急いだ方が良い。霊山の方」
「……信じるよ」
なりふり構わず飛び出して全力疾走。こんなにも必死になるのは久しぶり、なんて軽口叩ける暇があれば良いのに。霊山までの距離がもどかしくて辛い。どうして私の足は遅いの、もっと早く。無意味な八つ当たりなのは分かっているけど、そう思うくらい焦っていた。鳴り響く警鐘が脳内を占める。時が止まれば良いのに。強く思ったけれど、無駄で無理な事くらい分かっている。そんな不確かなものに頼るんだったらその前に自分で動いた方がマシだ。
刺すような空気を感じる。荒く吐き出される息が、地面を蹴る音が、耳について離れなかった。
「プレザ!!」
山頂に転がり込むようにして辿り着いた私が見たのは激しい戦闘の跡。所々崩れ落ちているのが分かった。決して地盤が緩いのではないのだろうけれど、こうも暴れれば崩れる事は容易に想像出来る。
足場が崩れる瞬間、プレザの瞳が私を捉えた。交わった視線、見開かれる瞳。私を呼んだ彼女の声が、大好きと動いた唇が、耳に目に焼き付いて離れない。咄嗟に駆け寄ったが間に合わず、プレザの身体が宙に投げ出された。冷たい何かが一気に全身を落ちる。アルヴィンの手も届かず、宙を掻いただけだった。追うようにして座り込んだ彼の数歩後ろで足を止めた。ぐらりと頭が揺れて、まるで鈍器に殴られたみたいな衝撃に力が抜けてへたり込む。膝が笑うどころか、全身が震えているのが分かる。がちがちと響く歯の音が酷く大きく聞こえる。溢れた涙がとめどなく流れ落ちて地面の色を変えた。
「ど…して……どうして私は…いつも間に合わない」
「…アルディア」
「なんで…なんでっ」
情けない顔のアルヴィンが伸ばしてきた手を辿って彼を見上げて、引き寄せられるままに彼の胸に縋り付いた。皆がいるとか、時間が、とかそんなの今はどうだって良い。スカーフの色が変わるのも気にせず、泣きつづける私を彼は黙って抱きしめる。触れ合う身体は暖かいけれど、私の中は真っ暗で恐ろしく冷たい。
あの時、無理にでも引き止めておけばプレザは死ななかったのに。私が彼女と一緒に行けば、もっと話をしていれば。それ以前に"あの時"私がプレザ達と一緒にいる事を選んでいたら。様々な後悔が私を苛めるけれど、本当は心の何処かで彼女がそう望んだのだからそれで良い、と思う自分がいて嫌になった。自分勝手でも一人よがりでも、プレザを説き伏せれば良かった。昔、私がやったように。次にやったら嫌われるかもしれないと云う可能性を捨てきれず、弱い自分が勝ってしまったからこうなったのだ。
死んでしまうくらいだったら、嫌われた方が良かった。もう彼女と会えないなら、私の選択は意味の無いものになってしまうのに。貴女が居なくなってしまったらアルヴィンはどうなるの。貴女だけが心の支えだったんだろうに。いや、私にとっても心の支えだ。二人に生きていて欲しいと、二人がいるから生きたいと願ったのに。
「……ジル」
呟きを拾ったアルヴィンが腕の力を強める。きっと彼も少し泣いているんだろうと思った。思えば最近は泣いてばかりだった。こういった世界に身を置いていれば、いつか必ずこうなることを、覚悟していたのに。いざ目の前で起きるとこうも脆い。
情けないと思うと同時に、これではいけない、そう思った。けれど、今の私にはどうしようもなかった。