あのひのやくそく
「プレザ!!」
皆を先に行かせて、残党を倒し終えた私が追い付いた時、見たのはプレザが崩れ落ちる瞬間だった。美しい肢体が泥を跳ねさせ、びしゃり、と音を立てる。忌ま忌ましそうにアルヴィンを見上げる彼女の息は荒く浅い。こんな姿を見るのは初めてだ。彼女はいつも美しかった。私の姿を捉えた彼女は一瞬だけ表情を和らげるも、直ぐにいつもの様に凜とした顔付きに戻る。他人には分からないくらいの変化なので、気付いた人はいないだろう。長年連れ添った彼を除いて。
銃口を向けるアルヴィンに駆け寄り、その腕を掴む。標準を逸らそうと彼の手を引いたのと、ジュードが彼を呼んだのは同時。アルヴィンが仕方無しに肩を竦めて銃を下ろしたから、私は服が濡れるのも構わずプレザの傍に膝をつき、彼女の傷が目立つ身体に手を翳した。少しかじっただけの治癒術では止血するので精一杯だけれど、何も出来ないより良かった。本当は、傷一つ残したくはないのだけれど。
「アルディアって…四刃象の仲間、だったの?」
呟かれたレイアの声は震えている。顔を上げれば、皆の視線が私に注がれていた。信じていたのに、と云ったところだろう。アルヴィン以外の表情は驚愕に染まっているし、エリーゼは今にも泣き出しそうだ。あのミラでさえ目を丸くしているくらいなので、かなりの衝撃なのだろう。これで、違うと言って誰が信じてくれるんだろう。ジュードあたりは頷いてくれそうだけど。それでも、弁解しないよりはましだろうて。
「仲間じゃなくて、友達だよ。昔からの」
「友達…ですか?」
「うん。小さいころからずっと仲良しなの」
「ごめ…ごめんなさい。私、アルディアのお友達…怪我っ、させちゃいました。…でも」
「泣かないでエリーゼ。大丈夫、分かってるよ。理由、あるんだよね」
半ば涙目になっているエリーゼを見上げて微笑めば、ゆっくり頷いた後、彼女も少しだけ笑ってくれた。細められたペリドットの瞳には安堵の色。それから、ミラに目を向けて先に行くように促したけれど、彼女の瞳が揺らいだ。気がした。そんなミラに苦笑してしまう。らしくない振る舞いに、彼女が何か思い悩んでいるのが推測出来るが、それしか出来ない。私は彼女でないから、何も分かってあげれないし、何かしてあげれるとも思えない。けど、気休めかもしれないが、言葉をあげるのは出来る。
私は貴女を信じているよ、と。そう笑ってみせれば、ミラも凛々しく笑った。
「良かったのかしら?行かなくて」
「私なんかいなくても、あの子達なら平気」
「…信じているのね」
「そう思っていたい…の間違い、だよ」
眉を寄せつつ笑ったプレザの肩を抱いて治癒術を掛け直しながら、沼野の奥を見る。きっと、あそこにいるのは私の嫌いな人。あの人がいなければ、私達はこうなっていなかったのに。脳内に甦るのは、人を見下した様な目と勝ち誇るかのように上げられた口角。嗚呼、虫酸が走る。
ざわめく心は落ち着かず、頭では引っ切り無しに警鐘が音を立てたまま。きっと良くない事が起きる。それは、私達にとって良くない事だけれど、その人達にとっては良い事で…。何が良くて駄目なのか、そんなこと、誰も知りはしない。
豪奢な船内は薄暗く、冷ややかな空気が漂う。隙間から入り込んだ光が硝子に当たるのだけが輝いて、反射したそれらがまるで散りばめられた宝石の様だった。綺麗だと思えるのは、どうやら私だけのようだ。重苦しい雰囲気に押し潰されそう。あのレイアだって顔を強張らせている。これは、私の神経が図太いのか、それとも単に動じないだけか。きっと後者。理解の範疇を超えた経験をすれば、並大抵の事は気にならなくなる。今の自分が良い例だ。彼は、どんな顔をするだろうか。
「お前は…どうしてここにいる」
自信に満ちていた声に、私を認知したと同時に驚きが混ざった。不敵な笑みも、崩れている。思ってた通りの反応に笑ってしまいそうだ。目を見開き、言葉無しに凝視してくるものだから、その態度を他の皆が気にしないなんて事は無く、私は一気に注目の的だ。一方から向けられる視線は驚きと少しの恐怖。もう一方からは疑心と不安の眼差し。そうなるだろうとは思っていたから、仕方ないと割り切ってしまうのが良い。
「久しぶり、ジランドール。あの時以来だね」
「なんで…なんで生きてやがる!!」
吐き出された言葉は弾丸。撃ち抜いたのはその場にいる皆。ざわり、とした空気に、私は何も言わなかった。
「お前は…アルディアは…俺が殺した筈だ!!」
「う…そ…」
レイアの呟きがやけに大きく響く。脳内に木霊する言葉は、矢が的を射る如く突き刺さる。言葉になった瞬間は酷く冷たい、針山に触れたみたいだったのに、少し経てばどうと云う事はない。事実であるから、受け止めるべきだ。盗み見たアルヴィンの顔は、それはそれは酷いものだ。信じられないのだろう。無理もない。私は此処にいるのだから。
どういうことだ、と唸る様な声をしたミラが、敵意を剥き出しにしながら剣に手を掛ける。私は首を振って目を閉じた。前々から思っていたが、彼女は中々に好戦的。だからか、いや、そうでなくても頼もしい存在だ。ミラ達がいるからか、思っていたよりも、怖くない。昔の私は、どうしてこいつに恐怖を感じていたんだろうか。きっと一人だったから。
「どうであれ、私は生きている。銃痕があるから紛れもなく本人」
「確かに心臓を撃ち抜いた。なんで生きてんだよ、てめぇは!!」
「どうしてだと思う?」
「馬鹿にしてんのか、お前…」
「お喋りは、おしまいにしよう?」
手を一つ叩いて、首を傾げながら微笑む。見計らったかのように、アルヴィンが引き金を引いた。
お前は誰だと問われたならば、私で在り私でないと答えるだろう。どうして生きていると問われれば、気まぐれに生かされたと答えよう。嘘ではない。これは事実であり、紛れも無い真実だ。だってあの時、確かに銃弾は私の胸を貫いた。白く染まる視界と崩れ落ちた身体。広がる赤色は地面に染み込み変色する。生暖かいそれに浸りながら、体温の無くなるのを感じた。全て覚えている、思い出せる。意識も揺らぎ、何もかも諦めた筈だった。脳裏にちらつく二人の笑顔に謝りながら、私は意識を沈めたのだ。
瞼を刺す光に目を開けた。そこは、まるで海にたゆたうのに似ていて、それでいて落ちていくのにも似ている。酷く曖昧なのに、はっきりとした感覚。明らかに普通ではない空間で、声を聞いた。楽しげなそれは直ぐに聞こえなくなる。熱を取り戻したのは同じ瞬間だった。手放した筈の意識を、もう一度手放す、なんて不思議な体験をした。
次に目が覚めた時、私は海停の宿にいた。仕事を終えたと思っていた筈の鼓動が耳に届く。どうして、と考える暇もなく、声の主が私を生かした事を知る。生きてみせろ、と声がした。
私は、半分人間では無くなっていたのだ。