まちぼうけのあさ
カラハ・シャールの街を気晴らしに歩いても、人々の活気の中に身を置いても、楽しくないと云うかなんと云うか。雲の上、空の真っ只中にいた時はすっきりしていてとても気分が良かったんだけれど。風を切って、見渡す限り青色の中に一人居る感覚は懐かしいと思えたのは当たり前の事だ。私を生かしてくれた存在は、常にこれを味わっていたのだから。本当に懐かしかった。だからなのか、地に足を付けているのが落ち着かないと云うか不思議な感じ。ふわふわとした感覚のまま街を歩くけれど、気持ちを切り替えないといけないんじゃないかと思って視線を前方に戻した。が、視界に入ったアルヴィンに、少し気分が削がれた。とある出来事からぎくしゃくしているのが問題なんだけれど、話し合うなんて考えはあまり持っていない。無駄なのだと云う事を、彼に聞いたわけでもないが私はそう決め付けていた。何でもはぐらかしてしまう男なのだ。嘘をついて裏切って、そのくせ庇って助けようとか身体が反応してしまうのであろう優しいお人好し。まぁ、そこが彼の良い所でもあるのだけれど。
憎々しそうにジュードを見る彼の心境なんて知らないけれど、それが本心だと云う事は明らかだった。彼をあんな風にしてしまったのは私なのだ。多分、きっと。彼はそう思っていないかもしれないが、私はそうだと思っている。細められたアンバーにも似た、それでいて朱色にも見える瞳を間近で見たのは数年前か、それより前だったかは覚えはない。本当の笑顔を向けてもらったのだって…。もう諦めていたのに。会うんじゃなかったなぁ、なんて思っても遅いのだ。
気付かない振りをして通り過ぎてしまおうか。逃げるみたいだけれど、必要以上に触れ合う事はしたくない。そのうち言わなくても良い事を言ってしまいそうだ。強く思って、歩きだそうとしたが、その前に誰かがぶつかってきて盛大につんのめった。軽くはない衝撃にたたらを踏んで振り返る。誰がぶつかったかなんて分からないけれど反射的に、だ。届きそうで届かない、当たったであろう部分の背中をさすりながら体勢を戻す。
溜め息を吐いてから視線を上げたらアルヴィンとばっちり目が合った。予想外だった事に目を丸くしたら向こうも同じような顔をするのが何だか可笑しい。それから、困った、とでも言いたげに寄せられて下がる眉が、昔の彼の表情と重なって、少し苦しくなった。
そんな顔をしないでほしい。あの頃を思い出してしまうから。幸せだった、貴方と過ごした日々を。
唇を少し噛んで目を閉じる。思い出すな、と言い聞かせながら。
「情けないなぁ、私」
「んなことねぇよ」
近くで聞こえた声に目を瞬かせ視線を向ければ、アンバーよりも濃い瞳がこちらを見ている。風に揺れるスカーフが腕を掠めるくらい近くにいた。それに気付いた時には手を掴まれて道の端へと誘導されて、背中には塀、目の前にはアルヴィンがいる。が、当の本人はこっからどうしようかと困っているみたいだ。
「えと…腕は平気?」
「ん、ああ、痛くねぇよ。それよりお前は」
「グミでも食べておけは大丈夫。貴方が心配する必要は無いわ」
「いや、そうじゃなくって」
珍しく歯切れの悪い物言いに首を傾げれば、ばつの悪そうな顔で頬を掻いたその手を首筋に当てた。その仕種に私は瞬きをもう一度。いつものように作った言葉で、演技染みた動作で、何でもないとか、なら良いとか言えば良いだけなのにどうしてそうしないんだろう。
「ほら、慌ただしくて言えなかったからな。リーベリーでの事なんだが」
「別に何も気にする事は無かったと思うんだけれど」
「いや、あん時、咄嗟に身体が動いちまってさ、悪かったな」
彼の言っているのは私を抱きしめた時の事だろうか。そんなの全然気にしていなかったのに、彼はいつまで気にしているんだ。らしくない。寧ろ謝るのはこちらの方。自分から大丈夫だと言って一人で行動して置いて、ヘマした上に捜しにきてもらったんだし、そっちの方が迷惑を掛けたと思う。ジュードからドクターストップまで掛かってしまって、確実にお荷物状態だったわけでもある。
「貴方は何も悪くない。私の所為でしょ」
「なんかさ、すっげぇ必死だったんだ。お前がいなくなんの、考えれなかった」
「なにそれ。らしくないんじゃない?私の事、嫌いなんじゃないの?」
「わかんねぇよ、俺だって…あー、もうやめにしようぜ」
自分で言い出した事だと云うのに。でも、やめたいと言うのならそれで良い。嗚呼、それにしても本当、こうして話しているとまるで昔に戻ったみたいだ。まだ私が彼の隣で、二人笑い合っていた頃を。辛くなるだけだから忘れていたかったのに、鮮明に思い出してしまった。私達は違う仕事をしていたけれど、何故かいつも会ったり、雇い主が同じだったりして、一緒に依頼をこなしたりもした。それでいつの間にか隣に居ることが普通になっていたのだっけか。
知らずの内に視線は遠く。変わらない空を、風景を、視界に入れながら吐いた息は風に流れた。端から見れば心此処に在らず、といったところか。そんな私を見下ろす彼がいた事を、私は知らない。彼の呟きは喧騒に消える。が、微かに聞こえた声はなんだか弱々しくて、本当に今日の彼はどうしたんだろうと思った。普段はこんな姿を他人に見せるような人じゃないのに。
「…なんか、食いに行かね?」
「うん。どこ、行く?」
やけに懐いたワイバーンの喉元を撫でれば、嬉しいのか彼は小さく鳴いた。硝子玉の様に輝く瞳は鋭く光りながらも、優しげに細められている。その様はなんだか可愛らしい。ミラが乗っていた怪我したワイバーンも、もう回復したらしく見た感じ元気そうだ。その子にも手を伸ばして労っていれば、小さく服を引かれて振り返ったらティポを抱えたエリーゼが恐々した様子で私を見上げていた。しゃがみ込んで目線を合わせたら、少し安心したのか、強張っていた表情が緩んだ。ワイバーンが怖いと言うなら、呼んでくれれば傍に行くのだけれどね。先を促せば、言いにくそうながら口を開いた。
「アルディア、アルヴィンと一緒にいたって、本当ですか?」
「ええと、さっきの時間の事?」
彼はまた何をやらかしたのやら。首を傾げて問い返したら、エリーゼは小さく頷いて服を握る力を強めた。
「一緒にご飯を食べに行ってたけど」
「そう…ですか」
眉を寄せるエリーゼの頭を撫でてみるものの、彼女は益々身を小さくするばかり。多分、アルヴィンの姿が見えなかったからまた裏切る算段でもしているのではないか、と疑ったんだろう。しかし私と居た、という事実に考えが違っていたことに気まずくなってしまったようだ。それでも、彼女は何処か納得のいかない顔をしている。私は彼の知り合いだから、グルだと思われているのだろうか。そうなれば私は完全にとばっちりだ。私に裏切る気なんてこれっぽっちもないのだから。アルヴィンも、もっと上手くやらないと、困るのは自分なんだからね。
ミラが私達を呼ぶ声に応えながら、私はエリーゼの手を引いた。