熱い身体。
けだるいこの感じ。
詰まった鼻孔。

「完全に、風邪引いた…」

そう呟いた木曜日の朝。
俺は割と季節の変わり目とかに弱い。だから、今の梅雨の季節なんて正に体調を崩すための季節なわけだ。

取り敢えず起き上がって、ずきずき痛む額を手のひらでいたわりつつ撫でる。しかし手のひらも熱いので感覚がわからない。
仕方ない、体温計を持ってくるか…と、スウェットの裾で鼻を啜りながらだるそうに立ち上がった。

がちゃ

「オハヨーございまーす」

スウェット姿の兄貴がポケットに手を突っ込んだまま部屋に入ってきた。目は三分の一くらいしか開いてない模様。

「おはよう馬鹿兄貴。俺今日学校休むね」

「朝から人をナチュラルに罵った挙句サボりとは…」

「サボりじゃないし。ホラ俺すっげー鼻声っしょ、完全に風邪だわ」

句読点ごとに鼻をずるずる言わせる。鼻声ってなんかヘリウム吸ったみたいでちょっと恥ずかしい。
心なしか頭痛もしてきた気がするので、体温計の仕舞ってある場所を兄貴に聞こうとすると…。

こつん

「うぅーーん…。イマイチどっちが熱いかわからん…」

兄貴がとても古い漫画のようなことをしてきた。
お互いの額が触れ合ってはいるけれど、寝起きで感覚が鈍っている俺にはどちらの体温の方が高いかなんて、分からない。
兄貴もどうやら分かる気配が無いので、うんうん唸っている兄貴を強制的に引き剥がした。

「まぁこれってぶっちゃけ分かんないよね。てか何でこんな古典的な方法選ぶかな…早く体温計持ってきて」

「はいはい」

グレーのスウェットのだらけた後ろ姿が、ドアから出て行く。
どうにも身体が重い俺は、取り敢えずベッドに横になる。

(眠たい…)

頭の中がなんだか熱くて、ぼーっとする。

(…ちゃんと学校行けよ、馬鹿兄貴…)

また心の中で密かに兄貴を罵り、ちょっとだけ横になるつもりが、気付けば俺の意識は深い闇の中に落ちてしまっていた。


***


ピッ…ピッ…ピッ…

真っ白い部屋に響く無機質な音。
俺はこの真っ白な部屋をよく知っていた。
お母さんが泣いている。お兄ちゃんが真っ赤な顔で涙目になっている。
そしてベッドの上には、苦しそうな顔のお父さん。
ピッピッという無機質な音は、次第に鳴らす間隔が遅くなっていく。

お父さんが、死んじゃう。
まだ幼い自分の頭でも、そんなことくらいはわかってしまう。

お父さんはかすれた声で、お母さんに何か言った。その後に、お兄ちゃんに何か言った。
そして最期に僕に、弱々しい笑顔で言ったんだ。









***

「…あれ……」

再び目を覚ますと、カーテンこそ閉まってはいるものの、漏れて差し込んでいる光は先程よりずっと明るい。

(寝てたんだ…)

部屋の時計を目をこらして見てみると、時刻は十二時半。
丁度、午前の授業が終わるくらいの時間だった。

「昼夜逆転しても困るし、起きるか…」

身体を起こすと、頬に何か冷たいものがつぅっと伝った。水、じゃなくて涙。
…そう言えば、何かとても古い夢を見ていた気がする。
ただひたすらに悲しくて、悲しくて、泣きたくなった。夢で泣いたのは初めてかもしれない。
俺は少女漫画の女の子のように、夢でぽろぽろと泣いてしまっていた。

なんだかこのままでは気分が暗くなってしまいそうだったので、涙をゴシゴシと拭い軽く背伸びをし、トイレにでも行こうと立ち上がる。少し寝たせいか、気怠さはいくらかはましになっていた。
寝ながら泣いてたなんて、兄貴にバレたりしたら恥ずかしい。

俺がドアノブに手をかけたと同時にー

ギィィィ

「う、わっ」

引いてもいないのに、向こう側に開くドア。
思わず転びそうになった俺を支えたのは、

「あぶねっ。…起きたん」

兄貴だった。
咄嗟に少し顔を背けたが、何も言ってこない限り俺が泣いてたことはバレてはいないようだ。ほっ。

…というか、今は十二時半。
今日は午前授業などではなく、普通にみっちり六時間。
なのに兄貴は此処にいる。
と、いうことは。

「学校、休んだの」

「うん」

「…あのさぁ」

「人が休んでまで献身的に看病してやったんだから文句言わないのー。ほら病人はさっさとベッドに倒れてなさい」

「トイレだっつの。そんなに俺が休む度に休んで、単位危なくなっても知らないからね」

「俺風邪とか引かねーし。第一なつのが休んだ時しか休まねーからへーきへーき」

相変わらず適当な兄貴がそう言って軽く受け流す。
兄貴は昔からこうだった。
俺が休めば兄貴が休み、仕事で多忙な母親の代わりに世話を焼く。それを口実にただ休みたいだけならまだ分かるが、兄貴の場合は普通にお粥を作ってくれたり、薬を買ってきてくれたりと本当に看病してしまっているから余計わけがわからん。
双子でも一応兄貴だからなのか、なつせは昔から少し俺中心に物事を考えているときがあった。

…あんなんでも、母子家庭で、長男だから、頑張らなきゃとか思ってんのかな。

トイレを済ませた俺は、スウェットのポケットから午前中ずっと放置していたであろう携帯を取り出す。俺は未だにガラケーである。もうそろそろ機種変したいところだがそこまで余裕のある家庭ではないので、水没でもするまでこいつと一緒だ。
メールが数件入っていた。何件かはどうでもいい広告メールだが、ゆゆから二件のメールがきている。

1件目が「サボり? 俺も帰りたいんだけど」で、二件目が「午後生徒総会だから抜けてくるわ」だった。因みに二件目の受信時間は十分前。

「…俺の周り不真面目ばっか」

そうつぶやくと兄貴が台所でラスクをぼりぼり食べていたので、一枚ひょいと取ってむさぼる。

「お前飯食えよ」

「んー…食欲無いし…てかゆゆ来るって」

ほれ、とさっきのゆゆからのメールを兄貴に見せる。すると兄貴は
「生徒総会だからって、あいつ真面目じゃなかったっけ」
と、ラスクを食べながら言う。まぁゆゆって黒髪だし。俺達と違って。

「まぁ俺達よりかは真面目だけど、だるいんじゃない。午後だし」

午後にめっちゃどうでもいい学校の方針の話とか、校則について議論されてもそら眠いわなーと俺は呟いた。

「眠いと言えば、あんなに寝たのになんかまだ少しねみーかも…」
「風邪引いてるから体が弱ってるんじゃない。ゆゆ来るまで寝とけば?」

俺はちょっと考えたけど(だって昼夜逆転したら困るし)、ゆゆが来るまでならいいかぁと思い、リビングのソファーに横になった。三十分もすれば来るだろうしね。
普通のいつものソファーなのに、不覚にも気持ちいい。うちのソファーこんなにふかふかしてたっけ。これも風邪のせいなのか。
ソファーの素晴らしさに感動した俺は、多分五分くらいで寝た。





「…なつの?」

なつせが声を掛けても、ソファーで横になっている人物からの返事はない。

「寝付きめちゃいいなお前、のび太か」

そう言いちょっと笑いながら、さらさらとした茶髪を優しく撫でた。

「単位落としてもいいよ」

目を閉じ、優しい表情で冗談っぽくそう言う。勿論眠っているなつのからの返答はない。

「俺は、お前が一番大事なんだから」

普段のなつせとはまったく違う、低くて小さいが、はっきりとした声。
その表情は微笑んでいるが、先ほどとは打って変わって俗にいう“目が笑ってない”状態だ。


「守ってあげる」

その言葉と同時に、チャイムの音がなった。恐らくゆゆだろう。
はいはーいと先ほどとは全く違う声のトーンで玄関前に居るであろうゆゆに返事をし、小走りで玄関へ向かった。




マルい頭なんていらない
















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