雨の降る暗い森の中。
冷たいその場所に隠れるようにしていたのは、二人の男女と、その女の腕に抱かれて眠る小さな赤ん坊。
男というにはまだ少し幼さの残る少年は、ポツリと「逃げよう」と呟いた。

「優しい人を知っている。そこで暮らそう。***も一緒に」

女はすやすやと眠る赤ん坊を優しく見つめながらこう言った。

「そうね。罪を犯した私たちは、そうやって人里離れたところで…慎ましく暮らすのが、きっといいんでしょうね。…でも」

女は赤ん坊の額に小さく口付けた。

「この子は連れて行ってはいけないわ」

「…どうして」

「この子には何の罪もないもの。…それに、この子は普通の人間だわ。私達とは違う。そんな子を人から遠ざけて育てるなんて、間違ってる」

「そんなこと言ったって、じゃあ誰がそいつを育てるのさ…!」

「大丈夫、この子は今は普通の人間だけど…」

女が手をかざすと、手元に光の塊ができた。

「私の力を、全部分け与える」

「何言ってるんだ、そんなことをしたら君は…」

「ねぇ、リヒタルフ」

「だって私は、母親ですもの」







「ここっ…! この扉の向こうから、勇者の声がする!!」

「クソッ、びくともしねぇ! どうなってやがる! おい、どうにかなんねぇのかよ!」

巨大な扉の前で、一行は足止めを食らっていた。
戦士と魔法使いがいくら叩いても、この扉はびくともしなかった。

「心配要りません。その為に、僧侶さんを連れてきたんですから」

冷静にそう言い、側近は僧侶の方を振り返った。

「まず陣を…簡易にチョークで構いません。それから、その陣に適合する第十二章から三十七章までの譜を詠んで下さい。後は僕が何とかします」

「………あ、ハイッ!」

数秒呆気にとられていた僧侶だったが、急いで陣を描く準備を始めたようだった。

「なんだ今の…俺にはさっぱり理解できんだったぞ」

「今回ばかりは同感だわ。…っていうか、魔物なのに光属性になんでそんなに詳しいのよ!」

「魔王様直属の部下ですから。その程度もできなくてどうします?」

うっ、と魔法使いは言葉をつまらせる。側近は当然だと言うように言い捨てた。いつもさらりと責務を果たしてしまうので目立ちこそしないが、彼の側近としての能力は目覚ましいものだった。

「『汝は木で私はその根だ。汝はひとに神木であると持て囃され傲慢だ。汝は葉が絶えようと構いはしない。誰も汝に逆らえはしない』」

簡易化された陣を書き終えた僧侶が、澄み切った声で聖書を暗唱しはじめた。戦士も魔法使いも、側近に何か言いたげだったが、静かにしなければいけないと感じたようだった。
神聖な言葉と、壁の向こうから聞こえてくる声や衝突音のような音が響く。
緊張しているのか、僧侶の項を汗が伝う。

「『…其のため、果実もひとも、凡てを懐く神さえも、汝に平伏すのみであろう。然し私は知っている。私の総ては汝の生命。汝の生命は私の総て。私を失えば汝さえも失われるであろう』」

(おい魔法使い、俺にはこの聖書の意味がさっぱりわからん)

(馬鹿は黙ってなよ)

こそこそと二人が喋っている間に、聖書の内容も終わりに近づいてくる。


「『…汝を絶やす為に私は絶えよう。然し神は見ていらっしゃる。穢れ無き者に裁きは下らぬ』」


「…はい、完璧です。御二人とも、これから私が合図するまで、僧侶さんに話しかけるのは控えて下さい。彼女はまだ聖書を読んでいる途中です。効果を発動すべき瞬間が来たら、最後の一文を読み上げるという方法です」

「成る程、その瞬間になって今のを全部読み上げていたら時間が掛かるから…ここで下準備をしたってことね?」

「その通りです」

側近は魔法使いに頷く。
僧侶は今、全神経を集中させている状態にある。神の書物を一文字一文字意味を込めて読み上げるだけでも、非常に精神を消耗する行為だ。
ならば一刻も早く、この扉を突破した方が良いだろう。

「それじゃあ、今からこの扉を破壊します。怪我をしたくなければ、離れていて下さい」

側近が小さく何かを呟くと、側近の腕が一瞬で巨大な刃物に変わる。まるで鏡のように曇りのないそれは、きっと切れ味も申し分ないものだろう。
側近は土を蹴り、高く飛び上がる。
燕より早く、蛇より鋭く。
側近は腕を滑らせるかのように一振りしてみせた。ーそして、再び地へと着地してから数秒後に、真っ二つに割けた扉が、鈍く重い音を立てて倒れこんだ。

その先に見えたのはー

「ゆ、勇者!!」

見知らぬ二人の、人とも魔物とも取れるものに囲まれた、勇者の姿だった。


***


「目障りなんだよねぇ、出来損ない」

「貴様…よっぽど死にたいらしいな」

リヒタルフが安易に男を煽るため、男の顔つきはますます恐ろしいものとなっていた。
ーおいおい、こんなに挑発してしまって大丈夫なのか…。
リヒタルフが使ってはいるものの、いつもの武器があるのだから勇者も先ほどよりはずっと善戦出来ると思われるが、あの動きを見ると男もずぶの素人という訳ではないだろう。
それに、勇者の武器は此処にありこそするものの、リヒタルフによって改造に近い施しを受けてしまったのである。

「ふん、そんなでかいだけの剣で、我を殺せるとでも?」

「さっき『死ぬよりだるい思いさせてあげる』って言わなかったっけ? 出来損ないは記憶能力も出来損ないなんだ」

ふふ、と男を見下しながら、嘲笑するリヒタルフ。…何故だろう、すごく生き生きした表情に見えるのは。
ついに男の怒りが頂点に達したのか、男は手に持っていたフセットを力強く一振りする。すると、みるみるうちに風は凄まじい熱風へと変わり、勇者とリヒタルフを守っていた植物をあっという間に溶かしてしまった。

「わざわざご苦労様だね。…おいで、異常性癖男!」

先にリヒタルフが動く。
真っ黒い大剣を覆っていた雷電はひとつとなり、男目掛けて放たれる。
しかし男はそれを交わし、勇者の方へと駆け出して来た。
疲弊した様子が無く、大きな武器を持っているリヒタルフを狙うより、先程の暴力で衰弱し短剣しか持っていない勇者を仕留めるほうが容易いと考えたのだろう。

(…舐めるなよ…その程度、見切れる!)

相手の攻撃のタイミングを見計らい、既のところで勇者は避ける。
まだ全身がズキズキと痛むが、なんとか身体は動くようだ。
さぁ、この短剣一本でどう反撃しようか…そう思った時、背後の扉の方から鉛が落ちたような轟音が響いた。

「なんだ!?」

その場に居た全員が扉の方に注目する。
ーあの、重い扉が無い…いや、真っ二つだ…!

煙が徐々に薄くなっていくと、数名の人影が見えた。そこに立っていたのはー

「ゆ、勇者!!」

「魔法使い!? いや、皆! どうしてここが…」

勇者が言い終わる前に側近が声を張った。

「僧侶さん、今です! あの男に…!」

その声を僧侶は待っていたと言うように、堂々とした声で聖書の続きを読み上げる。

「『神に問おうー…』」
「!! 貴様、僧侶だな!? 止めろ!」

男が僧侶に飛びかかろうとする。
しかし、その後聞こえたのは肉が削がれるような音ではなくー刃と刃の重なりあう響音だった。

「おい僧侶! ここは俺達に任せろ! それはお前にしか出来ないんだからな!!」

「ー!!」

「貴様…凡人ごときが、邪魔をするなッ!!」

「うるせぇ! 俺は最強の戦士だ、凡人じゃねぇ!」

戦士が自慢の腕力で、僧侶から刃を跳ね除ける。
数秒言葉が途切れてしまったが、再び僧侶は暗唱を再開した。

「『私と汝、何方が咎人か。何方が罰せられるべき存在か!!!』」

僧侶はいつの間にか握り締めていた、小さな硝子の破片のようなものを天目掛けてかざした。
破片から眩い光が放たれ、それは男へと迷うこと無く向かっていく。

「ぐああああああああああっ!!!」

目が潰れそうな程の光に包まれる男。
やがて声が聞こえなくなると、その光は再び硝子の中へと帰っていく。

「…だ、だいじょぶ、です。成功です」

「そのようですね。その中に、封印されているようです」

側近が少し安堵の表情を浮かべる。

「ゆ、勇者っ…大丈夫!?」

傷だらけの勇者に気づいた魔法使いが、壁にもたれ掛かる勇者に駆け寄った。

「ひどい怪我…すぐに回復を」

「待って、ここは…魔法が発動しないんだ」

勇者がそう言うと、側近はリヒタルフの方をじっと見つめる。

「…わかってるよ。全員、僕の植物で城まで送ってあげるから。…早く乗って」

「察しがよくて助かります。皆さん、あの触手に乗ってください」

三人は勇者をいたわりながら、巨大な触手に乗り込んだのだった。










俺達のリーダー

(渡してなんかやるものか)











おそくなりました





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