陽溜り。
木々が生い茂る森の奥のたった一箇所にそれはあった。
そこだけうっそうとした広葉樹を掻き分けたかのように日差しが導かれている。

幼い自分は、それに照らされた眩しさに目を覚ました。

それが一番古い記憶。

―そのとき初めて俺は、自分の存在を知った。










「…ん……」

先程まで見ていた夢とは打って変わって、とても暗い場所で、勇者は目覚めた。
陽溜りのような暖かさはなく、ただ冷たいこの場所。
どこだ、ここは。

「…そうだ、たしか変な触手で…!」

地面の中に引きずり込まれたはず。
それならここはどこだろうか。

視界に映るのは、まるで牢屋のような冷たい壁と、正面の扉のみ。
まるで状況が把握できない。だがこれだけは言える。

(いつまでもこんな訳分かんないとこに居られない。帰らなきゃ…)


勇者は立ち上がり、扉の取っ手をつかむ。

その瞬間に、逆側から力が加わった。


「わっ…!」

「おやおや、もうお目覚め?」

誂うような声音に、取っ手から声の主に視界を移す。
そこには一人の男が居た。

「綺麗な常磐色の瞳だねぇ、もっと近くで見せておくれ♪」

「え、おい…ちょっと!?」

転げそうになったところで、ぐいと片手を引っ張られて重心が後ろに傾く。すぐさま腰に手を回されたので、倒れこむことはなかった。

真っ赤な目をした男は、勇者の瞳から目を逸らさない。
長い前髪で片目が隠れている。まるで魔族のような真紅の瞳を見ていると、気が狂ってしまいそうだ。
なんなんだこいつは、と思い勇者は男から気まずそうに視線を外す。
すると男は引っ張っていた方の手を外し、勇者の顎を持ち上げながら言った。

「こんなに素敵なんだから、片目は残してあげようかなぁ、うん♪」

「…は…?」

脳天気な声とは裏腹に、嫌な予感がするセリフを吐いた瞬間、男はどこからか鋭利なスティレットを取り出した。刀身が細く、何故か目盛りが刻まれている。
あろうことか、男は躊躇することなくそれを勇者の顔目掛けて振り下ろした。

「…へぇ、なかなかだねぇ♪」

「何なんだお前は、魔族か? 俺をここに連れてきたものお前か?」

間一髪で避けた勇者は、距離を取り、男を睨め付けながら問いた。
―こいつがもし人間だったとしても、ただの狂人だ。危険なことに変わりはない。

「魔族なんかじゃないよ。まぁ種族なんてどうでもいいじゃないか♪」

答えにならない返事をし、スティレットを再び構えた。
そこで勇者は、自分の持っていた大剣が無い事に気づく。

(おいおい、洒落になんないよ…)

「これから勇者くんには、ひどい目に遭ってもらうんだからさ♪」

真っ赤な瞳を気味悪く歪ませて、男は勇者を嗤った。







「じゃあー…僧侶さん」

「…はい」

「あなたは主張こそ少ないですが、相当修行を積まれた、上級の僧侶ですね?」

その言葉に僧侶は言葉に詰まったようだった。
本当は能力値のことは安易に話すものではない。集中的に狙われ、命を落とす場合もあるからだ。
流石に勇者は気付いているようだったが、恐らく目がまだ肥えていないこの二人は気付いてはいなかっただろう。

「そ、そうなの!? 僧侶すごい!」

魔法使いが目を輝かせる。

「解りますね?」

「…はい、つい先程、勇者さんの気配がこの城から消えました」

「ええええええ!? マジかよ!!」

「勇者それもう駄目じゃん! ヤバイよ!!」

僧侶の告白に、魔法使いと戦士は狼狽えた。
そう、危ない。この世界を救う救世主の危機だ。だからこそ冷静にならなければいけない…なんて、今の二人には考える余裕すらないようだった。

側近が「落ち着いて下さい」と言い、
「僧侶さん。あなたにしか出来ないことがあります」
と、真摯な瞳で僧侶を見つめる。

「あなたの荷物を全部持って来て下さい。勇者のいる場所に突入します」

「わ、分かりました!」

ぱたぱたと部屋に向かって走っていく僧侶を指さしながら、魔法使いは
「私たちは!?」
と不満気だ。

「あなた方は…まぁいつもの武器でいいです」

「なんっじゃそりゃ! 俺の剣技を舐めんなよ! 先陣切ってやる!!」

戦士の叫びは、城にこだまするのであった。







「ふっ、ざ」

何処かの城か何かの一角の部屋で、二つの影が機敏に動いていた。

「けんなッ!!!!」

髪の色素の薄い―、勇者が怒号を上げながら、短剣をもう一つの影目掛けて振り下ろす。しかし男は身軽にそれを避けた。
先程からずっと、この繰り返しだった。

(どうなってるんだ…魔法は発動しないし、装備は見当たらない!)
目覚めた勇者が持っていたのは、常備している短剣のみだった。

「短剣は軽いね♪ 普段は大剣だから使いやすくもあり…」

男の剣の動きが変わる。

(ーしまった、読めないっ…!!)

今までとは違う剣の流れに、勇者は一瞬だけ惑ってしまった。それがこの攻防戦に決着を付ける事になる。

「身軽すぎて、前に出すぎてしまうこともある、ってね」

鋭い眼が皓った気がした。

(した、だ)

こちらへ伸びてくるのは鋭いスティレットではない。
男の脚だ。

「…あ…っ」

鈍い音がした。

勇者は重い一撃を、腹に受けた。


「勝負あったね、勇者くん♪」

あまりの痛みと衝撃に勇者は小さく喘ぎながらうずくまった。
速い、重い、鋭い。
三つを兼ね揃えた足技は勇者に大きなダメージを与えたらしい。
言いようのない気持ち悪さと、全身から脂汗が滲み出るのが嫌でも理解できた。

「へそ周辺を狙ったからねぇ♪ 悲鳴も上げられない? 腸へのダメージが大きいもんねぇ」

男が何か言っているが、勇者には掠れて聴こえない。
その反応が面白いとでも言うように、男はニヤニヤとしながら、乱暴に勇者の腹を押さえている手を剥ぎとった。

「う…ぁ……はっ…」

「その顔が見たかったんだよねぇ」

真っ青な顔色の勇者を仰向けにねじ伏せ、無防備となってしまった腹をぐりぐりと踏みつけた。

「うぁあぁぁッ…!!」

鉛のように重い脚が、更に深く勇者の内臓を動かす。少しでも男が脚を減り込ませる度に、凄絶な痛みが勇者を襲った。

「どうしてこんなに可愛いんだろうねぇ…。ますます魔王に渡す気が無くなったよ♪」

その言葉を堺に脚が離れていく。
ゆっくりと離れる脚による、内臓が戻る余韻がまた気持ち悪い。

「殺しはしないから安心していいよ♪」

はーはーと息を必死に整える勇者を楽しそうに見下ろして男は言い放った。

「こんな素敵なもの、殺すなんて勿体無い」

男はこれまでの行為とは打って変わって、血の気の失せた勇者をぎゅっと抱きしめた。
その手つきはまるで、子供がお気に入りの玩具を抱きしめるよう。
しかしそれも今は激痛にしか感じられず、勇者の口から力ない声が漏れた。


「世界を救う勇者様だから、簡単には死なないよね?」

「こ…ろしてやる……」

「そうそう、その位強気でなくちゃ♪」

勇者はありったけの憎悪の感情を眼に込めて睨みつける。それを見て余裕の表情だった男の表情が少し曇る。

「あーあー…綺麗だけど、面倒な目だなぁ。片方くらい残してあげようと思ったけど、やっぱり潰しちゃおう。いや、勿体無いから刳り抜いてしまおうか?」

勇者の意思などお構いなしに、猟奇的なことを喋り立てる男。
攻撃も防御も、回復も出来ない。この状況は正に絶体絶命そのものだった。

「この鋭い剣はね、フセットって言うんだよ♪ ほら、目盛りが刀身に刻まれているだろう? 本当は大砲とかの口径を測ったりするらしいけど…これって拷問とかに使ったら楽しそうだと思わない?」

せせら笑いながら男が語る。
そして勇者の後頭部をぐいと抱き寄せた。

「大丈夫だよ、君を捨てたりなんかしないから♪」

(クソ…このままだと…)

そして勇者はあることを思いついた。しかしそれは相当な「賭け」に出ることになる。

(失敗したら、冗談じゃ済まないだろうな…)

男が目だけを見る、一瞬を、図る。

勇者は足元に落ちた短剣を、左手でそっと握りしめた。

男の持つフセットが顔に近づいてくる。

(いち、に、さん…今!!)

勇者は、男の隠された方の目―左目に、短剣を突き立てた。


「ぐ…ッ!!」

男が勇者から手を離し、左目を押さえ込んだ隙に、男から急いで離れる。

「読みが、当たった…みたい、だね?」

腹部への激痛に耐え、前方にのめりながら勇者は扉を縋るように開く。後ろをちらりと振り返ると、男は地面に手さぐりするかのようにして落としたフセットを探しているようだった。

(変だと思ったんだ)

勇者と短剣で戦っている時、隠れていないはずの右目が、妙にこちらを捉えていなかったのである。

(恐らく右目は見えていないんだろう…とんだフェイクだ)

自分の観察力に感謝しながら、縺れそうな脚を必死に振り上げて勇者は走る。
しかし、命懸けで逃げ出してきた勇者にまたしても絶望が降りかかった。

「開かない…!」

一本道をずっと行くと、扉があった。
しかし、その扉は見事に植物やコケが生い茂っており、衰弱している勇者が押してもびくともしない。

(隠れ場所もないし、体力も限界だ…)

どうすれば、と考えた時、

「無駄だよ」

後ろで、嫌な声がした。
そこにはいつの間にか先程の男が立っていた。勇者が刺した左目から、大量の血を流しながら。

「我にここまでするとはいい度胸だ」

先ほどと雰囲気も、口調も違い更に不気味さを増した男が、じりじりと間合いを詰めてくる。逃げ場は無い。

(どうし、よ、う…!? 何か役に立つものはないのか…!!)

勇者が辺りを見回す。何もない。
どうしよう。

男がふらふらと近づいてくる。



不意に後ろから何かが伸びてきた。
その「何か」は鞭のようにすっと伸び、力強く男をはねのける。

「ぐあっ!!」

「調子に乗りすぎなんだよ、パラフィリアが」

どこからかすとん、と降りてきた人物。

「リヒタルフ…!」

一気に地面から生えてくる植物が、二人を防護するかのように取り囲んだ。


「人ん家の植物、勝手に使わないでくれる…? 腐っちゃったらどうすんのさ」

「ほう…途中で触手を使えなくしたのも貴様か。園丁ごときが」

そう言えば、最初は触手で捕らえられたはずなのに、勇者が目覚めたときは軟禁こそされていたものの、無拘束だった。

「別に善人ごっこしたい訳じゃない。お前の相手をしてる程、暇じゃないんだよねぇ、僕は…」

驚く程に無表情のままリヒタルフは言い捨てた。明らかに男を挑発しているのに、その表情には余裕が伺える。

「ちょっと借りるよ」

「え? あ、それ…!!」

どこからかリヒタルフが取り出したそれは、行方不明になっていた勇者の大剣だった。

「svartálfr mode」

勇者の疑問などお構いなしのリヒタルフは、ボソリと聞いたことのない呪文を呟いた。
するとみるみるうちに、勇者の大剣が姿を変えていく。

何者にも曇らない、光を帯びていた剣身は黒く染まり、さらには放電でもしているかのようにばちばちと電気を有していた。

「死ぬよりだるい思いさせてあげるよ、出来損ない」

それが初めて見た、無表情じゃないリヒタルフだった。





囚われ駒鳥

(のち脱走。)











いのちをだいじに





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