五時。 早朝の、である。 何故こんな朝っぱらから物語が再開しているのかと言うと、単純に勇者様がお目覚めになったからで。 いや、目覚めたと言うのは語弊があったかもしれない。 勇者はあの後結局眠れなかったのである。 (てか、こんな状況ですやすや眠れるこいつ等の方がおかしいっての…) 戦士、魔法使い、僧侶。 勇者のパーティーメンバーはまるで宿屋に泊まったかのようにぐっすりと眠っていた。 現時点で起きているのは勇者一人だけであった。 まぁ、ガチガチに緊張とかしないのがうちのパーティーの良い所なのかもなぁ。 それに、今の勇者には少しこの状況は好都合と言えた。 「朝だし、魔物の力も弱いだろう」 勇者は床に無造作に置かれていた装備品を、丁寧に取り付ける。 三人は疲れているだろうし、暫くはこのまま爆睡していることだろう。 「少し、お城探検といこうか」 構造すら解らない場所に仲間を置くわけにはいかない。 選択肢無しで軟禁とも取れる状況下に置かれているのだから、この位のハンデはありだろう。 髪を適当に手櫛で直し、音を立てないようにドアを開けようとして、気付いた。 「…っと。大事なものを忘れてた」 道具袋をごそごそと漁り、銀に輝く腕輪を取り出す。 リバティの腕輪。 一部の魔物に姿を映せなくなると言う、ちょっとした便利道具である。 もっとも、レベルがこれ以上上がらない勇者にとっては不要なものだったが、昨日の今日で魔王城の魔物と戦ってしまっては厄介ごとが起こってしまってもおかしくはない。 「無駄な殺生は避ける方針で」 腕輪を装備した勇者は、再び錆びかけたドアノブに手を掛けた。 がちゃり。 「……」 誰も居ない。 てっきり、勇者は見張りでも立てているかと思っていたのだが…。 見張りどころか、勇者の視界には荒廃しかけた廊下しか映っていなかった。 魔王城の警備は案外適当なのだろうか。突撃した時は戦士が先頭で暴れていたからどうだったのかは知らない。 右手に階段を発見。 「降りてみるかな」 勇者 Lv.99 五階から四階へ。 四階へ降りていくにつれ、薄暗かった辺りが段々明るくなってきた。 そして心無しか、良い香りが鼻を掠める。 「う、わぁ…」 一面に咲く、名前もしらない沢山の花。 色とりどりで、植えた者の色彩センスが良いのか、美しい並べ方の花はより一層輝いていた。 魔王城にもこんな美しい庭園があったなんて。 余りに幻想的とも言える光景に、思わず勇者は見とれてしまっていた。 花々を眺めて居ると、その光景に混ざるように誰かが佇んでいるのに気が付いた。 藍色の髪に、褐色肌。服も暗めな色なのに、どうしてすぐに気付かなかったのだろうか。 しかし、幽玄な花圃の中での物憂げとも取れる雰囲気は妙に調和してしまっていたのだ。 その「誰か」は、此方に気が付いたようで、こちらに視線を投げてきた。 「君、人間?」 リバティの腕輪が効かないということは、高位魔物か人間と言うことになるだろう。 「大きな声で話すの面倒だから、こっちに来て」 返ってきたのは返答ではなく要求だった。 まぁいいか、と呟きながら、秀麗な花壇の間を歩く。 何故か花弁は無重力状態のように、ひらひらと勇者の周りを舞っていた。まるで一枚一枚に、意思があるかのように。 「…人間じゃないよ」 今更、先程の問いの答えが返ってきた。 薄々そうかなとは思っていたけど。きっとこの状況で冷静で居られるのは、自分のレベルがカンストしているからなんだろう。 「面倒だから、別にいきなり攻撃なんかしないよ。…ほんと、勇者なんて面倒臭そう…」 はぁと溜め息を吐きながら少年の容姿をした魔物(のはず)は空っぽの如雨露をくるくる回す。 「性分だから、悪いね。ここは、君が管理してるの?」 「リヒタルフ」 また問いを無視し、少年はボソリと呟いた。 「…それが、君の名前?」 「そう。…そっちは名乗らないの?」 「俺は昔から名前は捨てて生きてきたから。何か適当に呼んでくれていいけど」 「ふーん」 一瞬リヒタルフは怪訝そうな顔をしたが、ま、どうでもいいよと付け足して、何かの呪文を唱えた。 彼の上に小さな雨雲が現れ、花を雨で潤していく。 「如雨露使わないの?」 「…いつもは使ってる。今日は、いい」 何が「いい」のかは分からないが、リヒタルフから今のところ悪意のようなものは感じない。 「いきなり敵が来たのに、随分と落ち着いているんだね」 「いきなりじゃない」 「え?」 「ミリア・ルーカス」 どくん。 心拍数が一気に上昇する。顔が熱い。 他人から発せられた事のない名前。それは、紛れも無いー… 「君がここに来る事は、ずっと昔から知っていたんだから」 リヒタルフに目を合わせる。 青みがかかった前髪の奥から、彼の無気力そうな、虚ろな瞳が覗いていた。 「君達の運命も、過去も全部見てきた。やっと君が辿り着いたから、ここから塗り替えが出来るんだ」 勇者が強く睨めつけても、表情一つ変えず、リヒタルフは訳の分からないことを言い続けた。 「…意味が分からないな。そもそも、君が何故俺の名前を?」 「はぁ。今はわからなくてもいいよ。僕だってこんな役割は御免なのに」 勇者の問いには答えずに、また面倒くさそうに目を伏せる。 バサバサッという音がして、窓の外を見ると真っ黒な闇いろの鴉がこちらを見ていた。 「…もう、戻った方がいいんじゃない。コワイ鳥に食べられても知らないよ」 まだ、彼に聞きたいことは山ほどある。しかし、ここで予想以上に時間を喰ってしまった。彼の言う通り、今日のところはバレないうちに部屋に戻った方が良さそうだ。 「…さっき、今は分からなくていいって、言ったよな?」 勇者は荘厳な扉の前で立ち止まり、振り返る。 「いつか知る時が来たら、俺はどうなる」 花の陰に隠れたリヒタルフはアブラ虫を潰しながら答えた。 「君が君になるだけ、ただそれだけさ」 * コンコン。 先程の鴉が、窓をつつく。 リヒタルフは近くの花の蔓を伸ばし、それを窓格子に絡めさせる。 かちゃりという音がして、程なくして窓が開いた。 窓から侵入した鴉は、翼を広げて姿を変えた。 なんと、鴉は側近であった。 「ふぅ。全く、昨日の今日でこの城を探索するとは…肝が据わっているとでも言っておきましょうか」 「なにさその目…僕がここで何しようと勝手でしょ。めんどくさいなぁ」 「殺せとまでは言いませんが、呑気に雑談してる場合じゃないでしょう」 「僕は別に人間をどうこうする気は無いんだから。ホント魔族も人間も面倒臭い。僕はここで花の世話だけやってればいいんでしょ」 側近ははぁと溜息をつく。全く、どうしてこうもこの城は問題児ばかりなのか。大体魔王様が何故、こんなネガティブでやる気の無い者を採用したかが理解出来ない。庭園の世話係とは言え、城に仕える者だ。吟味に吟味を重ね選ばれている者しか此処には居ない。 「まぁ、魔王様がアレをお気に入りなら僕達じゃどうにも出来ないでしょ」 頭を抱える側近に容赦なく追い打ちをかけ、「あっ」と付け加える。 「魔王様のお気に入りと言えば、あの人が来るんじゃないの」 リヒタルフの問いかけに側近ははっとした。 そうだった。もうひとつ面倒な奴を忘れていた。どうしてこうも面倒事とは重なって来るのか。 「これ以上面倒な事になる前に片付けましょう。じゃあ私はもう行きます」 「はいはい…。側近は早死にしそうだなぁ」 二人目の訪問者を送り出し、リヒタルフは再び花の世話を始めた。 コンコン 「失礼します」 「あーーーーーっとぉ!! まだ入っちゃ…」 側近が勇者一行に充てた部屋に入ると、残された三人が何やら慌ただしい。 後ろには明らかに荷物で膨らませてある毛布が置かれていた。 どうやら、勇者が居ないことを悟られまいとする作戦のようだが…あまりに雑過ぎるため、効果はまるでなかった。 「勇者が居ないことくらい知ってます。…この様子じゃあ、まだこの部屋に帰ってないようですね」 「あ、意外に怒んなかった…」 何故か剣を構えたままの戦士がほっとしたかのように胸を撫で下ろす。隣では魔法使いが陣を発動する一歩手前まで準備しているし、僧侶は聖水などを構えていた。当然の対応とは言え側近は何だか全体攻撃魔法でも食らわせてやりたい気分になった。 「私達が起きたときはもう勇者さん、居らっしゃらなくて…」 控えめに僧侶が申し開いてきた。 「…この状況で勇者一人で居ると、面倒なことになります。今から私が探してきます」 それだけを言い捨て、部屋から出て行こうとすると、 「待って!」 後ろから服を引っ張られた。しかも、襟首を。絞めるつもりかこいつは。 「お前って敵なんだろ? なんで勇者助けようとすんだ?」 「そうよ、変だわ! 何かあるなら私達にも話しなさいよ」 戦士と魔法使いがぐいぐいと側近に攻め寄る。この二人は勇者と僧侶よりも考え無しな人物なようで、側近の頭痛は増すばかりだ。 「別に助けようなんて気はさらさらありませんよ。ただ…」 「ただ?」 空気を読む気など微塵もない二人に観念し、仕方なしに側近は語り出した。 「ちょっとすごく、魔王様と仲が悪い方が居てですね…ジャハンナムってとこに居る…まぁ、地獄を統べている人です」 「地獄て響きがもうこわっ。焼け付く息吐いてきそう」 「その方はですね、何と言うか、こう言っては流石に失礼かもしれませんが、特殊な嗜好の持ち主なんですよ」 「まぁ地獄って言うくらいだしな」 「なにそれ、どんなん?」 二人に聞かれ、ここで少し側近は言うのを躊躇した。二人の視線に負けてしまったけれど。 「アポテムノフィリアですとか…ネクロフィリア、とか言うんですかね。確か」 「あ、あぽてむの?」 「四肢欠損性愛、屍体性愛…性的倒錯の類ですね」 この三人の中では一番常識人な僧侶が代わりに答える。側近はそれに頷き、 「かなり大まかに言いますと、グロテスクな方面の嗜好です」 「う〜ん…なんだか僧侶の漢字セリフで大体のイメージは掴めたわ…」 「で、そのイカれた野郎と勇者が何の関係があるんだ?」 戦士の問いかけに、ここからが本題なのですと前置きして、 「その方と魔王様の仲が悪いのは…あまりに好みが似ているからなんですよ。昔から、一つのものを取り合って戦争起こしたりしてましたから…」 沈黙。 数秒して僧侶、魔法使い、戦士の順に顔が青ざめていく(魔法使いと戦士の間は長かった)。 「ま、魔王の今のお気に入りって…」 「勇者ですね」 「じゃ、じゃあ…勇者が危ないってことで…」 「ファイナルアンサーですね」 側近が深く頷いた。 「やっべーじゃねぇか!! つーか魔王とそいつどっちが強いんだよ!」 「勿論我らが魔王様です。しかし…仮に勇者が囚われたとして、魔王様が向かえば地獄の長とは言え、殺されるか封印されるかでしょうね」 「別にそれでもいいじゃない」 「地獄の長は、嗜好こそ異常ですが力は強大です。あの方の軍も我々には必要ですから、そんなことをすれば魔族側の陣形は大きく崩れます」 「つーか俺達は別に魔族側の陣形とかどうでも…」 言いかけた戦士の目の前に、いつの間にか鋭利な鎌が向けられていた。よく見ると側近の腕が鎌に変化しているのだ。 魔法使いがキャッと声を上げる。 「今はあくまでも、魔王様のご厚意で生かされていると思って下さい。勇者不在の今、あなた方が私に勝てるとは思えませんが」 戦士は何か言いたげだったが、上手く言い返せないのか、「…わかったよ」とだけ呟いた。 側近は鎌を下げ、続ける。 「ですから早く勇者を探す必要があります」 「そう言うことなら私達も手伝うわ!」 「しかし…」 「私も賛成です。勇者さんが心配ですし」 三人の遠慮の無い申し出に側近は難渋する。 「じゃあー…」 * 「えーっと…明らかに来た道とルートが変わってる、よな…」 リヒタルフの庭園を離れた後、来た階段をそのまま上がっただけなのだが、明らかに違う光景が広がっていた。 「方向音痴じゃないはずなんだけどなー」 もう一度庭園に戻ってみよう、と、振り返った瞬間、何かに足を掴まれた。 「っ、魔物か!?」 咄嗟に火炎魔法を唱えてみたが、足の自由は戻らない。 足元に目をやれば地面から生えた腕のような触手が、勇者を引きずり込もうとした。 やばい。 そう直感した勇者は必死に手足をばたつかせる。どうやらこの触手は、勇者もろとも地面に引きずり込もうとしているらしい。 「…クソっ、切れろよ!」 魔法を何度も詠唱し、剣で十分なダメージを与えているはずなのに、触手はびくともしない。 半分ほど引きずり込まれたところで、誰かの声がした。 「魔王めが…此の様な美しい物を独り占めとは。私の恩を忘れたか?」 フフ、と嘲笑めいた笑声の後に 「いつまで一片氷心で居られるか、見物だな」 そこで勇者の意識は沈んでいった。 (三人は…無事だろうか?) 卵を鳥籠に閉じこめる (綺麗なものはバラして、中身が見たくなる) ファンタジーに触手はつきもの。 勇者逃げて超逃げて! |