顔や手にかかるやや橙がかった光りの眩しさに目を細めながら、ふと枕草子の冒頭を思い出す。秋は夕暮。本当に、その通りだ。
 附属の高校に上がる予定の私でも、のんべんだらりと過ごすわけにはいかなかった。進級試験をパスするためだと分かってはいても、そう考えると普段はほどほどに膨らんでいる気持ちも力無くしぼんでしまいそうになる。そう言うと友達は口を揃えて名前ってば贅沢なんだから、公立行ってる子はもっと大変なんだよ、なんて笑うけれど。
 はあ、とため息ひとつ吐きだして、それでも開いていたノートの公式がやわらかく照らされているのを見ると、少しだけ心が上向いた。本を読むにも、勉強するにもどこよりはかどるここはやっぱり、不思議。
「…名字?」
「あ、柳くん」
 そっと空気に溶け込むような低い声に名前を呼ばれて顔を上げたときには、もう目の前の椅子がかたん、と小さな音を立てていた。ちょっと離れた辺りから聞こえたにしてはあんまり素早い動きに、ついびっくりして手に握っていたシャーペンがぽろりと落ちる。その音につられてちらりと私の手元を見た柳くんが数学か、と淡く笑うのに、曖昧な笑顔で頷いた。
「うん。…柳くんは今日も何か借りに来たの?」
「そうだな。ここの蔵書はさほど多くないが、どれも面白いものばかりだから興味深い」
「あ、面白いと言えば、あれどうだった?」
「ああ、『掌の小説』か」
 面白かったな、と口元をゆるめた柳くんがどこか楽しげだったから、今度は私もてらい無く笑うことが出来た。
 緊張しいの私がまだ会ったばかりの柳くんと落ち着いて喋れるのは、柳くんに周りの男子みたいな雑っぽさが全然なかったことと、あの雨の日に私が読んでいた本と柳くんの借りて帰った本が実は同じものだと分かったことにある。特に、友達にそのとき読んでいる本の話をすると名前って難しいのばっかり読んでるんだね、なんて言われてしまう私は、だから同い年の人が同じ本を読んでいるのが嬉しくてたまらなかった。趣味についての話題が合わないということは、つまり、好きなことの話をしていてもおもしろくないってことなのだ。そんなのはつまらないし、かなしい。
 他の人の迷惑にならないようにどの話が好き、あの話はちょっと難しかった、だとかをひそひそと話していると、あっという間に空が暗くなって、マホガニーを照らすのは室内の照明だけになってしまった。そろそろ帰らなきゃ、と呟いてノートやらペンケースやらを鞄にしまう。全部済ませて静かに席を立つと、ちょうど柳くんも帰り支度を終わらせたところらしかった。
「あれ?柳くんも帰るところ?」
「いや、遅くまで付き合わせたうえに、勉強の邪魔もしてしまったからな。駅まで送る」
「えっ…そんな、悪いよ」
「気にするな、そろそろ俺も帰ろうと思っていたところだ」
「…本当に?」
「ああ」
 この図書館以外で柳くんと時間を過ごすのはもちろん初めてで、緊張とか理由の分からないためらいを覚えないでもなかったけれど、断るのもなんだかもったいない気がしてしまう。せっかくだしいいか。そう思ってお願いします、と小さく頭を下げると、柳くんも頷いて笑った。
 司書さんに頭を下げて、ゆっくりと扉を押し開ける。すると、頭上にぽつぽつと夏よりも幾分冷たく光る星が見えた。ついと顔を上げた柳くんがぽつりとつぶやく。
「『秋の夕日はつるべ落とし』と言うが…その通りだな」
「うん…そうだね」
 ひゅう、と時々吹く風にカーディガンの袖を伸ばしながら、なんとなくふわふわと落ち着かない今の私に色をつけるとしたら何がいいだろう、なんてとりとめのないことを考える。こうやって事あるごとにひっそりと頭の中から色事典を引っ張りだしてしまうのは、あの図書館のステンドグラスの色を調べ始めてからの癖みたいなものだ。
 たとえばブラウン系で例えるとして、ベージュみたいに優しい色は好きだけど、それだとちょっと薄すぎる気がする。かといってカーキーとも違う、もう少し秋らしくて明るい………
「あっ!」
「どうした?」
 驚いた柳くんがいつもは伏せがちな目をぱっと開いていることにも気付かず、ごそごそと鞄を漁る。駅が近くなっているおかげで手元は明るく、探し物はすぐに見つけることが出来た。たくさん作って余ってしまった、袋に入ったパウンドケーキ。
「これね、今日の調理実習で作ったの。中にあんずのジャムが入ってて、その分砂糖を少なくしたから甘すぎるってことは無いと思うし、その、もし良かったら…」
「…頂いてもいいのか?」
「え、あ、うん」
「ありがとう」
 急にどうにも恥ずかしくなってしどろもどろになってしまったけれど、柳くんが笑って受け取ってくれたから、ほうっと大きく息をついた。
 アプリコット。ブラウンと言うよりかはオレンジに近いその色は、今の私の気持ちにぴったりだ。
 胸の中に、ジャムのようにぎゅっとつまった甘酸っぱさが広がった。


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