うっすらと手の甲が濃いとも薄いともつかないブルーに照らされている。掌で抱えるようにして持っていたカップの中身には、ぎゅっと唇をひとつに結んで、顔のあちこちにどうしよう、と分かりやすく書いてある私がいた。情けない表情の自分ごと飲み込むようにそれに口をつけると、お腹だけほこりとあたたかくなった。カップに触れている指先は、もう冷たいのかあたたかいのか分からない。
「…名字もこの部屋に入ったことは無かったのか?」
「え、あ、うん。初めてだよ」
「そうか。…それにしても凄いな。閲覧室とは見事に対になっている」
 あちこちを見回していても落ち着きの無さなんてちっとも感じられない柳くんの頬や髪も、ところどころ青く染まっていた。なんだか、海の底にいるみたい。ぽつりとつぶやいた私に、目の前の柳くんがそうだな、とやわらかく笑う。同じようにぼんやり青い影を乗せているはずの私の頬が、けれど紅く熱を持った気がした。
 本当は司書さんが休憩するための、何故かは分からないけど青を基調にステンドグラスが張り巡らされた部屋。私からもお礼をさせてね。そう言って目じりを下げた司書さんは、とっておきだという紅茶付きでこの部屋へ招待してくれた。そのとき司書さんが当たり前のように柳くんも良かったら、なんて言った瞬間、どきりと胸が震えたのはしょうがないと思う。だって、柳くんが話す一言一言だとか、笑うとき、同じ年頃の男の子らしくなくほんの少し口元をほころばせる仕草だとかが私の殻をこつこつと叩いて、いつの間にか破ってしまったのだから。
 ――でも、柳くんの前では隠すともなくそのままの自分になってしまう私は嫌いじゃない。この気持ちって、そういうものだと思う。
「…あの、柳くんはここにいて大丈夫なの?読みたい本とかあるんじゃ…」
「いや、構わない。本はいつでも読めるだろう。…それに、こうもゆっくり出来るとは、部活をやっていたときには考えられなかった」
 そう言うと柳くんは私のそれと同じものを飲んで、ふうとひとつ息を吐いた。伏しがちな瞳がじっと私の向こう側を見据えている。壁しか無いはずのそこに、柳くんだけが映しているものは一体なんだろうか。気になって、それでもなんてこと無い顔をしながら首を傾げた。「――柳くんは、何部だったの?」
「ああ、言っていなかったか?テニス部だ。夏で引退してしまったが、高校に入ったらまた始めるつもりでいる」
「…そっか。テニスの大会って夏、だったね」
 懐かしむような、何かを大切にしているような表情をぱっと消して柳くんが頷く。海のもののようだったブルーが、急に夏のぎゅっと濃い空の色に変わって見えた。今にも蝉が喧(かまびす)しく鳴く声が聞こえてきそうで、耳をふさいでしまいたくなるのをぐっとこらえる。
「…立海って、どの部活もすごく強いんじゃなかったっけ?」
「そうだな、俺達テニス部も強豪と言って差し支えないだろう。…全国三連覇を成し遂げることは出来なかったが」
 去年、一昨年は柳くんたち立海が全国で一番で、けれど今年は準優勝に終わってしまったのだと、柳くんはちらりとも心を覗かせない、まるで感情をぴったり堅い箱に閉じ込めているような声で教えてくれた。それでも少しだけ痛そうにゆがんだ表情が、その中にある柳くんの気持ちを語るともなく知らしめている。だから、準優勝でもすごい――なんて一瞬でも思った私は、やっぱり柳くんのことを全然知らない。ちくりと胸に刺さったものを無視して、でも、と心が急かすまま俯きがちな顔を上げた。もういつもの穏やかで涼しい表情に戻った柳くんと、目が合う。
「…柳くん、あのね、私夏が好きじゃない…ううん、嫌いなんだ」
「…?暑いのが苦手なのか?」
「それもちょっとあるけど。夏って全部一気にわって騒がしくなって、しかも長い休みがあるでしょ?だから、空気はまとわりつくみたいに苦しいのに、何かしなきゃいけないって気持ちになるの。…なんにも、出来ないのに」
「…そうだったのか」
「でも、柳くんはその夏に全部を懸けてたんだよね」
 柳くんはきっとコート中を息せききって走りながら、掌くらいしかないボールを追いかけていたのだろう。想像して、胸を衝かれるような思いがした。もちろん柳くんの仲間や対戦相手の人たち、それ以外にもたくさんの人がこの夏にあらゆるものをつぎ込んでいたのだと分かっている。けれども、正面に座る、今こうしている姿からはとても似つかわしく見えないのに、もう来年を見据えている柳くんだからこそ私は眩しさを感じるのだ。そして、私が夏を嫌う理由がどんなに言い訳がましく、みっともないことかということも。
 薄く目を見開いている柳くんに、上手く言えないけど、と笑った顔は、だから少し苦いものが混ざってしまった。
「…それって、本当にすごいことだと思う」
「…ありがとう、名字」
 噛みしめるような響きの声を不思議に感じたのと同時に、表のカウンターの奥と繋がっている、もちろんマホガニーの扉が開いた。お待たせと笑った司書さんはすっかり冷めてしまった私と柳くんの分も含めて三人分の紅茶を淹れがてら、鞄から取り出した透明なタッパーにぎっしり入ったクッキーを、どこからともなく出してきたお皿にばらばらと並べる。ふんわり広がるバターの香りに頬をゆるめつつ、そういえば今日はいつもより早く閉めてしまう日だったことを思い出した。それなら司書さんが今日になってお礼を、と言ったことも、まだ沈み切っていない太陽が部屋に僅かなブルーを届けていることも頷ける。もう海のものには見えないそれをちらりと見遣って、私は胸にそっと手を当てた。
 大丈夫。過ぎたばかりの夏は今、高くて遠い空の向こうにあるけれど、次またやって来たときはきっともう息が詰まるような思いはしない。だってここには彼からもらった、ほんの少しの勇気がある。


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