ブランコを囲う背の低い柵に若が軽く腰掛けると、名前はそれを待っていたようにすぐ隣の木の根元へ歩き出した。木、というより街路樹といったほうが近いほど細い木だ。冬になると落ちきった葉の代わりとでもいうように白い電球を巻き付けるのは、若たちが子供のころから変わらない。
「若くん、覚えてる?何回目かに一緒にこの木に明かりがついたの見たときのこと」
「…いや」
 首を振った若に名前はやっぱり、と小さく笑う。
「私が〈雪みたいできれいだよね〉って言ったら、若くん、〈俺は偽物っぽくて嫌いだ〉って」
 言われてみればそんなことがあったような気もするけれど、若にはいまいちぴんと来なかった。こういうことは言ったほうより言われたほうが覚えているものだ。夜が苦手というやりとりだって、名前はきっと若ほど鮮明に覚えてはいないだろう。
 唇を引き結んだままの若をよそに、名前は木の幹に掌を当てて空を仰ぎ、ぽつぽつと浮かんだ星がまるで何かの思い出であるかのように目を細める。
「そんなの若くんには…ううん、たぶんほかの誰にとってもたいしたことじゃないと思うんだけど、なんとなく引っかかるものがあってお兄さんに聞いてみたんだよね。〈どう思いますか?〉って」
「…それで?」
「〈どっちの考えも間違いじゃない〉って笑ってた」
 いかにもあの人らしい。若が思ったままにつぶやくと、名前も小さく頷いた。「私もそう思う。でも…」
 ふと口を閉ざした名前は、頭の中で行きつ戻りつしながらうまい言葉を探しているようだった。
「なんて言うか…私が聞きたかったのはどっちが正しいとか間違ってるとかそういうことじゃなくて、〈お兄さんがどう思うか〉ってことだったんだよね。――そのときからなんだ、なんか違うって思い始めたの」
「違う?何がだ?」
「…若くんも気付いてると思うけど」名前は質問に答えず、くるりと若に背を向けてまた空を見上げる。「私、お兄さんのこと好きだった」
 知ってる――と言おうとした唇は、しかし空回りするだけで言葉にはならなかった。分かっていても、本人の口から聞くのは苦しい。まるで、喉を心臓でふさがれたようだ。
 そんな若の様子が見えていない名前は、始めのころとは違って、感情のまま、子どものように話し続ける。
「最初はね、好きなだけでよかったから気にしたことなかったんだけど。でもそのとき気付いちゃったんだ。私、お兄さんの考えてることとかほとんど聞いたことないんだ、って。…そんなの、悲しい」
 でもね、とまた若のほうを向いた名前は、意外にもやわらかく笑っていた。
「そのおかげでもうひとつ気付いたんだ。若くんは、いつだって私に自分のこと教えてくれてるって。たぶん、そういう違いがあのとき引っかかったように感じたんだと思う」
「…そうなのか?」
「うん。私の言うことを笑って受け入れてくれたのも確かにうれしかったけど、そうやって思ってること言ってくれたほうが、いろんなことがわかってもっとうれしい。若くんはたまに言葉がきついときもあるけど…私が傷ついたときはあとでちゃんと謝ってくれるから」
 つまりね、と名前が笑う。それは若があれ以来見ていない、そしてふとした瞬間どうしても思い出してしまうものと全く同じ笑顔だった。
「そういう若くんだから、私は好きだよ」
 あの夜とは変わって、今度は若が大きく目を見開く番だった。運動なんてしていないのに、試合の後と同じくらい強く鼓動が耳の奥で響いている。何か言わなければ、と思ってあれこれと探してもいい言葉は見つからず、結局こぼれたのは素直な不安だった。
「…本当に、俺でいいのか」
 名前は若くんがいいんだよ、と言ってからふっと笑顔を消して、
「…でも、若くんこそ私でいいの?」
 心細げに揺れる表情を見た若はほんの一瞬目を丸くしてから少しだけ口許をゆるめ、手袋をつけても冷たそうにしている手をぐっと掴む。
 自分だけではなく名前も同じ気持ちでいたのだと分かると、長い間抱えていたものがようやくすとんと落ちたような心地だった。
「よくなかったらあんなこと言うわけないだろ、馬鹿」
 さっさと帰るぞと手を引かれた名前は、唇から真っ白な息を吐き出しながらもあたたかそうに笑う。目の端で、にせものの雪が微かに滲んで見えた。


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