わあ、と嬉しそうにはしゃぐ高い声を聞いた若はふと足を止めた。小学校一、二年生くらいだろうか、男の子と女の子が二人、ランドセルをベンチにほっぽったまま砂場の真ん中でかがんでいる。若のいるところからはあまりよく見えないけれど、きっと小さな手をいっぱいに使って砂の山を固めたりしているのだろう。少しの間なんとはなしに眺めてからまた歩き出した若は、あれくらい、と口の中でつぶやく。
 もしあれくらいのときから互いのことを知っていれば、もう少し何かが違っていたかもしれない。
 あるいは名前がただの友人であったなら、降り積もった想いがゆっくりと溶けていくのを待つことも出来たかもしれない。そんなことを思ったところでどうしようもないと頭では分かっているのに、ときどき喉の奥から飲みこみきれないしこりのような感情がこんなふうにせり上がってくるものだから、考えずにはいられないのだ。
 ただ機械的に両足を動かしているうちに着いていた家の戸に若が手をかけたそのとき、ふいにすぐ側の家から出てくる名前の姿が見えた。そろそろ沈みかけた夕日の影も消えて、空の下辺はしんとした藍色に染まり始めている。こんな遅くに、と内心少し首を傾げたけれど、買い物でも頼まれたのだろうとあまり深く考えることなく若は家に入って行った。声をかけることもしない。
 ――多分名前は、こっちに気づいていないだろう。


 自分とすれ違いで若が帰ってきたことに名前は気づいていたけれど、話しかけることは出来なかった。だってきっと、避けられている。
 あの夜、驚いて言葉に詰まってしまった自分に、返事はいらないとだけ言って家まで送ってくれた若と結局何も話せずに別れたことを、名前は何度悔やんだか分からない。少し前、大切なことを間違えていたと気づいたとき、もう二度と失敗しないようにと心に決めたばかりなのに、こんなんじゃあ全部台なしになってしまう。
 それでも名前は今度こそ間違えないようにと、だんだんと冷たくなってゆく両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。そのために、今ここにいるのだから。


 風呂から上がり、まだ生乾きの髪をタオルで拭きながら居間に向かった若はどきりと目を丸くした。なぜ、と思った若の声が聞こえたようにその人は振り向き、小さく笑う。
「あ、若くん。こんばんは、お邪魔してるわね」
「…こんばんは」
 微かに頭を下げた若に、真面目ねえ、と口許をゆるめた顔は名前にそっくりだった。若は一瞬心によぎったものを無視して目礼で応える。そのまま部屋へ戻ろうとした若の体は、しかし彼女の一言でぴたりと止まった。「でも…そう、あの子若くんと一緒じゃなかったのね」
「…はい?」
「え?ああ、名前がね、今日の夕方過ぎに出掛けたの。ご飯はいらないって言ってたし、てっきり若くんと食べに行くのかと思ってたんだけど」
 ほかのお友達と行ったのかしらとつぶやく彼女の声は、ざっと血の気が引いてゆく音に紛れて若の耳には届かなかった。


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