最初に若が名前を認識したのは、二人が六年生に進学したころだった。それまでだって同じ幼稚舎にいたけれども、クラスどころか委員会で一緒になったこともない、どこかですれ違っていたとしても気に留めないような存在だった。名前だって同じだろう。それが初めて同じクラスになって、席が近くなり、どうということのない話をするうちに、いつしか家族ぐるみでの付き合いになっていたのだから不思議だ。これはたまたま互いの家が近いからこそのことだったけれど、若はこの偶然が嬉しいどころか憎らしかった。――名前が兄と自分に向ける、些細なようではっきりとした表情の差異に気がついてからは。
 そう、いつもなら力が抜けるくらいにしか思わないような名前の笑顔が、兄を相手にしたときだけは違っていたのだ。絵の具でぽつぽつとたくさんの色をのせたように明るくて、しかもそれがちっともうるさくない。子供が失敗したときのように色が混ざりすぎて黒っぽくなっているところもない。ただはっと目が引き寄せられる鮮やかさが、名前の体中をぐるりと囲んでいた。
 気づいたそのときすぐに気持ちごとぐしゃぐしゃに丸めてぽいと捨ててしまえればどれほど楽だっただろうとは思うけれど、そんな簡単に放り出せるほどこの想いはやさしいものではない。それだから若は、胸の真ん中にずっと苦い固まりのような感情を抱え続けている。――今だって少しも軽くならないまま。
「…し、日吉!」
 チームメイトの声に思考を引っ張られた若は、ラケットの代わりにすっかり硬くなった掌でぱしんとボールを受け止めた。「鳳か。どうした」
「どうした、じゃなくて。もう休憩時間だろ?ちょっと待ってみても壁打ちから戻って来ないから呼びに来たんだけど」
 ほら、と指さされた先の校舎に掛かる時計は、確かに戻るべき時間から五分ほど過ぎている。若にとってはあるまじきミスだった。
「…悪い、気付かなかった」
「いいけど。でも珍しいね、日吉が時間忘れるなんて」
 ひょっとして調子悪い?と心配そうに眉を下げたのに否定をして、コートのほうに足を向けた。横を歩く鳳が、それにしても、と目を細める。
「まだ時々変な感じがするよ。先輩たちがいなくなって、今部をまとめてるのが俺たちだなんてさ」
「…そのわりにはあの人たちしょっちゅう顔出しに来るけどな。うっとうしいくらいに」
「また日吉はすぐそうやって…、あ、そうだ」
 突然立ち止まった鳳は、まだ何かあるのかと眉を顰めた若に、内面をそのまま映し出したような人の良い笑顔を見せた。
「日吉と仲のいい…名字さんだっけ?さっきコートのほうに来てたよ」
 誰か探してる風だったけど、もしかして日吉、約束してたんじゃないの?――
 もしこんなことを言ってきたのが鳳でなければ、お前には関係無いだろうと突っぱねることも出来た。だけども彼の心にはこれっぽちもからかってやろうとか、そういうふざけた気持ちがないのをよく知っているから、若はただ首を横に振った。
 部室に向かった鳳に背を向け、コート脇のベンチに座ってドリンクを口に含む。汗を拭こうと手に取ったタオルから微かに日だまりのにおいがして、若は思わず空を見上げる。
 今まで動いていたこともあるけれど、太陽が雲に隠れていないおかげで、風だけなら骨にまで突き刺さるような冷たさだというのにさほど寒くない。
 むしろこの季節にしてはあたたかいほうなのだろうと感じた若は、どうしてかふと、あれ以来見ていないあの力の抜ける笑顔が見たくなった。


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