きいんと澄んだ音が聞こえた。その音は高さはあるが鋭さは無く、幾度か反響しながら潮騒のように柔らかく消えた。名前は眠るため閉じていた瞼をそっと開き、のろのろと体を起こして誰に聞かせるともなくつぶやく。
 ああ、今日もまた星が落ちた、と。


 手袋越しに吹き掛けた息が、電灯のぼんやりとした明かりに照らされて雪のように白く見えた。あたたかいはずの息を吐き出したばかりの唇は微かに震えている。それでも名前は、寒いという言葉だけは喉の奥に飲み込んだ。――“声”を、聞き逃してしまわないように。星が落ちる場所は名前の家から十分ほどの海であることがほとんどのようだが、海のどこに落ちたのかまでは耳を澄まさないと聞こえないのだ。
 名前が初めて星に纏わる音や声を聞いたのは、例年より厳しいと言われるこの冬の始まりのことだった。そんなものが聞こえるようになったきっかけも、そもそも星が落ちるという不可解なことが有り得る理由すら名前は未だによく分からない。けれども、空から落ちてしまった星はどれも必ず悲しそうに泣いていることだけは知っている。だから、例え次の日に学校があっても、名前は放っておくことなどしない――否、出来なかった。そうして名前は、丸とも星型ともつかない小指の爪の先ほどの大きさの星が、さらにそれよりも小さい光り(多分、彼らにとっての涙なのだろう)をぽろぽろと流し、やがてひっそりと輝きを失ってゆく光景を、もう片手では数え切れないほど見ている。あるとき星から聞いた話によると、名前は落ちた星の話を聞く人間、ということで星たちの間ではもうすっかり有名らしい。
 海に着いてからさらに五分ほど歩いた先の、波打際からはやや遠い砂浜の上、今にも消えそうなほど淡くやわらかに光っているその隣で、名前は静かに膝を曲げた。その星はやはりと言うべきか、名前の存在にさして驚いた様子を見せなかった。
「どうしたの?」
≪…私の双子の兄が、落ちてしまったのです≫
 耳で聞くと言うより頭や心に直接語りかけてくるような言葉を受け止めた名前は双子、という一言におやと首を傾げた。つい最近、同じようなことを言っていた星と話をしたばかりだ。
「もしかしてそれ、一週間くらい前?」
≪え、ええ、そうです。…あなたは、兄の話も聞いたのですか?≫
「うん」
≪…あのう、兄はなんと…≫
 名前は、兄星のことを思い出し、不安そうに声を揺らしている弟星には気付かれない程度に小さく笑った。今まで話を聞いた星たちはどれも控えめだったけれど、この兄弟は特に、だと思う。星でも兄弟で似通うことがあるのかと思うと、なんだかやけにあたたかい気持ちになった。
「あなたのことを、とても心配していたよ。それと、今まで離れたことが無かった弟と別れ別れになるのがすごく寂しい、辛いって泣いてた」
≪…!≫
 とっても仲が良かったんだね。そう名前が穏やさを湛えて笑うと、弟星はまたしくしくと泣き始めた。ときどきしゃくりあげるように兄さん、と呼ぶ声があんまり悲しげで、名前は思わず段々と明るさを失いつつある光りに指先を伸ばす。夜闇に同化しつつあるせいか、冷たい。けれど、微かではあるが確かに温もりを感じる。抵抗されないのをいいことに、名前は何度も不思議な温度と感触の星を撫でた。
 どれほどそうしていたのだろうか。
 いつの間にか泣きやみ、もうほとんど消えかけていた光りが、力を振り絞るようにひとつ瞬いた。
≪…王様から人間は恐ろしいと聞いていましたが…そうと決めつけてしまうのは些か早計だったようですね≫
「え?」
≪あなたみたいな人間もいるのですから≫
 ぽつりと零すように弟星が笑う。初めて泣く以外の星の表情を見た名前が驚きに目を丸くしているのを見て、弟星はまた笑った。今度は少し楽しげに。
≪…お名前を聞いてもよろしいですか?≫
「え…あ、名前。名字名前」
≪名前…本当に、ありがとうございました≫
 そう言って、弟星はみるみる光りを失っていった。最後に、きっといいことがある、と言い残して。何だったのだろうと小首を傾げた名前は、膝を伸ばし、軽く体を後ろ向きに捻った瞬間、固まった。
 ――誰か、いる。
 暗闇にすっかり慣れた目を凝らして見るまでも無く、その影は背の高い男だった。名前が気付いたことに気付いたらしい男は、組んでいた腕を解いてこちらに向かってくる。近付くその男の顔をはっきり認めたそのとき、名前はひゅっと息を呑んだ。冷たい空気を鋭く取り込んだ肺がちりりと痛む。
「や…なぎ、くん…?」
「ああ」
 好む本の傾向が名前と似通っていて、何かと話すことも多いクラスメイトは少し困ったような顔で笑っていた。それを見た名前は、思わず泣き出してしまいたくなった。今まで誰にも見られたことは無かったのに、よりによって彼に見られてしまうなんて。
「…どうして、ここに…?」
「俺もよく分からなかったのだが…呼ばれたような気がしたんだ」
 そう小さくつぶやいた柳は、どういう意味だと訝しむ名前にまた笑った。幼い頃、名前がちっぽけなことで泣くたび母が浮かべていたものとよく似た、宥めるような優しい笑顔だった。あえて一つ違うところを挙げるのならば、それを向けられた名前の心だろうか。昔はただ怖いものが全部消え去ったような安心感を覚えたけれど、今は胸がきゅうと締め付けられるのと同じくらいに、理屈っぽい彼の目にさっきの自分がどう映ったのかが気になって仕方がない。
 あれこれと忙しなくやってくる気持ちで黙(だんま)りになってしまった名前に、柳はそれこそ子供に言い聞かせるかのような丁寧さで語りかけた。
「名字。俺が呼ばれたと感じたときに聞こえた声と、先程名字が話していた声は同じだった」
「…えっ?」
「どうやら俺にも、星の声が聞こえるらしい」
 だから次からは一人で夜中に出歩かないように、と言われてしまえば、いよいよ名前にのしかかっていた不安はほろほろと解けて、大切にしたくなるようなこそばゆい気持ちが残るだけ。名前は、自然と弟星の最後の言葉を思い出した。


 


 title by にやり


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