金曜日、放課後の教室。同じクラスで日直をさせられた僕と幼なじみは、担任命令のもと居残りをさせられていた。幼なじみは「面倒くさい」と、日誌を僕に押しつけ、自分は楽な黒板の軽い清掃と背面黒板の日程書き換えの仕事をやっていた。日誌は適当なことを書くのは許されず、きちんと書かねばならないということもあり時間がかかる。その前の掃除が長引いていたせいもあったかもしれない。外はもう紅く染まっていた。
 クラス内であったどうでもいいことを報告するためだけに、日誌に筆を走らせる。今日の授業内容だとか、クラスの雰囲気だとか。過去の日誌を見れば、嘘ばかりが真面目に並んでいる。日誌上、このクラスに虐めという文字は浮かび上がらない。僕もそれに付け加えるのだ。
 幼なじみは仕事を早々に終わらせて、後は僕の日誌だけだった。
 窓を開けて、黄昏れるように幼なじみは外を見る。綺麗な黒髪が風になびいていた。口元は、グロスを塗っているのかきらきらと光って見える。
「わたしね、あの子が好きなのよ」と幼なじみが言った。目線の先はきっと、ふわふわとした栗毛色の僕の彼女。

「ああ、そう」
「あら、反応薄いわね。彼女が取られるっていうのに」

 生憎その彼女は、バイセクシャルではない。ただの、どこにでもいる普通の女の子だ。幼なじみだってそのはず。
 僕の反応がつまらないらしい。少々不機嫌そうな顔をして、机に座る僕の前に立つ。
 膝上10センチ、紺色のスカートが揺れていた。

「ねぇ、もう少し焦ったら」
「生憎、彼女は君のことを知らないよ」
「私のこと、話してないの」
「話すことがないからね」

「どうして」と紡がれた口は寂しそうだった。

「どうしてもなにも、話しても仕様がない」

 彼女は、僕と幼なじみがそういう関係であることを知らない。だから、話しても仕様がないのだ。
 ふわふわの栗毛色を思い出す。幼なじみとは、何もかも正反対だった。似通ったところなんて、ひとつもない。あったとしても、それは大きな勘違いだ。そうだ、容姿も、性格も、成績も、運動神経も、何もかもが違うのだ。

「わたしとは、なにもかも正反対の彼女はどう?」
「べつに。普通だよ」
「あの子の髪、地毛なのかしら」
「好きって言うわりには何もしらないんだな」
「好きだからって、すべてを知る必要が無いもの」
「そうかな」

「そうよ。だって……」と言って、口を塞ぐ。
 沈黙が流れる。
 僕は黙々と、日誌に嘘を書き並べる。
 クラス内で気になることなんて、ひとつも無い。
 その間、幼なじみは僕の前の席に座り、誰に買って貰ったんだか分らない最新型の携帯電話をいじり続けた。
 最後の句点を書き終わって、筆を置く。

「書き終わったよ。僕は職員室行くから、お前は帰っていいよ」
「だめよ。ふたり一緒に行かなきゃ」
「なにか用事あるんじゃないの」
「……いいのよ、あんなの」
「ふぅん」

 荷物を持って、教室を出る。
 僕らが暮らす教室から職員室に行くには玄関ホールを通らなければならなかった。下駄箱の間から、扉の前で待つ彼女が見えた。声をかけることも無く、通り過ぎる。
 職員室に行ったはいいものの、当の担任は不在だった。担任の向かいの席に座る数学教師に言伝を頼み、ごちゃごちゃの机の上に日誌を置いて職員室を出る。

「いなかったね。部活かな」
「だから帰っていいって言ったのに」
「だめよ」

「だめなのよ、それじゃあ」と彼女は呟く。僕は聞こえなかったフリをした。
 玄関に向かって歩く途中、後ろを歩いていた幼なじみが僕の制服の裾を掴む。丁度、彼女から刺客になっているところだ。周りに人影は無かった。もう誰もいないかのように。
 後ろを振り返って「なに」と問う。少し冷たかっただろうか。彼女はうつむいていた。表情は見えない。何も喋らない。
 彼女が、すぐそこで待っている。早く行かなければ。
 その手を離してもらおうと触れるが、掴む力が強くなる。
 彼女が顔を上げた。その目は、潤んでいた。
 僕が言葉を発しようとした瞬間、彼女の口から、聞きたくなかった、否、昔の僕なら聞きたかった言葉が紡がれる。

「ねぇ、本当はわたし……」

――あなたのことが好きなのよ。

 噫、君はなんて勝手なのだろう。
 彼女には聞こえてない。なにも知らない。知らなくていい。
 ポケットに入ったピンク色のハンカチには唇から拭い取った、幼なじみのグロスがあやしく光っていた。





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