○ひといろ/野永 創

 空がオレンジ色に染まっている。

 (久保クボ)は薄水色のくたびれた病衣を着て、古ぼけた神社の境内に裸足で立っていた。

 塗料の剥がれた鳥居ごしに、沈まぬ太陽を見つめている。

 ――ここはどこだ?

 やっと言葉をひねり出した時、久保は病衣の袖を引っ張られた。

 「?」

 そちらへ顔を向けると、真っ青な瞳が久保を見あげていた。

 十歳前後であろうか、金髪に青い瞳の少年が細い指で久保の袖をつまんでいる。

 少年は、緑色の手術衣を着ていて、サイズがゆるいのか白い肩が襟元から覗いている。

 少年と見つめあって数秒、

 「君は誰?」

 青い瞳に問いかける。

 すると少年は、なにも言わずに自らの手首を差し出した。

 袖をつまんでいるのと反対のその手首には、なにやら白いタグが巻かれていた。

 病院に入院している患者がつけるそれと思える。

 「御調」

 タグには消えそうな文字でそう書かれている。

 「お、おん? ご? なんて読むの?」

 久保が少年に訊くと、

 「みつぎ」

 と、ただひとこと答えた。

 「(御調ミツギ)? へぇ、難しい名前だね‥‥。あ、ぼくの名前は久保」

 久保が名乗ると、少年――御調は小さく顎をひいて頷いた。

 「君、日本人ぽくないのに、漢字のこんな難しい名前だなんて不思議だね。というか、ぼくの言葉、通じてる?」

 御調は先ほどと同じように頷いた。

 御調の金髪に夕陽のオレンジが反射して、キラキラと揺れる。

 いつのまにか御調は、久保の手を握っていた。

 色白の小さい手は、冷たかった。

 「あそこに座ろう」

 言いながら、久保は社殿――賽銭箱の前を指差した。

 御調が頷くのを待ってから、久保は繋いだ手をひいて歩み出した。

 ***

 「ここがどこだか判らないんだ。仕事が休みで昼過ぎまで寝てたんだけど‥‥雨が降ってるなぁと思ってたら突然、雷が鳴って。それで気がついたらこの神社にいたんだ」

 御調は久保の手を握ったまま、黙って聞いている。

 「入院した覚えはないし、ここに来る前になにかあって病院に運ばれたんだとしても‥‥ああ、もう判らん」

 繋いでいないほうの手で髪を掻きむしり、久保は御調を見た。

 「御調くんの格好、病院とか、手術の時に医者が着てるやつだよね?」

 表情を変えず、御調は首を傾げる。

 金髪がキラキラと揺れる。

 「ぼくの着てるのは患者さんみたいだ。神社でこんな格好って変だね」

 久保は自分の着ているものをつまんで笑ってみせたが、御調はまばたきをくり返すばかりで、眉ひとつ動かさなかった。

 「―――」

 沈黙に気まずくなったのか、久保は御調から目を逸らし、目の前に浮かぶオレンジ色の夕陽を見やる。

 「変といえば、あの夕陽もさっきからずっとあの場所にあるんだ。ぼくがここに来てからもうずっと経つのに、沈みもしない」

 こくん、と御調は頷く。

 頷くのとまばたきとをくり返すばかりの御調に、

 「ねぇ、お腹すかない?」

 久保は訊いた。

 ひとつ間を置き、御調は自分が着ている手術衣のポケットを探った。

 そして小さな手から、桃色の金平糖がひとつ転がり出てきた。

 と言っても、五百円玉ほどの大きさである。

 御調は久保を見つめ、金平糖を差し出す。

 白い手のひらの上、桃色がキラキラと光る。

 「ぼくにくれるの?」

 うん、と頷くと御調は、桃色の金平糖を乗せた手のひらを久保の口に押しつけた。

 「!」

 突然のことに驚きつつも、久保は金平糖を口に含んだ。

 「あ、ありがとう」

 上唇を痛めながら久保が礼を言うと、御調は初めて笑顔を見せてくれた。

 「助かったよ、おっさん」

 すくっと立ちあがり、御調は冷たく言い放った。

 御調の笑顔――冷笑であった。

 「え? あ、みつ、ぎ――」

 久保の片頬は金平糖で膨らんでいる。

 十歳前後に見えていた金髪の少年は、いつのまにか二十歳を過ぎるか、というほどの青年の姿になっていた。

 「じゃ、がんばってね、おっさん」

 言いながら、御調は手首のタグを外し、久保の手首に巻きつける。

 久保は、十歳前後の少年の姿になっていた。

 片頬をふっくりと膨らませながら、声も出せずにただ御調を見あげることしができない。

 「おっさんのおかげで国へ帰れるよ」

 御調は幼くなった久保の身体をまさぐり、病衣のポケットになにかを見つけると、

 「――なぁ、自分の名前、言えるか?」

 「‥‥‥」

 「名前だよ。このタグ見てみろ」

 先ほど巻きつけた白いタグを指差す。

 「く、ぼ」

 久保はようやく声を絞り出して言った。

 それを聴くと、久保の頭をわしゃわしゃと撫でて御調は言った。

 「自分の名前が言えりゃ結構。なんとかなるだろ。あとは自分の努力次第だな」

 ひとつ伸びをして、御調は鳥居をくぐり姿を消した。

 最後まで、金髪がキラキラと反射していた。

 久保の手首のタグは「久保」と書かれていた――

 
 空はオレンジ色に染まっている。



 了