14. I'll fight for love!


コーナーギリギリを狙われて反応が追いつかなかった。振り返るとコートの隅にくっきり痕だけが残っていて、薫はチッと下を打った。
「次は絶対とってや…。」
と意気込んだまでは良かったのだが、前に向き直ると反対側のコートで構えをとった後輩が彼の何倍も意気込んでいて、何だか息が荒くふー、ふーと唸ってまでいる。どう見ても力みすぎなのだが、女子とは思えない気迫を放つ彼女に薫は何と声をかけてやればよいか分からず、結局行くぞ、と言ってトスの姿勢に入った。
「越前の奴、一体どうしたんだ。」
「うん、この間まで元気なかったのにな。」
貞治がノートに何事か書きつけながら不思議そうに言うと、隣でラケットを取り出していた河村隆も手を止めて同じように不思議がった。
「なんか、今度は元気を持て余してるよね…。」
英二とのラリーを終えた周助も会話に加わり、一様にリョーマを見つめる。都大会前のレギュラー陣の最終調整のためリョーマも練習にかり出されているのだが、あんなに本気で打ってこられては調整どころかガタが来てしまいそうだ。止めたほうがいいだろうか、と誰もが思う頃、やはり同じように思った国光がさっと前に出た。
「海堂、越前、そこまでだ。越前、お前は向こうで二年の打ち合いに参加してこい。」
ちょうど自分に向かってきていたボールをラケットの一振りでいなして、跳ね上がったそれを片手でリョーマは受け取った。そして号令の主を振り返ると彼をギロリと睨む。え、何で、と周囲が固唾を呑んだが、リョーマはすぐウィッスといつもの返事をしてスタスタ歩き去ってしまった。
「い、今おチビちゃん手塚のこと超睨んでなかった?」
「うん、睨んでた、ね。」
「二人の間に何かあったようだな、これはいいデータが…。」
動揺した声や面白がる雰囲気が飛び交い出すと、今度は国光の睨みが全体に振りまかれた。
「お前たちも休むな!今度はクロスの打ち合いだ、各自ペアを作れ!」
レギュラーの力の篭った返事が響く中、二年生に宛がわれたもうひとつのコートからは助けてくれー!と泣きそうな悲鳴が上がる。また思わずレギュラーたちの士気が落ちたが、国光が咳払いをするとそれぞれ急いで持ち場に着き始めた。

「越前、ちょっといいか。」
練習時間が終了し、散開する部員たちの間を縫って国光がリョーマに声をかけた。呼び止められたリョーマはまたギロリと国光を睨んだが、素直にはい、と答えて彼の後についていった。当然それを聞きつけてしまった英二や貞治といった野暮組みが捨て置くはずもなく、彼らはそそくさと二人の後を追った。辿り着いたのは校舎裏の人気がない木立の側で、シチュエーションばっちりじゃん、と英二はニヤニヤ笑って建物の陰から様子を窺い始めた。続く貞治もしっかりノートを開き、聞き耳を立てる。二人の会話は国光の厳しい一言から始まった。
「部活に私情を持ち込むな。今がどういう時期か分かっているだろう。」
貞治の眼鏡が光る。
「ほう、やはり二人の間で何かあったんだな。」
ノートの上をシャーペンが猛烈な勢いで走る。
「そうッスね。大事な時期ッスよね、俺の私情なんかどうでもいいくらい大事な時期ですよね。」
つるつると滑るような口調の割りにたっぷりと含んだ棘を感じて国光はかすかに唸った。
「どうでもいいとは言っていない。」
「どうだか。…それよりアンタ、親父から話聞いたんでしょ?よくOK出したよね。」
許婚のこと、とリョーマが呟いた瞬間、貞治のシャーペンと英二のニヤニヤが止まった。許婚、などと昨今では滅多に使わない言葉だがだからと言って意味を知らないわけではない。それが、その特別な関係を意味する言葉がリョーマと国光の間にある。その事実が飲み込めた途端、貞治の眼鏡は一層煌き、英二はニヤニヤが抑えられず口元を手で覆い隠した。
「にゃにーっ、そんな進んだ展開なの二人ってばー。」
「親公認か…これは面白い…!」
「これはみんなにお知らせしないとにゃー、乾、行こ!」
そうして不穏なオーラが消えうせた校舎の陰に最後まで気付くことなく、夕日が遮られる木立の中でリョーマはじっと国光を睨んだ。
「でも、俺は認めないから。」
「…真田のことか?」
ドキッとしてリョーマが肩を震わせた。とにかく断ろうとだけリョーマは思っていたのだが、どうやら南次郎は何もかも話していたらしい。クソ親父、と呟くと国光がそれを咎めた。
「そんなふうに言うのは良くないぞ、越前。南次郎さんは本当にお前のためを思っているんだ。」
「アンタ、騙されてるんだよ。親父のやつ、絶対面白がってんだ。」
「それだけか?」
リョーマが顔を上げると国光に真っ直ぐ見下ろされていた。少し圧迫感のある目に怯えながらリョーマはどういうことかと尋ねた。
「南次郎さんのしたことが許せないだけか。それにしては真田のことに妙に反応していたな。」
「…言ったら許婚の話、なかったことにしてくれんの?」
検討しよう、と国光が答えた。すると急速に瞳を切なく歪めたリョーマが、今まで国光の知らなかった顔をするものだから彼もひやりとした。彼女の口を塞いで、放たれる言葉を防ぎたくなった。何故だろう。
「部長、俺…。」
声の調子から言って冗談などでは決してなさそうだ。ああ、やはりこの子は女の子なんだな、そんなことを国光は改めて感じさせられた。
「真田さんが、好き。」
だからアンタと許婚になんてなれない、と言われたことに反抗心を覚えたのは、国光の意思だった。

――――――
腹括ったリョーマさん。



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