12. Tell me what, my friend.


※神の子も女の子。



白い清潔感の上によどんだ空気が居座っているのが分かる。ここに寝泊りするようになって随分が経っても彼女がここを、病院を好きになれないのはそういう感覚的な理由からだ。誰か窓を開けてくれないかな、とベッドの背もたれに体を預けたまま微かに横を向く。自分でそう出来ればいい話なのだが、生憎足が上手く動かない。こんな些細な日常の仕草にも自分の体に潜む病魔の陰が顔を出すのだから気が滅入って仕様がない。気を晴らすための窓の開け閉めにナースコールなど使えない。どうしたものか、と彼女が考えあぐねていると病室の戸がきっちり2回ノックされた。どうぞ、と部屋の主が答えればスライド式のドアが静かに開いて大柄な二人の少年がそこにはいた。
「幸村、調子はどうだ。」
「真田、柳。」
見舞い人の名前を読んだ幸村の頬は俄かに紅潮した。不安と退屈を持て余す日々の最中にあっては、幸村にとって時折やってくる弦一郎と蓮二の存在が心から嬉しい。ふわりと浮かべた笑顔を見て様子を窺っていた弦一郎と蓮二の顔にも安堵の色が現れた。
「今日は顔色がいいな。」
弦一郎がベッドの脇まで歩み寄ってそう言うので、幸村はくすりと笑った。そして窓へ目配せしながら部屋が暑いからかも、と答える。すると予想通り回り込んで窓に飛びついた弦一郎が急いで窓を開けるので、今度は蓮二を見て二人して声もなく笑った。
「どうした、何がおかしい。」
振り返った弦一郎が尋ねたが、蓮二は何でもないと言って軽く部屋の中を見渡した。
「花瓶がないな。」
「花瓶?ああ、花がきれちゃってね。」
残念そうに呟く幸村を見て今度は弦一郎と蓮二が顔を見合わせてほくそ笑んだ。ちょうどよかった、と蓮二が背に回していた手を前に持ってくると幸村から歓声が上がった。
「あ、カーネーション。」
「お前への見舞いは花ではずれがないから助かる。」
窓際で弦一郎が言うと幸村もすぐにそちらを向いて小さく声をたてて笑った。そのさまを見届け、蓮二はダッシュボードの上に黄色の花束を置いた。そして花瓶をもらってくると言ってさっさと部屋を後にした。
廊下に出るとつい肩を竦めてしまった。今日蓮二を幸村の見舞いに誘ったのは弦一郎だが、蓮二にしてみれば幸村への見舞いは弦一郎自身なのだ。病室へ戻るのは少しあたりをうろついてからにするつもりで彼はゆっくり歩いた。
「大会は…って言ってもまだ地区大会だから聞くまでもないかな。」
花びらを指先で摘んで遊びながら幸村が聞くと、弦一郎はすぐ表情を引き締めた。
「まあな、だが油断はない。常勝の掟は厳しく貫いている。」
弦一郎の「厳しい」だと赤也辺りは泣き喚くほどではないだろうか。想像するとおかしくなって笑いかけたが、ここで笑ったら弦一郎が怒り出すのは目に見えている。幸村は笑いをかみ殺して、ひとつ頷くと弦一郎を見つめた。未だに立ち尽くしたままの彼に椅子を勧めるとようやく座った。ついでに室内なのを思い出して帽子をとった、弦一郎のその仕草が懐かしく、そして改めて理由もなく彼のその瞬間が好きだと思い出して幸村ははにかんだ。ところが次に目を開くといつになく弦一郎の顔が憂いでいるように見えて驚いた。そうした幸村の表情の変化に気がついて弦一郎がどうした、と尋ねるので、幸村は首を振った。
「どうした、ってこっちの台詞さ。真田こそどうしたんだ。元気ないじゃないか。」
「……やはりそうか。」
「やはり?」
蓮二にも同じことを言われた、と伏し目がちになった弦一郎が膝の上で拳を強く握った。滅多に見ない姿に幸村は戸惑い、一度黄色いカーネーションに目をやった。胸の辺りがざわついていた。どうしてか弦一郎の悩みの続きを促したくない衝動が起こっていたが、花の色を見ているとそれは薄情だと思えた。
「話せるなら話してごらんよ。友達だろ。」
ぱっと顔を上げた弦一郎がまるで縋るような目をしていた。ますます嫌な予感が募るが薄く笑って応えてやると、開け放した窓から少し強い風が吹き込んで幸村は思わず目を瞑った。
「訳の分からんことを言われたのだ。」
顔にかかった髪を手でよけていると、幸村の目の前で堂々と座ってはいるもののまた俯いた弦一郎の困り果てた声が聞こえた。
「筋の違う話を同時にされれば普通、戸惑うだろう。だがそれを当たり前にやられてしまって…どうすることも出来なかった。相手の思惑が量れん。一体何なんだ。」
どっしりと重たい声なのにひどく弱く思えた。最初こそ驚きで目を瞬くばかりの幸村だったが、自分の予感が的中しているという確信が高まっていくにつれ弦一郎を見ているのが辛くなった。顔を背け、シーツの上で青白く垂れた自分の手が見えるとひどく忌々しい。花の色はまだちらちらとよく目につく。ふ、と息を吐いて幸村は無理矢理明るい声を出した。真田、と呼んでやると弦一郎は大人しく顔を上げた。
「その話、相手は女の子だろ。」
笑って言ってみせるとガタン、と椅子が悲鳴を上げた。座ったまま一歩退いた弦一郎の姿が間抜けだったので幸村はくつくつ笑い声をもらしたが、それでもちっともおかしくなかった。
「な、何故分かった!」
力いっぱい不思議そうに聞く声が愛しいのにわずらわしい。弦一郎の方を見ようとすると顔が歪みそうで、花の方を向いて幸村は返事をした。
「分かるさ。女の勘ってやつだよ。」
「何だそれは、分からん。」
「だから、君には分からないんだって。」
弦一郎の唸る声が背後でする。幸村の花を撫でる指が突然一枚、花びらをむしった。
「女の子ってそういうものなんだ。理由なんてないんだよ。考えなしなことはしないけど、感情的なんだ。」
「あいつの言ったことに意味はないと言うのか。」
あいつ、とか細い声で幸村は呟き、指の間で震える花びらが滲んでよく見えなくなった。深く息を吸って声に出る動揺を吐き出した。
「意味はある。でも理由はない。我慢して付き合ってあげてごらんよ。悪いことにはならないと思うな。」
君にとってはね、という声が一瞬ふらついたかと思って幸村は口をつぐんだ。そっと振り返ってもみたが、幸村の言葉が衝撃だったのか軽く俯いて何かを睨んでいるような顔をする弦一郎を見る限り悟られてはいないようだった。ほっとしたような、全くそんなことはないような、複雑な心地で幸村はベッドの背に体重を預けた。
それとほぼ同時に病室に蓮二が戻ってきた。押し黙ったままの弦一郎と疲れた様子の幸村を見てぎょっとしつつ、彼は取ってきた花瓶に黄色い花を活けてやった。けれどあまりに空気が重いので堪えかねて蓮二はそう言えば、と切り出して二人に声をかけた。
「黄色のカーネーションの花言葉は『友情』と…あと何だったか。」
弦一郎は上の空なのか、それとも花言葉に興味などないのか、恐らく両方だろうがとにかく反応がなかった。そして幸村はと言えば、はあ、と何だか苛立たしげなため息を零したあと、何かを憎むような声で漏らした。
「…『嫉妬』だよ。」
随分遅れてそうか、と相槌だけ打ち、蓮二はそれ以上何も言わなかった。少なくともこれ以上墓穴を掘りたくなかった。


――――――
昼ドラか。



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