11. Tell me what, my senior.


缶の中身を飲み干そうと一際仰け反ると風にざわざわと揺れる薄い葉が群れを成していた。隙間から日の光を零してくるから時折目が眩む。温暖で、湿気の少ないこの時期なら昼寝するのに丁度良さそうだ。空になったファンタの缶を自分の脇に置いたが、リョーマはベンチで仰け反ったまま後ろの背もたれに頭を預けた。大体予測のついている先輩の試合は華僑に差し掛かる頃だろうか。面白いところだけは見ようと思うからそろそろ戻ったほうがいいけれど、生憎ここは心地良い。
「…眠い。」
虚ろにリョーマは呟いた。
「越前。」
ところが突如降り注いだたった一言にギクリと体が跳ねた。それはまず間違いなくその一言にこめた気迫が並みのものではなかったからだ。男子テニスの都大会が催されている今日、この会場で青学の特別枠部員とも呼べるリョーマの名前を呼べる人はそう多くない。またよりにもよって、と少々怯えながら振り向けば、精悍な顔に備わった鋭い目が眼鏡越しにリョーマを見下ろしていた。部長だ。
「いい加減に戻れ。」
ぴしゃりと言われて四の五の言えるはずもなく、リョーマは顔をそらして低く唸った。
「ウィーッス…。」
くずかごに放った空き缶はカシャンと小気味いい音を立てた。
歩き出すと思ったより日差しが体温を高めてきた。暑いな、と思ったリョーマがジャージのファスナーを全開まで降ろしていると、落ち着いた足取りで前を行く国光が後ろを窺う素振りを見せた。そうかと思うと彼は軽く歩調を緩め、リョーマに声をかけた。
「どうかしたのか。」
漠然とした質問にリョーマは首を傾げる。
「何がッスか。」
「元気がない。」
そう言う頃には国光は前を向いていたが、足の運びは相変わらず遅いままだ。リョーマは一瞬きょとんとしたが、すぐに肩を竦めた。
「別に何も。」
リョーマがそういう答えを放り出すと国光は不意に立ち止まった。そして振り返るとじっとリョーマを見つめた。
「何スか。」
長身の彼に立ちはだかられ、思わず後ずさりそうになりながらリョーマが尋ねる。するとややあって国光は上体を屈め、膝に手をついてリョーマに近い目線にしてやるといくらか柔らかい物言いでリョーマに尋ね返した。
「部には慣れたか。」
その視線さえ鋭い目つきに不似合いな柔らかいものだった。臆すということを知らないような真っ直ぐの眼差しを食らってはそらすことも出来ない。結局リョーマも真っ直ぐ国光の目を見るはめになり、そのせいで彼の思惑はすぐに分かった。部に、というよりは彼らに、ということなのだ。
「ああ、まあ…。結構。みんな、体大きいけど、…怖くないし。」
ていうかうるさいくらい、と呟いたリョーマの唇が下弦を描くのを見届けると国光は軽く頷いて姿勢を元に戻した。
「そうか、それはよかった。」
安堵した感想を聞いてもう質問は終わりだと思った。しかしリョーマが彼の横をすり抜けて先に行こうとすると、だったら、と言葉が続いたので何故と思って振り返ればまた冷静になった目がストレートに問いかけてきた。
「原因は他にあるんだな。」
「何の。」
「元気がない。」
同じことを繰り返し指摘されてリョーマはムッと眉を寄せた。何としつこいことか。けれど国光の視線を振り切れる気はしなかった。ついさっき、彼を納得させられそうな逃げ道の口実を断たれたところだ。他に彼をやり過ごせる妙案はない。けれど洗いざらい話す気なんてもっとない。結局、例えばなんですけど、という前置きをする以外、上手い切り出し方は見つからなかった。
「誰にも言えない秘密を打ち明けようとする前に、その秘密を聞いても絶対驚かない、嫌な顔しない、…って感じの約束してもらおうとしたのに、相手が「うん」って言ってくれなかったら、ムカつきません?」
「『って感じ』とはどういうことだ。」
は?と思い切り怪訝な顔をしてリョーマが国光の顔を見ても、彼は微動だにせずどういうことだ、ともう一度言った。
「いや、別に…どうってこともないですけど…。」
「日本語として理解できない。『驚かない、嫌な顔をしない「という」約束』なのか、それともそういう含みを持たせた別の言葉だったのか、どちらだ。」
さわさわと側の木立が揺れる音を聞きながら、リョーマは甚だ激しくどうでもいい、という呆れを感じた。そんな細かいことが問題になるのか、いや、ならないだろう。
「部長…A型ですか、血液型…。」
「いや、O型だ。」
え、と非難の声をもらしたあとリョーマは絶句した。血液型がどうした、と国光に聞かれても曖昧なことを言ってリョーマは答えなかったが、そういえばO型って変なことにはこだわるんだっけ、と思い直すと話の筋を無理矢理戻した。
「えっと、直接『驚かないで』って言ったわけじゃないッス…。」
あまり細微まで話すことのないようにリョーマは顔を逸らしながら言った。国光はその様子をじっと見ていたが、ふむ、と相槌を打って緩く握った手を口の辺りに持っていった。そしてやや重い声音で答えた。
「不思議だな。」
「不思議?」
リョーマが顔を上げると国光はひどく真剣に考え込んだ顔をしていた。
「誰にも言えない秘密、と言ったな。それはやはり大層なことなんだろう。」
「はあ、まあ。」
「なら、『驚かないでくれ』というのは無理があるんじゃないか。その約束は些か感情に訴えすぎていると俺は思う。」
リョーマは顔を顰めた。国光の物言いが難しく、完全に理解できなかった腹立ちと、少なくとも自分の方に非があると言われたのだけは分かったので、殊更それに苛立った。リョーマのそんな子供っぽい表情を見た国光は目を閉じ、リョーマに分からない程度に薄く微笑んだ。澄ました顔ばかりするリョーマだから歳相応な表情は珍しく、面白い。そして彼は歩き出しながらこう付け加えた。
「あくまで俺の見解だ。そう気にするな。」
国光の背中が小さくならない内にリョーマはそのあとについて歩き出したが、気にするなというのは俄然無理だった。目の前に投げ出された理解の行き届かない難題を、スカッと打ち返さないわけにはいかない。負けん気がリョーマの腹の底でふつふつ音を立て、さっきまでの眠気はすっかり吹き飛んでしまっていた。


――――――
前回の長さにびっくりして今回から短め。



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