※パスは8888[12禁〜]





03.04≫追記

真田家の一階、南向きの一室は暖かかった。北向きで、凍てつくようであった弦一郎の自室と比べると歴然の違いである。
彼がその温かな部屋に駆け込むなり、彼の首に腕を絡め、その背にだらんとぶらさがっていたあの猫耳尻尾の少女が、唐突にぱっと離れた。
西日でオレンジに光る畳の上は見るからに温かそうで、案の定、そそくさと少女はそこに陣取るとほっとしたように丸くなってしまった。
だがそれがどうした。部屋のタンスを全部こじ開け、既に襖を全開にした弦一郎は、まるで気でも狂ったかのように布という布を引きずりだしては放り投げていた。さながら室内は服の雨である。
彼には重大な使命が、自分で勝手に作り上げたのだが、課せられていた。即ち、今やすっかり布の山で生き埋めになっているほぼ全裸の、しかも越前リョーマ似の小娘に、直視できる程度の衣服を用意してやらねばならない。そうでなければ女の正体を突き止めるなどという悠長な段階にはとても入れないのだ。
別段、あんな貧相な体に易々と欲情することはない。しかし所謂彼シャツ状態を得体の知れない女にされていて嬉しい通りもないのである。
やがて細々手の内に服の一式が揃ってきた。振り返った弦一郎は大海のように散らばる布どもに、改めて理性を取り戻した自分を感じた。けれども窓際で、一際膨れ上がっているうねりを掻き分け、出てきた丸まる己のシャツとその上でパタパタと機嫌良く振れる尾に、心の髄まで罪悪感は削ぎ落とされた。全くもって、この散乱具合は弦一郎だけの責任ではない。当然だ。こんな人外の代物を前にして、平静で居られる奴がいるならば何とも面を拝んでみたいものである。
はあ、と弦一郎がため息すると、ぶしゅん、と猫耳女の背が浮いた。生き埋めから解放されたがむしろ寒いのだろう。やれやれ、と弦一郎は女の肩を揺すった。
「こら、起きんか、小娘」
何度も揺するとようやく少女が目を開けた。震える睫毛や大きな瞳は実に美少女然とした様相である。が、その後の目付きに弦一郎は面食らった。
据わっている。存分に迷惑だ、と伝えてくるその目はもはや三白眼と呼んで差し支えない。反射的に弦一郎が睨み返すと妙な間が生まれた。一触即発、少女が牙を剥くが先か、弦一郎の鉄拳が下るが先か。後は開始のゴングを待つばかり、というところで畳に爪をたてた少女が再度、ぶしゅん、と鳴いた。
そこではっとした弦一郎は、腕に掛けたままの、もう温くなった服を見下ろした。しかし腹の立つ目付きも忘れられず、結局すっくと立ち上がった彼は、顔を洗っていた猫耳女の頭にそれを投げ落とした。
「ぶみゃ…!」
「ふん、寒いならそれでも着ていろ、猫もどき」
はき捨てるように言って弦一郎は服の海の中を慎重に歩いた。そして廊下へ続く襖に手をかけると、背後で頭に落とされた服と格闘していた少女が一言、フシャー!と吠えた。一丁前に立腹したらしい。振り返りはせず、もう一度鼻で少女をあしらって、弦一郎は後ろ手に、静かに襖を閉じた。

弦一郎は自室に引き返した。学校から戻ったままの制服姿でいたためだ。やはり至る所に毛がついている。思わず舌を打った。これ以上あの女と接するのに、今の格好は不都合だ。変わらずひんやりした部屋で弦一郎はさっさと服を着替えにかかった。

ネクタイやブレザーの窮屈さから解放されると、首を何度か鳴らして、ふ、と息がつけた。冷静さは大分戻ったようで、今降りている最中の階段の軋む音を聞きながら、弦一郎はここらでひとつ、階下の女のことを常識的に捉えてみようではないか、と思案した。
まずはあの猫耳も尻尾。どちらも精工な作り物ではないか。
ではあの顔は。思い切って、意外とあれは越前リョーマ本人かもしれない、という発想はどうだろう。前から顔だけは可愛いものだと思っていたから、実は女だったと言われても納得できそうである。
うん、うん、と顎に手などやって二度、三度頷くと、弦一郎は階段を降りきった。その瞬間、よろりと壁に手をついた。膝が砕けかけたのだ。安定を得ると彼は驚愕の表情で床を、ぎっ、と睨み付けた。
許せぬ。最後のばかりは許せぬことだ。もしも越前リョーマが女だったならば、あの関東大会決勝戦の敗北の意味は大きく違ってきてしまう。そんなことになれば弦一郎の分厚い自尊心はズタズタどころかプレス機がけの紙切れ同然。だったら早い話、首を括ろう。
そういう訳で、最後の仮定は無い方向で、としっかり己の心に刻みつける。ようやくゆらりと立ち直った弦一郎はそんな心中の支えで居直った。
そしてあの越前リョーマ似の、人間かどうかは分からないが、とにかく越前リョーマではない誰かがいる部屋の襖へ再び手をかけた。
「む」
部屋の中は依然として西日で明るく、衣服で犇めいていた。ところが猫の姿は見当たらない。どうしたことか、と弦一郎が目を見張った。そのとき、ブン、という耳慣れた音が微かにした。
もしや、と首を巡らせた彼は、やはり、と目を険しく細めた。
居間へ続く戸が僅かに空いていた。さっきのは居間に置いてあるストーブのつく音なのだ。

「何をしている…」
呆れて物も言えない口で、それでも弦一郎は小言をもらした。
居間に入った彼が一番に目にしたのは、すっかり気持ち良さそうに目を閉じて、ストーブの前で再び丸くなっている例の猫耳女であった。
人様の家でいけしゃあしゃあと暖をとるとは何事だ。しかも暖房器具で。
ただ唯一良かったことと言えば、猫耳女の格好くらいのものである。さっき渡した衣服は、どうやらほとんど着こなしていた。紺色のやや大きいパーカー、カーキ色の短パン。どちらも弦一郎のお古であるが、まともに着用している。やはり頭の耳や短パンからはみ出た尻尾は異様ではあるが、何とか見れる姿になったものだ。
感心共々しゃがみこんだ弦一郎は眠りこける少女をじっと見つめた。というのも、この娘、考えてみれば随分と人間のものを使いこなしている、と気付いたためだ。ストーブのつけ方も服の着方も、もっと言えば弦一郎の蔑みも、この人間もどきは理解して、怒りさえしていたのだ。
ということは、やはり猫と見るより人間と捉えるべきなのか。
それから、ふむ、と考え込もうとした矢先、弦一郎の額を、やおら、べしり、と叩きつけるものがあった。つまみ上げれば黒くてふさふさで、やや太めの温かい尾っぽであった。
「温かい…」
呟いて弦一郎はさっきの仮定のひとつを消さなければならなくなったのをひっそり嘆いた。そして途端、嘆きが腹立ちに転じてしまう。
無理からぬことであった。先程から何が起こっているか全く分からない。だから弦一郎がこんなにも首を傾げ傾げして悩んでやっているというのに、その種たる女はストーブの前でぬくぬくと夢の中。ふてぶてしいにも程がある。
片頬をひくつかせつつ、弦一郎は、ぬっ、と手を伸ばしてスイッチを切った。明々と灯っていた熱が力なく萎れていく。悲しきかな、電気器具の定めに従うストーブに、腕枕に埋めていた顔をさっと上げて気付いたのは勿論、猫だ。
「…何だ、その顔は」
そう弦一郎が指摘した猫耳女の顔や、即ち、嫌悪そのもの。ありったけの憎しみを込めた目が、ねっとりと弦一郎を上から下までためつすがめつ。それから割とあっさり視線を流した少女の小さな手が再びスイッチをカチリと押した。が、つかない。俄かに目を丸くした猫耳娘は幾度かスイッチをカチカチ押す。それから首を傾げていると、ブンブン、と何かが振り回される音に彼女の耳が顔を向けた。遅れて目がそちらを向いて、瞬時に、すっ、と細まってしまう。少し幼く、愛らしい顔立ちがまさに台無しな目付きは険しく、視線の先には見下すような無表情が居座っていた。今やどっかりと畳に腰を下ろした弦一郎である。その手には綺麗な円を描いて回っているコードとプラグ。
猫耳女がぺたりと座り込んだ姿勢をやや低くした。食い入るように回るコードに合わせて軽く顎を上げ下げしている様は愛玩動物らしく微笑ましい。しかし弦一郎にはゲテモノを愛でる趣味はない。
「欲しいか」
低い声音の問い掛けに猫の耳が、ふっ、と浮く。首振りをやめ、無言で彼女が目を彼に向けた。一重ながら大きな瞳が期待のこもった瞬きをする。それを、はっ、と笑い飛ばすと弦一郎がざくりと一言。
「やらぬわ、たわけ」
どべしっ、と鈍い音が静かな居間を揺るがした。それは弦一郎の言葉から間髪入れず起こったもので、冷めた目で自分の手を見た弦一郎はついでに床へ落ちたプラグも見つけた。その脇には猫パンチよろしく丸まった拳が控えており、なるほど、この手の甲にじんじんと響く痛みがその拳によってもたらされたことは一目瞭然だ。
執着のない小さな手は、さっとプラグを拾っている。悪びれたところもなく、反省の色など兆しも皆無。
ふう、と弦一郎は息を吐いた。
よろしい、ならば躾の時間だ。

真田佐助は勢いよく玄関の戸を開けた。何故なら機嫌は上々で、学校帰りに出くわした祖母が、彼に買ってくれたマフラーは実に肌触りが良い。白い靴下でトタトタと冷たい廊下を駆け抜けた。凍てつく木製の床には適わない。早く居間のストーブにかじりつこう。夕暮れの家の中は薄暗く、それだけで人の気配がないように錯覚した。何の疑いもなく、ガラリ、と障子を開けた佐助は、固まった。
彼には伯父がいる。と言っても伯父はまだ15歳で、佐助にもそんな親戚関係はあまり意識できていない。けれど伯父の顔立ちは歳の割に老けていて、ふざけて「おじさん」と連呼することはしばしばあった。
そんな伯父が、これほど冗談でもなく「おじさん」に思えたことがあるだろうか。
それは恐らく、彼の顔のすぐ側に、やや幼い、けれど佐助よりはずっと年上の人の顔があるからで、また、体付きから知れたが、彼女の体が伯父と比べて随分と小さいからだろう。
それにしても奇妙な光景だ。伯父はさっきからひどい顔を佐助に向けて固まっている。少女は仰向けになって広い額を存分に晒しながら、無関心に、やはり佐助を見つめていた。佐助から見てもかわいいその人の耳には黒くてふわふわした猫の耳。伯父の足の間からは同じ毛色の尻尾がちらちら揺れている。そして痛み分けとでも言うべきなのは、少女の手を押さえ付ける頑丈な伯父の手と、伯父の腰に巻き付いている細い少女の両足だ。やんちゃな子供の部類に入る佐助にはそれが格闘の後だとすぐに分かった。同時に普通、男の子と女の子が格闘ごっこをしないことも知っていた。
佐助の心は不意に浮かんだ。とびきり変なものが目の前に並んでいて、おまけに伯父が、あの堅苦しい伯父がそれに絡んでいる。
こんなもの、からかうより他ないではないか。
唐突に来た道をとって返した佐助に驚き、弦一郎は慌てて身を起こす。しかしながらすぐ、派手な音を立てて畳に伏してしまった。爪が立てられる痛みを感じて足の方を、キッ、と睨めば、無表情で彼の左足を少女の手が引っ掛けている。折角大人しくさせようと掴み合いに勝利し、組み敷いたのが、どうも全く利いていないようだ。けれども弦一郎は前を向いた。今はそれより遠退いていく甥の足音が気に掛かる。ずりずりと畳の上を這いずって、ついでにずるずると一緒に引きずられてくる猫耳女が欝陶しくて適わない、と思いつつ、弦一郎の上半身がやっと廊下に至った。直ぐ様、玄関の方を向けば、廊下の端に甥の背中が見えた。
「おばーちゃーん!弦一郎が女の子と『ネコミミぷれい』してるー!」
ぎょっとして弦一郎は息を飲んだ。以前からこまっしゃくれた子供だとは思っていたが、よりによって聞き捨てならないことを言ってくれたものだ。我に返った弦一郎は大慌てで甥の早熟すぎる一言にこう叫びかけた。
「どっ、どこでそんな言葉覚えたー!」




――――――

ぬこ越前は温かさが得られれば

真田などどーでもいーのです。


≫ぬこぬこ越前

prev | next





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -