暗緑の灯火
それぞれに
ジュディスはダングレストとノードポリカにも立ち寄り、強引かつ迅速に皆をさらった。
夜にはすでにまたヒピオニアの街へと戻っていたので、バウルには相当頑張ってもらったようだ。
ラナは皆をさがして、街をふらふらと歩いていた。
ゆっくり散歩でもしているように見えただろうが、走ったりするのはもう難しいようだ。
リタがあの後皆に魔核のネットワーク構築について話をしてくれたようで、ウィチルにも説明ができたそうだ。
渋ってはいたものの、今朝の書類を元にアスピオの魔導士と早速取り掛かってくれているらしい。
「ラナ、お疲れ様」
トン、と肩を叩かれ振り返ると、フレンが居た。
彼はどんな顔をしていいのかわからないな、と頬をかく。
「ちょうどよかった、フレン。ちょっと話をしよう」
ラナは草むらに腰を下ろす。
フレンも同じように草むらにどさっと腰を下ろし、彼女の正面に座った。
「うん、やっぱり顔をみておきたいね。隣に座ろうかと思ったけど、
こっちのがいいや」
フレンはにっこり笑って言った。
「珍しい、鎧もつけてないとはね」
「今は休憩中だよ。騎士としてじゃなくて、幼なじみとしてラナと話をしたくて。色々あったこと全部聞いたんだ、ユーリから」
「……ん、そうか」
「ヨーデル殿下からも、正式に退団したと聞いた。剣を返されたってさみしそうにおしゃっていた」
「…だな」
「僕も色々思っていたことがあってね、ほんとに色々言いたかったんだけど、言いたい時にはいつも君がいないんだ」
「悪かったな」
「うん、だから今まで言いたかったことは、もうどうでもよくなった。ウィチルから魔核ネットワーク構築の事も聞いた。だから君に説明してくれなんて迫るつもりもない。神様がどうとか、この星の人じゃないとか、僕にはスケールが大きすぎて、正直こんがらがってる」
「…だろうな」
「でも変わらない事があって、ラナが僕の幼なじみって事は君が神様でもなんでも変わらない」
「フレン……」
「人は必ず死ぬ。誰だって同じだけど、それは選べない。けど僕は君にお別れを言える時間がある事を嬉しく思う。もちろん生きてて欲しいけど」
「責めないのか?」
「責めないよ。誰も君を責めたりしない。でもこれくらいは許して欲しいな」
フレンはそう言ってラナを抱き寄せた。
ぎゅうぎゅうと締め付けるくらいに強く抱きしめて、はぁっと息をはいた。
もう何も言わない彼を、ラナは抱きしめ返した。
体温を感じられないのに、なぜが腕の中が暖かく感じる。自分の周りにあるものに気が付くのが遅すぎた。
ラナは後悔と自責を心の奥底にしまい、フレンの胸の中で目を閉じる。
何分そうしていたかわからない。
フレンが鼻をすする音がしてきて、彼は体を離した。
「他にも君と話をしたい人がいるみたいだ。ラナ、それじゃあまた明日ね」
「…ん、また」
ラナは笑顔で手を振るフレンに、同じようにゆるく微笑み返して手を振った。
「わりーね、邪魔しちゃった」
ひょうひょうと現れたレイヴンは、ラナの隣に腰を下ろした。
「レイヴン、調子はどうだ?」
「おお、お陰様で第二の人生満喫中よ」
ひひっと笑ったレイヴン。
コツコツと胸の魔導器を叩いた。
「そりゃーよかった。どうなることかと思ってたんだよ」
「後輩に心配かけてちゃ、隊長主席としちゃ決まらねーな。ま、俺様ただのレイヴンだけど〜」
「騎士団より、ギルドのがいいか?これからはどっちのレイヴンでいくんだ?」
「どっちもこっちもレイヴンったら、ただのレイヴンよ。騎士団もギルドもどっちでもいーさね」
「なんだよ随分柔軟になったな」
「ま、色々あったしね。ラナちゃんも、ちょっとはお陰様でって感じだわ」
「そこは私のおかげだって言えよな。しつこくダミュロン、ダミュロン、呼んでてやったのに」
「まぁ…逆効果でしょそれ?」
「は?嘘?なんでだよ」
「半分嘘で半分本当。呼ばれて悪い気はしてなかった自分と、イラついてた自分と半々だった。今を否定したいような、受け入れたいような。なんつーかまぁ、あん時の経験が半端なく壮絶な絶望すぎて、生きてた自分が取り残された気がしてたんよ。仲間と一緒に死なせて欲しかったって」
「死なせて欲しかったか…」
「ほんでも…生きててよかった、なんて今更思ったりしてさ。案外人って図太いもんよ。だからラナちゃんも、残してくもんの心配なんていらんよ。今は自分の気持ちに素直でいてよ。みんな謝られたってつらいっしょ」
「そうか……ありがとな、レイヴン」
「いや、お礼言いたいのはこっちだわ。とりあえず、物知り顔で現れたクソガキとか思ってたこと、一応あやまっとく。スマン」
「そんなこと思ってたのか…10年越しに謝られても困るぞ」
「うそうそ、ほんじゃ、後つかえてっから、おっさんはもう寝ます」
レイヴンは身軽に立ち上がって、スキップでもするかのように軽快に宿屋へと戻っていく。
それから隣に座ったのはカロルだった。
「……お別れを言うのは嫌なんだ」
彼はグスッと鼻をすすり、目をこすった。
「カロル…」
「ボク、ラナのこと尊敬してるよ。ドンと同じくらい、ううん。それ以上かも」
「身に余る言葉だなぁ…」
「ユーリと旅するようになってからいろんな事がありすぎて、びっくりすることや怖いことばっかりなんだ」
「楽しくなかったか?」
「楽しいよ!でも悲しいことも多かった。それでも、ラナやユーリが居れば大丈夫って思ってた。それでね……最近はボクたちなら大丈夫って思うんだ」
「そうだな、みんながいるからな」
「うん。それを教えてくれたのはラナだよ」
「学んだのはカロル自身だろ」
「えへへ…ありがとう」
「どういたしまして」
「本当はね……もっとなんとかできるんじゃないかって思ってるんだ。きっとリタも…ユーリも、みんな思ってる。時間がない事もわかってて、はやくデュークを何とかしないといけないから、星喰みをやっつけちゃわないといけないって事もわかってる。けど…それを理由にして、諦めるのはボクは出来なくって……」
だから、とカロルが涙をこらえる。
「せめてラナが…本当はどうしたいか教えて欲しい…」
カロルはうっうっと息をつまらせ泣いていた。
このまっすぐな少年に、本音を話してきたことがあっただろうか、なかったな。いつも誤魔化してはぐらかして、のらりくらりとかわしてきた。
ああ、悪いことしてたなぁ…とラナは目頭が熱くなる。
「ごめんな、カロル。本当は……ほんとは…生きたいよ…ずっとずっと、まだまだこの先を、凛々の明星がどんなギルドになって、どんな世界を生きていって、それをみんなと一緒に……できることなら……」
「……うん、うん……一緒に……」
カロルは何度も何度も涙をぬぐう。
それでも次々溢れて止まらなくて、息苦しいほど泣けてきた。
この気持ちはどうすればいいんだろう、どこにいけばいいんだろう。星喰みを倒したって、ボクは嬉しくない、ラナがいなくちゃ嬉しくないよ、カロルは心の中で叫んだ。
言葉が出ない。
涙ばっかり溢れてきて、どうしようもなかった。
ラナを困らせているのはわかっていた。
どうすればいいのかわからないから、どうすることもできないから、みんなが納得していないのは明らかだったのに、誰もそれを声に出して言わないから、ラナがそれを言ってくれなかったから。
「……ごめんね、ラナ……こんなこと言っても…困るよね…でも…でも…ボク……」
「ありがとうカロル」
ラナはポンポンと彼の背中を叩いた。
まだ小さな、少年の背中。彼はどんな大人になるのだろう。
どんなボスになるのだろう。
これからどんなことを、どんな風に乗り越えていくのだろうか。
自分はもういない世界の事を考えてみる。
それが無駄でないと、自分のやろうとしている事が無意味でないと思いたかった。
しゃくりあげながら何度も目をこすり、やっとの事で腰をあげたカロルのあと、次に現れたのはエステリーゼだった。
彼女は赤い目をしていたから、自分のために泣いてくれたのだな、とラナは胸が苦しくなる。
「こんばんは、ラナ。隣、いいですか?」
エステリーゼの言葉にラナが静かに頷くと、彼女はぴったりとひっついて隣に腰を下ろす。
何を言われるのかと待っていたが、彼女は口火を切れずにいるようだった。
結界のない空を星が煌き、それを2人して眺めていると、しばらくしてエステリーゼが話し始めた。
「ラナの事、大好きです。1人の騎士としても、人間としても、ラナが大好きです」
エステリーゼは返事をまたず、言葉を続ける。
「みんなラナが大好きです。ラナの事、心配しています。でも出した答えの邪魔はしたくないし、かといってそれを歓迎もできないんです」
「わかっています。放っておいてくれとは言えないです」
「星喰みの事、デュークの事、それがなければラナの答えはもっとかわっていたでしょうか?」
「……いえ、どうせ朽ちるのであれば、最後まで戦い抜いたと思います。それが私の信念です。誰のためでもない、自分のために世界を…みなを護りたい。ただ、ただ…それだけです」
「……私、この旅でいろんな事を知りました。自分が知るはずのなかった、知らされるはずのなかった事も、だから無理矢理にでも旅を続けてよかったと思っています。もちろん、ラナにもみんなにもたくさん迷惑をかけたとわかってはいるんです」
「私は、もっとエステリーゼ様にしてあげられる事があったのではないかと、今となっては反省も多いですよ。でもあなたは逃げなかった。ご自身の運命に立ち向かい、仲間と乗り越えた」
「……何度も逃げました。目を背けて、気持ちを誤魔化してきました、いままでずっと……でももうしません。ラナが教えてくれた事、ラナが言いたかった事、今はわかります。なんでそんなに意地悪なんだろう、全部最初から教えてくれたらよかったのに、って思った事もあります。けど、どうして旅する事を見逃してくれたのか、どうしてフェローと話をする事を選ばせてくれたのか、それを考えたら、全部私のためでした」
「そんな大げさなものでは……」
「大げさなものなんです。私が頼りなく見えるのはわかっています。皇帝としてふさわしいとも、到底思えません……ですからこれからそうなっていけるように頑張ります。見ていてください。神様になっても、何になっても」
「はい…もちろんです」
ラナは強く頷いた。
エステリーゼにぎゅっと手を握られ、彼女が澄んだ瞳でこちらを射抜いても、目を逸らさずに、その華奢な手を握り返した。
正解はない。人生に見本などありはしない。
どんな形であれ、どんな結末であれ、歩んだ命が無意味になるわけではない。エステリーゼはそう信じていた。
そしてラナの気持ちを変える事も、自分にはできないとわかっていた。
泣きわめいても、たとえすがりついても。
では私は失礼しますね、と言ったエステリーゼの入れ替わりにやってきたのは、パティだった。
彼女はちょこんとラナの正面に座り込むと、いつになくすました様子でこちらを見上げた。
「なんだよ、次から次へと……私がいない間に申し合わせでもしたのか?」
「うむ、そうじゃな。せめて最後まで笑顔でいようと。リタ姐が言ったのじゃ」
「モルディオが?」
「泣いておったかの、素直でないところもリタ姐のよいところなのじゃ」
「そうだな…」
「で、ウチは…」
パティはコホン、と咳払い一つして姿勢を正す。
「ウチはパティじゃ。パティとして今から話をするのじゃ」
彼女の前置きに意味があったのかはわからない。
そこに見えた表情は、10年前に引けぬ戦いがあるのだとラナの言葉を拒絶した、アイフリードそのものであったから。