暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



遺す者



怪我人を介抱してやっと一息ついた時には、すでに空は星で輝いていた。
今後のことを話し合うユーリ達とは距離を取り、ラナは隠れるように小さくなっていた。

体が朽ちて行くのを、感じていたのだ。

「……時間が足りない」

彼女は唇を噛み締め、まるで急に老いたかのように重い身体を恨んだ。
せめて最後まで満足に動いてくれればいい、そう思っていたが、人の身体はそう上手く出来ていないらしい。
ユーリ達について行くには、少しばかり足でまといだろう。

「あとひと月もてば良い方かの」

聞き慣れた声がして、ラナは慌てて顔を上げた。
まさかそんなはずはない、と一瞬の疑いは、目の前の人物を捉えた瞬間にバカバカしいと思えた。
ああ、そうだ。
この人は私なのだから。

「イザナミ、この世界に姿を見せることができるのか?」

ラナは、自分と同じ顔にそう問いかけた。

「ふむ、そのようじゃ」

彼女は心底奇異な事だ、と言わんばかりに小首をかしげる。
もちろん、今までは出来なかったのだ。
それが意味することがなんなのか、もはや2人の間で確認は必要ない。

「……不思議だ。まるで鏡に話しかけているみたいで、気が変になりそうだ」

「そうであろう。おぬしはわらわと、ともに在るのじゃ。その身体に宿っておっても、今やわらわとおぬしは同じもの。鏡とは、的を得ておるのう」

イザナミはそっと唇に手を添え、取るに足らない事であるかのように頷いたので、ラナは意図せずため息をこぼしていた。
それに不満そうに目を細めたイザナミは、言葉を続けた。

「おぬしの身体は、星喰みをなんとかするまで保たぬ。ここらが潮時じゃ」

「………だろうな」

「明日はまともに剣すら振り抜けぬであろうな」

「ああ」

「7日もすれば、歩く事も出来ぬのう」

「……」

「そうして10日もせぬうちに起き上がる事もできず、意識だけがわらわへと流れ、おぬしは個でなくなるのじゃ」

「それが死ぬってことだ、違うのか?」

「人としてはそうであろうな」

「………」

ラナには、彼女が何を言いたいのかわかっていた。
しかしそれは、自分にとっては辛い事。
わかっていても、聞きたくない言葉なのだ。

「わらわとて、最後までやらせてやりたいがのう」

「…みなまで言うな、ってやつだ」

ラナは立ち上がり、イザナミの横を通り過ぎた。
そしてイザナミもまた、夜の闇へと溶けるように姿を消した。
誰かが見ていたら、さぞかし奇妙な光景だったに違いない。

ラナは腰に下げる愛刀さえも重く感じた。
己の身体のように感じていたのに、そう思っていたときが遠く、とても手の届かない事に思えた。
一歩、また一歩と足を踏み出すたび揺れる剣に、こんなにも違和感を覚える日がくるとは。


「ユーリ、ちょっといいか」

ラナはフレンたちと話していたユーリの背中に声をかけた。
もちろん、凛々の明星の面々も一緒だ。

「どうした?」

これからラナが言う言葉を、爪の先程にも察してなどいないユーリ。いつも通りの表情だ。
そんな彼の肩の向こうでフレンもこちらを見ている。

「これからどうするんだ?」

ラナは兎に角いつも通りを通したくて、なるべく軽く感じられるように努めて言った。

「ああ、それなら、魔核を精霊に変えるって話でまとまったんだが、一応ギルドや帝国に話を通そうって事で、今からちょっくらひとっ飛びってとこだ」

「そうか…悪いが私はここで一旦別れる。エステリーゼ様の護衛を頼むぞ」

「…?…それはいいけど、急になんでだよ」

ユーリは予想通り怪訝な顔をした。
もちろん、フレンやカロル達も。

「一緒には行けないが、できる限りの事はする。まずは、魔核を精霊に、だよな」

「ラナ?」

エステルが首をかしげた。
夜にも溶けない桃色の髪が揺れる。

「エステリーゼ様、ご武運を」

「……どう言う事だ?」

ユーリはムッと顔をしかめ、どこか不安さを映した瞳でラナを射抜いた。

「もう戦えない、身体が思い通りに動かないんだ」

「そんな…!」

エステルは白い手袋をした両手で口元を覆い、肩を震わせ、みるみる顔色が変わる。
何も言わない皆も明らかに動揺していた。

「……わかった。無理すんな…俺らはユニオンと戦士の殿堂に話しつけてすぐに戻る。だからここに居てくれ」

「……ああ」

ラナはユーリの物憂気な視線に、どこか後ろめたそうに頷いた。
それは申し訳なさから来るものなのか、悔しさから来るものなのか、本人でさえはっきりと感じ取る事ができずにいた。

「モルディオ、何か手伝える事があるかもしれないから、アレクセイの研究資料に目を通しておく」

「わかったわ、魔核と魔核を繋げて、一つの精霊化を全てで連鎖的に起こるようにしたいの。魔核一個一個回るわけにはいかないから」

「……魔核を繋げる…か、出来なくはないな。聖核も元は同じものだ」

気遣うような視線が嫌だった。
ラナは彼らに背を向け、じゃあまた後で、と手を上げ立ち去った。
ユーリが何か言っていたが、聞き返す気にもなれなかった。



その晩、ギルド、幸福の市場によって仕切られ、騎士団とギルドが協力し合い、ここにそのまま居住地が築かれはじめた。
負傷者を移動させるよりも、安全で安上がり、おまけに良い案だ。

ラナはその大工事には関わらず、ウィチルから預かったアレクセイやバルボスの遺した研究成果の資料を元に、リタへ渡すための解答をまとめていた。
ネットワークについては存外単純なもの…主にアレクセイの入念な下調べのおかげだが、精霊化の知識を持ってすれば解はすでに出ているも同然だった。
だが、一つだけ大切な事が抜けている。
ラナは紙束を持って立ち上がると、ウィチルのところへと足を早めた。


重い身体を引きずるようにして、騎士団のキャンプへと入り、彼女はウィチルがここで作業してますから、と言ったテントに入った。
彼は計算式を書きなぐった紙の山に埋れかけながら、そうしていまも必死になにかをかきなぐっていた。
研究者とは皆こうなのか。
その背中はリタととても似て見えて、親近感を覚える。

「ウィチル、忙しいとこすまない」

そう声をかけると彼は一瞬驚いて肩を震わせた。
よっぽど集中していたようで、あせあせとこちらを向いた。

「魔導器のネットワークのことなんだけど、案外簡単にできそうだ。けど一つだけ抜けてるとこがあるから、ちょっと意見を聞きに来た」

「抜けている…ですか?」

「ああ。魔核同士を繋げてネットワークを作ったところでいっぺんに精霊化させるほど安定したつながりにはならないだろう。アレクセイの資料ではそこまでの大きなエアルの動きを想定していない。途中で破綻する恐れがある」

「確かにそうですね、いま計算の途中ですが少し心許ないとおもっています」

ウィチルは紙の束をいくつかパラパラとめくって、眉間にシワを寄せている。
同じことを考えていたらしい。
彼も優秀な魔導士。リタの突出した才能に彼は劣等感を感じているようだが、その必要などないほど彼も立派な研究者だと思う。

「それで思ったんだけど…魔核同士を直接繋がずに一旦経由地点をつくるのはどうだろうか」

「………経由地点ですか。悪くない案ですね。魔核同士をつないでしまうとやはりどう計算しても無理がでるんですよね」

ウィチルはうんうん頷いて髪をぴょこぴょこさせると、言葉を続けた。

「問題は経由地点です。アレクセイは聖核を介する方法も検討していたようですが、ボクは逆にエアルの密度が薄いのものの方がうまくいくと思うんです」

「うん、私もそう思うよ」

「副団長もですか!?やっぱりボクの仮説に間違いはなかったんですね」

自信と輝きを取り戻したように彼の表情が明るくなった。
メガネの下で瞳が潤む。
1人で長時間考え込むというのは、なかなか大変な作業らしい。
それに結果や肯定がついてくるのが目的なので、彼としても賛同者が現れたことは救いになったようだ。

「ですがそういったものを見つけるのが難しいんですよね。妙案が見つからなくてずっと計算してたんですけど…」

「むりだった、と」

「はい。精霊化現象が未知数すぎますね。データもとれていないですし」

ウィチルはすっかり困った様子だ。
ラナは助け舟を出すかのように口を開く。

「私がその経由地点になれると思うんだ」

彼はキョトンとしてから間を置いて首をかしげた。
ラナは以前リタにつけられたブレスレットを彼の前に差し出して、端にあった椅子に腰を下ろす。

「これはモルディオが作った、体内のエアル保有量を計測するための装置だ」

「体内の?なぜわざわざそんなもの…」

「どうも私の体は特殊らしい。体内にエアルが存在しないみたいだ。ウィチルそれの起動のしかたわかるか?」

ちょっと待ってください、と彼は装置を調べ、リタがやっていたようにモニターを浮かび上がらせた。
そこに記されるエアルの数値は、記録上もずっとゼロのままだった。

「……この装置は本当にキチンと計測器として機能しているんですか?」

ウィチルの疑わしげな視線はもっともだ。
試しに自分の腕にはめてみろ、と促すと彼はしぶしぶそれに従い、またモニターを表示させた。
その数値をみてメガネをくいくいと心地悪そうに直すのだが、数字はかわらない。
彼の体には一定のエアルが含まれているようだ。

「……しかし、副団長の身体が特殊だとして、なぜこんな研究を……」

彼はわざわざこれを確かめることが、どうにも腑に落ちない様子だった。
そこまで説明してやるのは少し骨が折れる。
ラナはブレスレットを再び己の手首に戻すと、それで、と切り出した

「私の体を経由地点にすることは可能か?」

うーんと彼は困ったようにうめいて、神妙な顔をする。
何か問題があるようだった。
ラナはそれにおおよそ察しがついたが、彼にいうのははばかられる気がした。
死を待つばかりの体。
それを彼に伝えなくては事が始まらないと言うのに。

「私の体を使う事でモルディオに渡す回答をまとめてくれないか?」

「……お言葉ですけど、副団長…安全かと聞かれたらボクは頷けませんよ」

「…ん、そうだな。でもリタが帰ってくるまでに頼む」

嫌な事頼んですまないな、とラナはテントを出た。
残されたウィチルはぶんぶんと首を振って、自分の考えを振り払い、副団長の望むものを書き上げるために机に向き直るのだった。


翌朝、戦いがあった場所に、街と呼べるほどのものが完成したのは、夜を徹して必死になったギルドと騎士団の面々のおかげだった。
ログハウス風の建物が並び、建設途中でたまたま出てきた壊れた結界魔導器までもが中心に据えられ、それを囲むようにできあがった街は、到底一晩の作業とは思えない。

だが街中に力尽きて眠る彼らの姿があり、疲労以上の達成感に満ち溢れたその顔が全てを語ってくれた。


朝の空気が落ち着いた頃、ユーリたちも戻ってきていた。
全て予定通り順調だったようで、話し合いの場はこの街で設けることになり、戻ったジュディスは首脳たちを迎えに再び空へでるらしい。
ユーリはフレンに呼ばれどこかへ行き、まだラナとは言葉を交わしていない。

「ラナ、調子はどう?」

ジュディスにそう聞かれ最悪、とだけ答えた。
ウィチルは約束通りのものをきっちりとリタが戻る前に用意してくれていて、ラナはそれを黙ってリタに手渡した。
彼女はさっと内容を確かめただけで顔をしかめていた。

「ネットワークの構築はおおよそこんな感じで、ウィチルやアスピオの魔導士たちとやろうともう。きっかけになる精霊化と明星壱号の事はモルディオに任せる」

「わかったわ、って言えると思う?」

リタの声には怒りと悔しさが混じっていた。
泣き出すんじゃないだろうかってくらい、真っ赤な顔をしている。

「承知してくれないと、辛いわ。これが最後にできる事なんだけど」

「……わかってるわよ」

リタはそのまま書類を突き返して、街の中へと走り出してしまった。
それをエステルは慌てて追いかけ、カロル、レイヴン、パティが説明を求めるような困った顔をするので、ラナは帰ったらゆっくり、と肩を竦めた。
ユーリがここにいなくて良かった。
ラナは移動の間にヨーデルと最後の話をするため、ジュディスと共にフィエルティア号に乗り込む事にしたのだった。




「みんなにも言ったのだけれど、あなたの覚悟は嫌いじゃないわ」

ジュディスが言った。
フィエルティア号の甲板はバウルが大きくなったことですっかり様変わりした。
潮風を受けていた以前とは違い、空気も冷たく澄んでいる。
クライヴと飛んでいたときのような、ピリリとした冷たい風は、ラナにっとってしっくりとくる。
それもいまとなっては感じることは出来なかったけれど。

「そう言ってもらえるとありがたいよ。今のところ肯定してくれるのがイザナミしかいないからな」

「クライヴ、いえセルシウスも、反対はしていないようだけれど」

「そうだな…」

「ユーリはとても認めたくないのね。あなたを失いたくないから」

ジュディスの言葉に、ラナは喉をつまらせた。
残されるやつの気持ち、ユーリに言われた言葉がずっと引っかかっていたから。
黙る彼女に、ジュディスは言葉を続けた。

「けれど、どうしようも無いことが人生には起こるって、私は知っているわ。だからあなたがやろうとしている、今の精一杯、それで悔いが残らないようにしたいと思う気持ち、とてもすごいと思うのだけれど」

「…すごくは、ないだろ。みっともない悪あがきって思ってくれていい」

「私はあなたの覚悟、好きよ」

ジュディスはそう言って笑った。
ラナは思う、唐突でなかった死の訪れだけは感謝をしなくてはいけないな、と。



船でヒピオニア大陸へ向かっていたヨーデル。
上空にバウルが現れたとき船上は騒然とした。
敵襲かと思われたに違いない。

「いや〜びっくりしましたよ。始祖の隷長とはみなこれほど体が大きいのですか?」

ヨーデルはフィエルティア号頭上のバウルを見上げ、ほぅっと息をはいた。

「個体差はそれぞれ、彼らに見た目の共通点はあまりないわ。バウルは私のために大きな体になってくれたの」

「そうですか、あなたは始祖の隷長と仲がよいのですね。我々も見習わなければなりません。羨ましいかぎりです」

「殿下、上空は冷えます。よろしければ船内へご案内しても?」

ラナの言葉に彼は首を振る。

「空を飛ぶのは初めてだ。もう少し外にいてもいいかな?」

年相応の笑みを浮かべるヨーデルに、彼女は嬉しそうにこくりと頷いた。

「ラナ、彼に話したいことがあるのでしょう?私は船内にいるわ」

ジュディスはお邪魔でしょう?と優雅な笑みをたたえて手を振ると、静かに扉を閉めた。
確かにそのために彼女についてきた。
到着すればヨーデルとゆっくりと話す時間があるとはとても思えず、それでもきちんと最後に挨拶をしなければとラナは考えていたのだった。

「……殿下」

ラナはすっと彼の前で膝をつくと、腰の愛刀を両手で差し出し言葉を続けた。
ヨーデルの悲しみに満ちた顔をしっかりと見据えて。

「ラナ・トルーテ、長らく帝国のため働くべく騎士団に従事してまいりました。この身に余る称号までいただき、今日まで全身全霊で帝国に……殿下にお仕えでできたこと、生涯の誉にございます」

「………」

ヨーデルは何も言わず、顔を歪めた。
彼にとってラナは、信じられる人間の少ない帝国の中で、絶対的に信頼のできる数少ない者の1人だ。
孤独な為政者を支える、大事な1人。それ以上に、彼女ほど本音を伝えられるものは他に居ない。
裏も表もなく、腹の探り合いなどせず話せるのは彼女しかいなかった。

「ですがこの身に許された時間はもう少なく、今はすでに剣を持つにはふさわしくないのです。最後まで殿下をお護り出来ず申し訳ございません。ですが死を迎えるその時まで、この星の未来を繋ぐために足掻き続けると誓います」

「…あなたの答えを、受け入れなければならない時がきてしまったのですね」

彼はそっとラナの剣をとった。

「ラナ・トルーテ。退団を認めます……おつかれさまでした、ほんとうに」

ヨーデルは少し、泣いていたかもしれない。
それはどのような感情だったのか、複雑に入り混じっていて本人にもわからない。
ラナという1人の騎士が騎士団を辞めること、もうすぐ死んでしまうこと。その事実以上になにかがヨーデルの心を乱していた。
憧れや恋慕とは違う、けれど彼女に対して特別な感情があることは間違いないとわかっている。
それが何かは説明出来なくとも、彼女に騎士でいて欲しくて、元気でいてほしくて。
叶わないことが哀しくなって、今はここにラナと自分の2人だけ。
少しくらい涙を見せてもいいかと思えた。


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