暗緑の灯火
信頼
異変が起きたのは、日が昇った午前のことだった。
地鳴りとともに、街が揺れた。
驚かされた猫のごとく外に飛び出せば、アスピオの方角から巨大な塔が宙へと浮かび上がるところだった。
「あ…あれじゃアスピオは……」
リタはぶるり、と肩を震わせた。
崩れゆく故郷など、想像したくもない。
「いったいあの馬鹿でかいのは何よ!?」
レイヴンが言う。
それに答えをくれたのは精霊だった。
「タルカロンの塔…と精霊が言っています…!」
「デュークだな」
ラナは恨めしげに塔を見上げた。
「あれで星喰みをどうにかしようってのか…」
ユーリはしかめっ面で巨大な塔を見上げ、拳を握った。
デュークにとって、アスピオが崩落する事によって払われる人の犠牲など、露ほどに些細なことなのだと、思い知らされた。
急がなければ。
「あ!あ!ユーリ・ローウェル!!」
人だかりの中、ユーリを呼ぶ声がした。
「ようやく捕まえましたよ!いったいどこほっつき歩いてたんですか!!」
「ウィチルか、久しぶりだな」
ラナは驚きに目を見開いた。
ぴょこんとしたりんご頭の彼が、ユーリの腕をがっしりと掴んでいた。
逃がしはすまい、と。
それにやや遅れてやってきたソディアは、バツの悪い顔でユーリやラナに視線を走らせた。
「フレン隊長が大変なんです!」
ウィチルは、ばたばたと手足を動かした。
「フレンが?」
ユーリはソディアを特に気にする様子もない。
「あの魔物が空を覆ってから、この大陸から避難する人が大勢いるんですが、ギルドの船団で騎士団の護衛を拒否するものがいて……隊長はそれを放っておけなくて、魔物に襲われた船団はヒピオニアに漂着…戦いましたが段々追い詰められて…」
「私達は救援を求めるため、脱出させられた。しかし騎士団は各地に散っていて……」
ソディアはぎゅっと拳を握り、その先の言葉に詰まる。
ユーリを頼る、それが悔しくて悔しくて、それと同時に己の非力さも憎らしい。
「もう皆さんにお願いするしかないんです」
ウィチルが頭を下げたので、ぴょんと髪が揺れる。
しかしソディアは首を振った。
「時が経ちすぎた……隊長は、もう…」
「相変わらず、つまんねえことしか言えねえのな」
ユーリは腕を組み、高圧的にソディアをほぼ睨んでいる。
「な、なに!?」
うつむいていた顔をあげた彼女は、彼の言葉に思わず怒鳴った。
「諦めちまったのか?おまえ、今までなんのためにやってきたんだよ」
「私は!私はあの方……フレン隊長の為に!!あの時だって……」
「てめえの覚悟忘れちまうやつに、フレンの為とか言わせねえ」
ユーリは見限ったかのように歩きだした。
「悪い、みんな。ちょっと行ってくるわ」
「わたしたちも、行きますよ!」
エステルが続く。
「そうだよ、悪いクセだよ。ユーリ」
カロルも続いたので、ユーリは困った様子で立ち止まると、やばそうだぜ?と肩を竦めた。
「なら、なおのこと1人で行かせるわけにはいかないわね。それに、バウルが言う事きかないと思うけれど」
「ひとりはギルドのために、ギルドはひとりのために、なんでしょ?」
「時間ないなら、みんなで行ってちゃっちゃと片付けようじゃないの」
「うちは噛み付いたウツボ以上の勢いで、死ぬまでユーリについて回るぞ」
「フレンがってなら、私も黙ってユーリを見送れないな」
「ったく、付き合いいいな」
行くか、とユーリは剣を担いだ。
ワンッとラピードが頷くと、皆歩きだした。
それを引き止めたソディアに、ユーリは皆へ先に行くよう促したので、ラナはちらりとソディアを見やって再び歩きだし、皆もそれに続いた。
「ソディアって人なんなの?」
リタの問いにラナは肩を竦めた。
「あいつはあいつなりにフレンをサポートしたいんだよ。副官だしな」
「ふーん。感じ悪いわよ、いつもいつも」
「リタっちに言われるなんて、相当だわ。……イダッ…!!」
ひひっと笑ったレイヴンの足を踏んづけて、リタはスタスタと先へ行ってしまった。
「レイヴン、からかうのそろそろやめたら?」
あきれ顔のカロルにも見放され、痛そうにつま先を押さえるレイヴンはやや涙目になりながら皆を追った。
「いてーっ」
「すごい土煙だよ!」
ヒピオニア大陸へと向かった彼らの目に飛びこんできたのは、騒乱の様子だった。
もうもうと大陸に立ち込める土煙が、いかに多くの魔物と戦いを強いられているのかを示しているようだった。
カロルは目前に迫る光景に、ぶるりと一瞬震えた。
「アスタルが死んで、魔物が統制を失っているのよ」
「フレンはあそこにいるんでしょうか?」
「どうすんのよ?全部倒してくつもり?」
レイヴンはうげ、っと顔をしかめる。
「2日ほどあれば、全部倒せるのじゃ多分」
「私が突破口を開こう」
ラナの言葉に、どうやって?とリタが首を傾げた。
「イザナミの力である程度なら。けど対象を魔物だけに絞れないから、一掃するにはちょっとしんどいな」
「……例の、リタ製宙の戒典、使えないか?」
ユーリはじっと魔物の軍勢を見つめて言った。
「魔物だけを排除か……精霊の力に方向性を持たせて結界状のフィールドを展開すれば、できると思う」
「でもそれは、星喰みに対抗するためのものでしょう?」
「けどそれしか、何とかする方法思いつかないよ」
「今使うか、後で使うか、悩ましいのう」
「使わせてくれないか?……頼む」
「これくらい、バーンと出来なきゃ星喰みになんて、通用しないわ」
リタは宙の戒典を取り出し、ユーリに差し出した。
「魔物が一番集まってるところで起動すればいいわ。簡単でしょ?」
「ってことは魔物の中心までつっきるのか……ラナ、頼むぜ」
ユーリの言葉に、ラナはこくりと頷いた。
「ねえ!せっかくだから名前つけようよ!リタ製宙の戒典じゃ、あんまりだし!」
カロルがどこか嬉しそうに言うが、リタは好きにすれば、と素っ気なく返した。
もっともすぐにそれは後悔に変わる。
「うーんとね!明星壱号!どう!?」
「……やめればよかった」
少し離れて地上に降りた一行は、魔物を蹴散らしながら騒乱の中心へと急いだ。
騎士や逃げ惑う人々が入り乱れる中、土煙が視界を遮りさらに事態を困窮させていた。
「この土ぼこりだけでもなんとかならんもんかね……」
レイヴンは目に涙を浮かべ、口を塞いだ。
「……風を起こす、みんな目ぇふさいでてくれ…!」
「え!そ、そんなきゅうに!」
カロルはあわてて目を塞ぎ、体を小さく丸め込んだ。
「神風……っ!!」
ラナが両手をかざした瞬間、ユーリには一瞬だけ彼女と同じ姿をした人物が宙を舞うのが見えた。
「………」
あれがイザナミなのだろうか。
そう思うと、彼は知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。
「土煙が晴れたのじゃ…!」
「見て!あそこ!」
風が土煙を一掃し、視界が晴れた。
エステルが指差す先に見えたのはフレンとシュヴァーン隊が、魔物と対峙している姿だった。
「「フレン!!」」
ユーリとラナは駆け出していた。
それに遅れて皆も続く。
「騎士団の名にかけて、なんとしても踏みとどまるんだ!」
フレンはなおも凛とした声で叫んだ。
「こ、これはもう、だめなのであ〜る」
「限界なのだ〜」
「ばっかも〜ん!弱音を吐くんじゃない!…ぐおっ!?」
ルブランが魔物に吹き飛ばされ、フレン達の陣形が崩れる。
「しまった!」
魔物は彼らをすり抜けた。
先へ進まれては、民間人が危ない。
慌てて食い止めようとしたフレン、しかし魔物はどこからともなく飛んできた魔術に倒れ、ラピードが彼の前を駆け抜けた。
「生きてるか?」
ユーリの少し意地悪な声。
フレンは驚きに目を見開いて、どうしてここに!?と意図せず発した。
ラナとユーリの姿を見て、少しホッとしているようにも見える。
「とっととやろうユーリ、フレン。援護は任せろ」
ラナは急かすように腕を回した。
「しかしこんな状況だ、このままではやられてしまう」
不安気なフレンに、ユーリは明星壱号を見せた。
「こいつを敵の真ん中で使う。するとボンってわけだ」
「敵の中心でか…簡単じゃないよ」
「簡単だろ、私らでやるんだから」
「ワォン!」
ユーリもラナも、何ひとつとして心配事を浮かべない瞳でフレンを見た。
すると彼は少し微笑み、わかった、やってみよう、と頷いた。
「みんな、こいつの起動は俺たちがやる!ここは任せたぜ!」
「あんたらだけで行く気!?無茶いわないで!」
「ここの守りを手薄にするわけにはいかない。ここを守り抜かねば、僕たちが魔物を退ける意味がなくなるんだ」
「わかりました!ここは任せてください!」
エステルは魔物をなぎ払い、声を張った。
「いくぞ」
ラナは剣を抜いた。
「おう」
ユーリもそれに習い、フレンとラピードが頷く。
ラピードが走り出し、三人も続いた。
敵を何体も切り倒しながら、まっすぐに群れの中心へと急ぐ。
「深追いすんなよ!」
ユーリは怯ませるだけで、倒しはしない。
そうでもしなければキリがないからだ。
ラナはラピードの隣に並ぶ。
「フレン!この先に人はいないだろ?!」
「ああ!僕らがいた場所が最前戦だ」
「じゃぁいっちょやるか……うぉりゃ!」
ラナは大きく剣を降った。
するとそこから光が一直線に伸び、進行方向の魔物を全て倒した、いや焼き払ったと言う方が正しいかもしれない。
「…なっ!」
フレンは大きな力に、一瞬怯んだ。
「さすがにとんでもねえな…」
「もうすぐ群れの中心だ」
フレンはぶんぶんと首を振り、邪念を振り払うかのように奥歯を噛み締めた。
「まだ戦い足りねえけどな!特にラナが」
「お楽しみは終わりだな」
からかうユーリに、ラナは悪戯っぽく笑う。
「こんな時だと言うのに、君たちは楽しそうだな」
「おまえこそ!」
ユーリはフレンを小突いて、宙の戒典を取り出した。
「ワンワン!」
ラピードが立ち止まり、三人もそれに習う。
「さあ!ユーリ」
フレンはユーリの護衛をすべく、周りの魔物を退ける。
ラナもユーリの邪魔をさせまいと、魔物に刀身をねじ込む。
「おう!くらいな!」
ユーリは明星壱号を起動させ、地面に突き立てた。
すると魔法陣が目にも留まらぬ速さで展開し、強い光が発せられた。
思わずユーリ達が目をぎゅっと塞ぐ間に、魔物は溶けるように光に飲まれ、消えさった。
「やったな、明星壱号、すげ〜!」
ラナは剣を鞘に収め、嬉しそうにユーリのそばへ駆け寄った。
「何がなんだかわからないままだったけど、素晴らしい装置だね」
フレンも血を払って剣を収めた。
「おう、けどこれ、壊れちまったかもしれねえ」
ユーリは明星壱号を手にとったが、起動した時に開いたまま、閉じなくなってしまっていた。
中心で輝いていた石も、光を失っている。
「下手に触らずモルディオに見せよう」
「だな」
「ユーリ、ラナ。ありがとう」
フレンは屈託のない笑みを浮かべた。
何日も戦っていたのだろう、魔物の血と土にまみれた鎧だったが、彼はとても輝いて見えた。