暗緑の灯火
不穏な気配
次の日の朝、ハルルを発ち、フレン隊とラナはノール港へと向かう。
エフミドの丘には、見慣れぬ結界が展開されていて、ラナは眉を寄せた。
丘をまたぐ道の真ん中には、ポール状の魔導器が置かれている。
「こんなとこに結界?出て来たのか?」
ラナは近くに居た騎士に話しかけた。
「副団長!お、お疲れ様です!これは研究中の魔導器でして、試験的にここに設置を……」
騎士は敬礼をしたまま答えた。
「責任者は誰だ?」
「……さあ?自分は警備に立っているだけですので……」
騎士は困ったように言った。
「…………」
術式を見ずともわかる。
これはヘルメス式だ。
となると、アレクセイがやらせているのだろう。
最近、ヘルメス式の数を随分と増やしてきたように思う。
あの戦争の理由は話したはずだが、改良方法がわかったのだろうか。熱心な男だから、ありえなくはないが、どうにも腑に落ちない。
調べるにしても、帝都に戻らなくてはならないし、それでは不都合。クライヴに情報を集めてもらうしかないので、ラナは黙って通過する事にした。
エフミドの丘を越えて、ノールが近づくと周囲は雨が振り出してきて、空もどんよりとしていた。
随分と長く降っているようで、地面はかなりぬかるんでいる。
「………魔導器っぽいな」
「なにがですか?」
ラナの呟きに、ウィチルが反応を返した。
「この雨。随分と長く降っている様だし、おまけに局地的だ……こんな天候はありえない」
「……だとしたら興味深いですね」
ウィチルはそう言って空を見上げた。
「ソディア、私はまずフレンと共に執政官の所に行く。その間に街で出来るだけ情報を集めてくれるか?」
「はい」
ソディアはラナを、副団長として尊敬しているし、女性としても好いているのだろう。迷いなく、不服もなく指示に頷いた。
ノール港の雰囲気は雨のせいもあるのか、暗く、ひどく淀んでいた。
フレンとラナは、大きな橋を渡り、執政官邸を目指す。
そこら中が水たまりだらけで、どう歩いてもブーツに水が跳ねるのでラナは顔をしかめた。
それに比べてフレンは、まったく気にする事なく鎧を響かせて歩いて行く。
執政官邸の前には、ギルドの男が2人、門番をしていた。
紅の絆傭兵団だろう。
バルボスと徒党を組んだあげく、ヘルメス式魔導器とは、恐れいる。行動が三下だな、とラナは鼻を鳴らした。
「執政官、ラゴウ殿はおられるか?」
凛とそう言ったフレンを、2人の門番は睨みつけた。
「副団長が来たと伝えてくれ」
射抜く様にラナが睨み返すと、門番の1人が黙って中へ入って行った。
「雨の中、外で待たせる気かよ」
ラナは腕を組むと、ため息をついた。
すぐに中へ行った男が戻って来て、中に通された。
趣味の悪い装飾品や、訳のわからない壺などが山ほど飾られているエントランスを抜けると、客間とも呼べないような、ロビーらしき場所に案内された。
「騎士団は客に入らねえってか」
ラナは舌打ちをしたので、フレンがなだめる様に制した。
「これはこれは副団長と……誰ですかな?」
胸くそ悪い声の主は執政官のラゴウだ。
評議会らしい出で立ちの老人は、意地悪な笑みを浮かべ、豪華なソファーに腰掛けた。
「フレン・シーフォです」
フレンがそう言って騎士団の敬礼をすると、ラゴウはあからさまにうっとおしそうな顔をした。
全くその感情を隠すつもりはないらしい。
「隊長ですらない騎士が……」
ボソリと呟いたラゴウだが、フレンは嫌悪を示す事なく真っ直ぐに見つめた。
「所で執政官殿、この小隊長フレンは巡礼中の身でね。何かお困りごとはないですか?」
ラナがそう言うとラゴウはバカにした様に笑う。
「さて?こちらの問題はこちらで対処できますので。特にお願いする事はありませんね」
「………この雨でろくに交易ができていないのでは?」
フレンがそう言うと、ラゴウはわざとらしく首を傾げる。
「港町ゆえ、蓄えはありますよ。おまけに悪天候など、この辺りではよくある事ですから」
「そうですか、では我々はしばらく滞在しますので、何か有事の際はご協力いたします」
ラナはパッと声色を変えて言った。
「そんな事にはなりませんよ。では、私は忙しいので失礼しますよ」
ラゴウはそう言って立ち上がると、奥の部屋へと消えた。
フレンとラナは、先ほど渡った大きな橋を引き返す。
「………黒だな」
ラナはニヤリと笑う。
「魔核ドロボウの件かい?」
「ん、まぁ他にも色々……」
「色々って……でも、必ず暴いてみせるさ」
「まったくフレンは頼もしいよ」
橋を渡り切れば、ソディアとウィチルが深刻そうな顔で立っていた。
「隊長!副団長!お疲れ様です」
ウィチルがこちらに気がつき声をあげた。
「何かわかったかい?」
フレンがそう言えば、2人はこくりと頷いた。
「宿で話します。部屋を取りましたので、中へ」
ソディアが言った。
彼女の心配りは随分と感心できる。ただ、ごく狭い範囲でしか発揮されないのだが。
部屋に入れば、雨で冷えた身体が幾分か温まる気がした。
ラナは髪をほどき、タオルに髪の水気を適当に吸わせると、ソファーに腰掛けた。
「で、わかった事ってのは?」
ラナは大きく息を吐いて、背もたれに手を広げた。
「はい、執政官はリブガロという魔物を放ち、それを捕まえてくれば税を免除すると言って、住民と戦わせているようです。それにともない怪我人が多数。また、税金も以前よりも高額になっているようで……」
ソディアはそこまで言って、少し言葉に詰まる。
「どうした?……払えない奴は人質でも取ってるってか?」
ラナは眉を寄せる。
「………はい」
ソディアは悔しそうに頷いた。
「なんだって……」
フレンもぎゅっと眉を寄せた。
「連れていかれた人はすでに何人か居るようです」
ウィチルの言葉にラナはため息をついた。
「残念だが、帝国のクズな法は、それを違法とはしていない。普通は、倫理的にやらないけど」
ラナは大きくため息をついた。
それはフレンもわかっていた事で、部屋には沈黙が流れた。
「ならばできる所から攻めていこう……まずはこの雨が本当に魔導器かどうか突き止めなければね…」
「はい。あと、例の探し物の件ですが、こちらも執政官邸を調べる必要がありそうです」
「まて、探し物とはなんだ?」
ラナはソディアに厳しい目線を向けたので、彼女は思わずビクリと身体を硬くした。
「騎士団長から、聖核と言うものを探すように言われているんだよ」
「フレン、それはまじ?」
「ああ、どの様なものかはわからないんだけどね」
「………何に使うか聞いてるか?」
「いや、そこまでは…ただ危険なものだから、帝国で管理すると」
「……もっともな理由だが」
ラナは眉を寄せたまま、こめかみを抑えた。
「まあいい、引き続き情報を集めてくれるか?私も少し動いてみる」
そう言ってラナは立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。
宿を出て空を見上げれば、どんよりと曇った空が広がる。
相変わらずの悪天候。
「ラナーーー!」
「うわっ!」
いきなり何かに飛びつかれ、ラナはバランスを崩して、濡れた地面に尻餅をついてしまった。ひやりとズボンが濡れる。
「………おい、お前ぶっ飛ばすぞ」
ため息混じりにラナが言った。
「聞いてよ!最悪だよ!」
飛びついて来たのはクライヴで、涙目になりながらラナを見つめる。
「最悪はこっちだ」
ラナはクライヴを押しのけて立ち上がると、すっかり濡れた団服を触った。
「ベリウスが、次の始祖の隷長の話し合いに来いって言うんだ!あのババア俺を殺す気だ!」
「………いや、行けよ」
「やだね!フェローは俺の事嫌いなんだ!おまけに俺だってアイツの暑苦しさは苦手なんだよ!」
クライヴは地団太を踏む。
「なんでだろな、お前は氷出すし、相性悪いのかもな」
「どんだけ他人事だよ!ラナだって、俺が居なかったら情報集めんの大変だろ!」
「心配すんな、フェローは同胞を殺したりしないだろ」
ラナはポンポンとクライヴの頭を撫でた。
「わかんねえだろ。嫌われてんのわかってんのに行きたかないね」
「そんなもんだ、他人と付き合うってのは」
ラナの言葉に、クライヴはがっくりと首を垂れた。
「所で、ユーリはどの辺まで来てる?」
「もうハルル出たみたいだけど、エフミドの丘でミツバチが魔導器壊して通れないから、こっちつくのは時間かかるかもね……」
クライヴは膝を抱えて座り込んだ。
「やっぱヘルメス式だったか……クライヴ、ちょっと調べて欲しい事がある。クロームあたりにでも聞いて欲しいんだけど」
「なんだよ」
クライヴは不機嫌そうに言った。
「オヤジが最近ヘルメス式を多用してる。壊されてんだから改良はできてないんだろうが、それをオヤジがわかっててやってんのか知りたい」
「……わかってたら悪質だよ。今度は戦争じゃ済まない」
クライヴはラナを睨む。
「んな事はわかってる。それと、オヤジが聖核を探してる」
「はあ?なんで」
「知るか。危険だから管理とか言ってるらしいが、目的は他にもありそうだ……」
「なんかさ、騎士団長なんかやばい方向に流れてない?」
クライヴはため息をついた。
「さあな……偉大な人物でも間違いはありえる。オヤジに落ちて欲しくはないからな。ちょっと頼むわ」
「ずれたら、もう戻れないよ。偉大な人物ほどね」
クライヴはプイと顔を逸らすと、そのまま街の外へと向かって歩いて行く。
「だとしたら私がオヤジを斬るよ」
クライヴの背中に向けてそう言ったラナは、髪を結わえ直すと、執政官邸へ繋がる橋へと向かった。
雨は幾分か小降りになってきたが、連日降り続いて出来た水溜まりは無くならない。
橋の中ほどで手すりに肘をついて、海を見つめる人物を見つけ、ラナは嬉しそうに口角を釣り上げた。
ざんばら髪を適当に結い上げて、だらしない猫背を晒している。
「シュヴァーン」
耳元でラナがそう囁くと、猫背の人物は大げさにビクリと肩を震わせた。
「誰よそれ〜あは〜俺様はレイヴンよ〜」
シュヴァーンと呼ばれた男は、おどけたように眉を下げる。
「あらためてレイヴン。デイドン砦の事付は聞いた?」
意地悪っぽくラナは笑う。
「聞いた聞いた。しかもノール港に用事あったからちょうど良かったわ」
レイヴンはイヒヒと笑う。
「用事?……まさか聖核探せってオヤジに言われた?」
「なんで知ってんの?」
レイヴンはびっくりした様子で、目を見開いた。
「やっぱりか。理由は?」
「……んなこと俺様が聞かされるわけねーでしょ。やれって言われたらやるだけよ」
ふと、レイヴンの表情が曇る。
「まだ腐ってんのか?しょーもないやつめ」
「やだねえ、副団長様までそんな事言っちゃうわけ?」
レイヴンはすぐまたふざけた様子に戻る。
「……その二面性には度肝を抜かれるよ。どっちが本物?」
「さあね?」
レイヴンはひらりと両手を上げた。
「で、どうなんだ?」
「おっさん今着いたばっか……」
レイヴンはやれやれと肩を竦めた。
「なんにも情報なし?」
「……怖いよ副団長様は………バルボスは、何年も前にカルボクラムをアレクセイに売ってる。それに変わる拠点として、例の塔を使うつもりらしい」
レイヴンはしぶしぶ、と言った様子で言った。
「ヘリオードの向こうにあるやつか。ユニオンの対応は?」
ラナはふーんと唇を抑えた。
「ドンが色々調べさせてはいるみたいだけど、まだ動いてないわ。それより最近は、魔物の群れがダングレストを襲ってくるってんでそっちでてんやわんや」
レイヴンは大げさにため息をついた。
「ふーん。それは手に負えないわな」
ラナはそういいつつもあまり興味はなさそうだ。
「んじゃ、俺様行くわ」
レイヴンはヒラリと手を振ると、街の方へと歩き出した。
その後ろ姿を見送って、ラナは深いため息をついた。
「オヤジ……なにやってんだよ……」
ぎゅっと拳を握った。