暗緑の灯火
義を持って事を成せ
ドン・ホワイトホースが走り去る後ろ姿を見つめ、ラナはクライヴに寄りかかった。
「重いな……人の命って……」
ぽつり、と、そうこぼした彼女。
いつもより目線が高いクライヴは、労わるような視線で彼女を見下ろした。
「でも、死ぬ時は簡単に死んでしまうんだよな……みんな……」
ラナは息をはいて、俯く。
「人魔戦争のこと?」
クライヴがそう言えば、彼女はこくりと頷いた。
「とんでもない人数が、どんどんただの肉塊になる。瞬きする間に、何人も……死んだらそれでお終いなのに」
ラナは目を伏せ愛刀に触れ、言葉を続けた。
「ドンはそれを選ぶんだ。私はもう死が怖くなった。恐怖したら、怖気づく。剣を握っていても、殺す覚悟はあるが殺される覚悟がない」
「死にたいと思えば強いってこと?」
「違うさ、それじゃ願いだ。ドンが腹に据えてんのは、覚悟だろ。逃げない意志」
「……始祖の隷長は死が遠いから、長く生きてる分そう言う事に鈍感になってくのかも」
クライヴは羽根をはためかせ、空を仰いだ。
すっかり夜が明け、星は姿を隠しているのだが、それがどうにもうざったくて、彼は息を吐く。
「長い時間生きて、仲間が減り、人の世も動く。始祖の隷長はその生き死にに関わらない……互いに殺め合うほど、俺たちは生きる事に必死じゃないかもしれない」
彼は過去を振り返るように、遠い空を見つめて言った。
「必死……か。皆さ、友人や家族以上に大切な他人なんていない。それを守るために戦うんだ。そのために奪い合うのは悲しい事だけどな」
「ラナ!もう大丈夫なのか?」
突然背後からユーリの声が響いたかと思うと、そのままラナはふわりと暖かさに包まれた。
ぎゅうっと後ろから抱きしめられている事に気が付いたのは、彼の髪が頬を滑ってからだった。
「やーね、どこでもベタベタするなんてバカっぽい……」
リタのため息混じりの呟きと、パティが騒ぐ声がする。
皆戻ってきたようだ。
「ドンと話はできたのか?」
ラナの問いに、リタは首を振る。
「肝心な事は聞けなかった」と。
ひとまず皆、ダングレストに戻る事になり、クライヴも姿を人に変えて歩き出す。
ユーリ達が歩きだした背中に続こうとしたラナは、くいっと手首を引かれ振り返った。
すぐに大きな海賊帽が目に留まり、彼女の顔を見れば、戸惑いに揺れる青い瞳が、答えを求めるようにこちらを見つめていた。
「どうした?」
優しくそう問えば、パティがこちらの手首をつかむ力が、わずかに強くなった気がした。
「ドンもうちがアイフリードと瓜二つだと言った。ラナもそう言ったの」
「……ああ、見間違えるほどそっくりだ。アイフリードの子どもの頃は知らないけど、似てる。血縁者なのは間違いない」
「アイフリードはじいちゃんではないのか?」
「……ばあちゃんだろ。これは確かだ。サイファーと言う男が参謀をつとめていた」
「サイ……ファー?」
「そいつがアイフリードだと勘違いしてるやつも多かったから、無くした記憶と、人の噂がごちゃまぜになってるんじゃないのか?」
パティは黙り込んで俯いたので、ラナは優しく肩を叩いて言う。
「何か思い出した?」
それにふりふりと頭を横に振ったパティは、「でも…」と言葉を続ける。
「その名前はどこか懐かしい気がするのじゃ………それに、ドンには前にも会った事があるかもしれん」
街へ戻ると、慌てた様子のカロルがこちらに駆けてきた。
「大変だよ!戦士の殿堂とユニオンが兵装魔導器持って睨み合って、ドンも戻ってきたけどなんか様子がおかしいんだ!」
「ドンは間に合ったようね。けど…やっぱりか」
レイヴンは少し眉を寄せる。
「やっぱりって、どう言う事です?」
「じいさん、最初から死ぬつもりだったのよ」
「なんでよ…!ワケわかんないんだけど」
「ケジメ……かの……?」
「今回の事は、ユニオンの失態だろ。ノードポリカの統領が死んだんだ…それに釣り合う対価が何か………」
ラナは慌ただしく広場へ駆けていく人の波を見つめた。
「偽情報掴まされて間違えましたで済まされるわきゃない」
レイヴンは感情を押し殺しているようにも見えた。
表に出してはいけない、無意識にそう思っているようだ。
「じゃあ、背徳の館でドンが言ってた代償って……」
エステルはハッとした様子で口元をおさえた。
「じいさん自身の命か……腹切る覚悟決めてたから、掟を破ってまでイエガーの所に行ったってのか」
ユーリはますます見せつけられるドンの覚悟に、自分の甘さを痛感せずにいられなかった。
「そんな!きっと他に方法があるはずです!」
「これ以上どっちも辛抱できない。一触即発ってやつ。このままだとユニオンと戦士の殿堂の全面戦争になっちまう」
レイヴンの言葉になにも言えなくなったエステルは、黙り込んで俯く。
堪らず駆け出したカロルを追いかけて、ユーリも広場に歩きだした。
それにパティも続き、リタとエステルも歩きだした。
「行かないのか?」
立ち止まったままのレイヴンに、ラナは声をかける。
「……ん?ああ、もちろん行くわよ」
どういう顔をしていいかわからない、といった様子で彼は肩を竦め、ユーリ達を追いかけた。
広場には、ユニオンの人々も戦士の殿堂の人々も居た。
人だかりの中心で正座をして居たのはドンで、後ろを天を射る矢の幹部が固めている。
神妙な顔をしている幹部達と、状況が飲み込めずに動揺している人々。
広場は異様な雰囲気で満ちている。
心配そうにこちらを見つめるカロルに向かって、ドンは諭すように言う。
「しっかりしな、坊主。ボスなんだろ?」
「でも、ボク……1人じゃ何もできない」
「だったら仲間に助けてもらえばいい。そのために仲間が居るんだろ。仲間を守れば、応えてくれるさ」
その言葉にハッとしたカロルは、ラナに視線を移す。
彼女はほらな、と眉を下げ、少しだけ肩を竦めた。
「ドン!俺もいっしょに!」
堪らず声を張り上げドンに駆け寄ろうとしたハリー。
が、バキッと言う音ともにレイヴンの怒声が飛んだ。
「バカ野郎が!!」
珍しく怒りをあらわにした彼は、頬を殴られ俯くハリーを見下ろす。
肩を震わせ涙を流す彼は、自責の念に耐えられなくなったのだろう。
「じいさん、あばよ」
少しだけ、さみしそうな顔でレイヴンが言う。
「イエガーの後始末、頼んだぜ」
そう言ってこちらを見つめるドンの言葉を、振り払うように彼は目を伏せた。
「俺には荷が重すぎるって……」
「おめえにしか、頼めねえんだ」
いつもと変わらぬダングレストの夕焼けに、射抜くようなドンの眼差しが照らされる。
小さくドンの名を呼んだレイヴン。
ドンはパティに視線を移す。
「お嬢、街の酒場から地下に降りてみな。そこにアイフリードの名前が刻まれた石壁がある。おめえも孫なら、奴がどんな事に関わってどう生きたのか、その片鱗を見ておくのも悪くねえだろ」
黙ったままこくりと頷いた彼女は、後ろで手を組んだ。
「おたくの可愛い孫にゃ、ずいぶん世話になった」
前に進み出た戦士の殿堂の男は、憎らしげにドンを睨む。
「すまねえ事をした。あのバカ孫もれっきとしたユニオンの一員だ」
ドンはちらりとハリーを見て、男に視線を戻した。
「部下が犯した失態の責任は頭が取る。ベリウスの仇、俺の首で許してくれや」
「バカよ…ギルドなんて…どいつもこいつもバカばっか……」
誰ともなしにそう呟いたリタは、まっすぐに責任と向き合うドンから目を逸らした。
「すまんが誰か介錯頼む」
ドンはそう言って小刀を抜いた。
誰もが戸惑いに沈黙する。
これほどまでに重たい荷を、背負う事にためらうのだ。
尊敬するドンだからこそ、己の手で剣を握る事を拒みたくなる。
それはレイヴンも例外ではなく、ぎゅっと腰に携えた刀を握りしめ、表情が強張る。
「……俺がやろう」
凛とした声でそう言って歩み出たのは、ユーリ。
ラナがとっさに腕を掴むと、彼は首を振った。
彼女は何も言えなくなって、するりと手が離れる。
また彼は、ひとつ命を抱え込むのか。
他人の命を。
そう思うと、ラナはどうしようもないくらい悲しくなった。
何故ユーリばかりが背負うのか。
「おめえも損な役回りだな」
気遣うようなドンの言葉に、ユーリは「お互い様だ」と肩を竦めた。
「違いねえ。ユーリ、おめえの"さき"を見てみたかったがな。俺は先に地獄で休んでるとするぜ」
「あんたの覚悟は忘れないぜ。ドン・ホワイトホース」
彼は剣を握り、ドンを見つめた。
「てめえら、これからはてめえの足で歩け!てめえらの時代を拓くんだ!いいな!」
ドンが声を張り上げると、まわりの部下からは悲痛な声が上がる。
彼は自身の腹に小刀を勢いよく突き立てた。
わずかにゆがんだ表情を確認する前に、ユーリの剣が振り下ろされた。
嫌な音がして、ハリーの叫び声が響く。
ラナは、飛沫をあげたドンの血がユーリについたのを見て、虚しさにもう涙も出なかった。
確実に忍び寄る暗い影は
確実に、喉元に手を伸ばしている。