暗緑の灯火
指針は北
空が明るくなってきた頃、やっと駆動魔導器の修理が終わり、船を動かせるようになった。
随分と潮に流されたが、運良く北方向に流されたため、ダングレストへ向かいたいユーリ達には好都合だ。
「エステル……大丈夫かな?」
カロルが心配そうに船室への扉を見やった。
皆は甲板にあつまっているものの、彼女は一向に出てはこない。
これからベリウスの聖核、蒼穹の水玉をドンに届ける事で話はまとまっていたが、エステルがどうするのかは、まだ誰も聞けずにいた。
もちろん、決まっていない事はわかっているのだが。
「しばらくは……そっとしておきましょ」
リタも心配そうに扉を見つめていたが、息を吐いて目線を外した。
「聖核をドンに届けたら、ジュディスに会いにいかない?」
カロルの言葉に、ユーリはけじめをつけないとな、と頷いた。
「あのさ」
遮るように声をかけたラナを、皆が見つめた。
「聖核の事ドンに聞いて、どうするんだ?」
「どうするって……色々とおかしな事になってるんだから、聖核が結局なんなのか確かめなきゃ」
リタの言葉に、彼女は目を伏せる。
「始祖の隷長の死と引き換えに現れる、エアルの塊。それ以上に知りたい事があるのか?」
「あたりまえだろ。フレンだって聖核を手に入れようとしてんだ。理由を知りたいと思うのは、当然だ」
「聖核は人の世に混乱をもたらす、とヨームゲンの兄ちゃんも言っておったの」
「だったら、その理由を知ったら……ユーリたちはそれを止めるために動くのか?」
ラナはそう言って、皆に目線を戻した。
「そこまで考えてねぇよ、それとも、そこまで考えてなきゃ探っちゃいけない事なのか?」
「いや……モルディオにしたって…聖核がどれだけのエネルギーになるかはわかっているだろ?」
「……ええ、でもあくまでまだ、仮説の段階でしかないわ」
「なら、聖核を探してる理由を知ったら、それ以上に首を突っ込むんじゃないのか?………世界の闇に」
「…世界の…闇……?」
カロルはラナの言葉にごくり、と喉を鳴らした。
「だとしても、だ。俺はフレンのやつが間違った事してるなら、止める。全力でな……だからこのまま、うやむやにするつもりはねえよ」
ユーリの言葉には、確かな意思を感じた。
彼女はそうか、と頷いて、それきり黙り込んだ。
「どっちにしろ、ドンに聖核を届けるんでしょ?だったらついでに話を聞けばいいさね」
レイヴンは、手を頭の後ろで組んだ。
ラナは聖核の事を知っている。
ここまで聖核に振り回されている彼らに、彼女が何も話さない理由、彼にはそれがわからなかったが、どちらにせよ気持ちのいい話ではないのであろう事は理解できた。
ダングレストへと到着したユーリ達は、ひとまずレイヴンとハリーと別れた。
ドンに聞きたい事がある、というカロルも彼らについて行き、一行は宿屋でレイヴンの橋渡しを待つ事となった。
「うち……この街に来た事があるのじゃ……たぶん」
パティは夕暮れの街並みを見渡し、そう呟いた。
「……また、たぶん、ね……」
リタは腕を組んで、ため息をつく。
「そりゃアイフリードはギルドの人間だろ?じいさんについて来てたとしても、おかしくないんじゃないか?」
ユーリがそう言うと、パティはくいっと帽子を直し、街で話を聞く、と駆け出した。
「前みたいにならねぇように気をつけろよ」
「わかってるのじゃ」
後ろ手に手を振る彼女を見送り、ユーリ達も宿屋へと歩き出した。
以前にも増して、エステルから距離を取るクライヴに、ラナは頭を撫でて微笑みかけた。
ほっとしたように笑みをこぼした彼だったが、元気になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
部屋にはいる前に、エステルはラナを呼び止めた。
「ラナ、少しいいです?」
「はい、どうぞ」
リタは、相変わらず心配そうにエステルを見ていたが、部屋へと入った。
それにユーリとクライヴも続いて、最後にラピードが扉を後ろ足で閉めた。
「さて、どうなさいましたか?」
ラナはそれを確認してから、エステルに向き直った。
「昨日、船で話した事なんですけど……」
彼女はぎゅっと手を握る。
「……わたし、まだ決心が付きません……もう少しだけ…待っていただけませんか?」
「はい。構いません…ですが、期限を決めましょう。私もやらなければならない事があります。いつまでも行動を、あなた様と同じくする事はできません」
「ごめんなさい……あの、ラナのやらなければならない事ってなんです?」
エステルの言葉に、ラナはふう、と息を吐いた。
「…………騎士団…いえ、騎士団長とのケジメです」
「……そう…ですか……」
「期限は……そうですね、ジュディにもう一度会うまでにしましょうか」
「あんた始祖の隷長なんでしょ?」
リタはベッドに腰をおろし、クライヴを射抜くように見つめた。
「そうだけど……」
それに不満そうに返事を返した彼は、扉近くの椅子に腰掛けた。
「色々と、知ってるんでしょ?教えなさいよ。今更、隠す事なんてないわよね」
「………話せないよ」
ふいっと顔を逸らした彼に、リタは怒りをあらわに立ち上がった。
「なんでよ!これだけいろんな事があって、それでもまだ!あたしらには言えない事があるっての!?」
「リタ、よせ」
ユーリがそれに割って入る。
「なんで!?フェローの仲間!だったらエステルが危険に巻き込まれる必要なんてなかった!コイツが話してくれたらそれで済んだ!ベリウスだって、死ななかったかもしれないじゃない!」
「リタ!!」
ユーリが珍しく怒鳴ったので、彼女はびくっと肩を震わせた。
クライヴは何も言い返してはこず、嫌な沈黙が流れる。
「言いたくないね」
彼は、暗い眼差しでリタを見つめ、立ち上がり
「人間なんて、大嫌いだよ。それに、満月の子はもっと嫌い」
そう呟いて、部屋を出て行った。
「な、なによ……そりゃあたしも言い方は悪かったけど」
「隠してたわけじゃないんだろうよ。でも、言いたくないんだろ、始祖の隷長だからこそ」
「……でも、そのせいであいつだって今辛いんでしょ……人間が嫌いだなんて、あたしらの事も嫌いってことよ?ラナは別なんでしょうけど」
「……そうだな」
ユーリは頭をかいて、ベッドに寝転んだ。
「知ることで歩み寄ることだってあるのよ……」
そう呟いたリタに驚き、彼は目を見開いた。
歩み寄り、だなんて言葉が彼女の口から聞ける日が来るとは。
しかし、一旦は落ち着いた空気を破るように、扉が勢いよく開かれた。
「ユーリ!来てください!ラナが!」
そう叫んだのはエステル。
彼女は真っ青な顔をして、瞳は動揺に揺らいでいる。
よくないことが起きた、そうわかるほど取り乱している彼女に、急かされるようにユーリ達は部屋を出た。
廊下の角を曲がった所で、ユーリ達が目にしたのは、真っ赤なエアルだった。
床を這うように溜まっているエアルの真ん中で、ぐったりと倒れているのはラナ。
眉を寄せてクライヴが彼女を覗き込んでいた。
「これは……一体……」
リタは悲鳴に似た声を上げる。
「なにがあった!?」
ユーリがクライヴにそう問えば、彼は困ったように、ちらりとこちらを見た。
いてもたってもいられなくなったユーリが、エアルの中のラナに駆け寄る。
「ちょっ!」
それにクライヴは驚いて目を見開き、慌ててエアルを食べ始めた。
その間にユーリはラナを抱き寄せ、頬を撫でた。
うっすらと目を開けた彼女は、少しだけホッとしたように見えた。
「とにかく部屋に運ぶ…」
ユーリは彼女を横抱きにして、立ちすくむエステル達を見ずに部屋に戻った。
「クライヴ、今のはなんだ?」
今のところ落ち着いて眠っているラナを、ユーリは心配そうに見つめる。
「何って………」
クライヴはその質問に、困ったように眉を下げ、肩を竦めるだけだった。
「わかんねえのか?前にもこういう事があった…まだ15か16の時……」
「そうだね、そう言えばあったね……」
クライヴは、ラナが眠るベッドに腰をおろした。
「前にもって…原因は?」
エステルは心配そうに眉を寄せる。
「わからない……でも、前も……闘技場の時みたいにエアルを過分に集めた後だった……」
クライヴが言う。
「……あれだけのエアルにさらされて、まともでいられるなんて、正直おかしいと思ってた……」
リタは、はあーっと大きく息を吐く。
「どういう事です?」
「結局、体にダメージは残ってるのよ。人よりエアルに鈍いのかなんなのか、調べてみない事にはなんとも言えないけど……あとからでもちゃんとその対価はラナに来てる」
リタはこめかみを抑え、眉を寄せる。
濃いエアルは人体に毒、それは当たり前のことだ。
ラナも例外ではなかったのだと、彼女は考えるのだ。
「だったら、これ以上あの力を使わせなきゃいいって事か?」
「そうね……あれをする事によってどうこうって言うより、エアルに生身がさらされる事は避けるべきだわ」
「必要に駆られてるわけじゃない。簡単だろ?」
ユーリの言葉に、リタはそうね、と頷いた。
「無理なんだ」
その答えをかき消すように、クライヴが呟く。
皆の視線が彼に集まると、申し訳なさそうに俯いた。
「なんで無理なの?」
「……ラナは時々ああやってエアルを集める事で、契約を果たしてる」
契約?と皆が首を傾げる。
「俺は千年前に、満月の子に封印されたんだ」
そう言ったクライヴは、悔しそうにも見える。
「満月の子…に……?」
エステルは思わず口を手で覆う。
ここへ来てもなお、満月の子、というワードが出てきた事に驚いて。
「それとラナが契約をってのは、どういう関係があるんだ?」
ユーリはあからさまに顔をしかめ、クライヴを見つめた。
「ラナが人魔戦争が始まるちょっと前に、俺の封印を解いたんだ……特殊な術式で封じられてた俺を解放するには、対価が必要だった」
彼は皆の視線を避けるように、じっと握りしめた手の甲に目線を落とした。
「その対価は、ラナが生きてる限り、力を使って俺にエアルを食わせること」
「それじゃ……ラナはあんたのためにずっとそうしてたって事!?」
そうだね、と悲しそうに呟いたクライヴ。
「始祖の隷長はエアルを食らって生きる。俺は千年以上もエアルが薄い場所に閉じ込められて、空腹に喘いでた…術式の契約は、俺が一番望むものを与えること………その時俺は、自分のエアルクレーネを求めてた」
千年、それは人間には計り知れないほど、果てしなく長い時間だ。
「それでラナを利用したってのか?」
「そう……だね……利用、ラナが話しかけて来た時、俺はエアルを腹一杯食べたい、って言ったんだ……そしたら目の前で手を叩いて、エアルを集めて見せた。いくらでも食えよ、って」
「……でもラナは、クライヴと居る事を嬉しく思っているじゃないですか!お互いが望んだ事だったんですよね?」
エステルはあまりに悲しそうに言った彼に、声を荒げた。
少なくとも、ラナは仕方なく彼と共に過ごしているようには見えない。
「子供だったし、判断力があったとは思えないよね……」
「契約を破ったら、どうなるの?」
「俺が入ってた封印術式に……今度はラナが閉じ込められる。術式の中では死ねない。空腹と、喉の渇きを感じながら、いつまでも生き続けるんだ……誰かが解放してくれるまで」
想像したくもないような話にエステルは、真っ青な顔で眉を寄せた。
「契約を無くすとか、都合のいい話はないの?」
リタの言葉に、彼は首を振った。
「契約を終えるには、俺が死ぬか、ラナが死ぬか」
「そんな……」
エステルの悲痛な声。
それを払拭するように、ユーリはため息をついた。
「エアルを集めたらすぐクライヴが食うんだろ?前みたいな使い方しなきゃ、大した問題じゃねえだろ。どうなんだ?リタ」
「えっ…わかんないわよ……本当にエアルが原因なのかもわからないし」
リタは困り顔で腕を組み、そう言った。
「ラナは知ってるんですか?エアルが悪影響かもしれないって事……」
「知らない」
クライヴは首を振った。
それどころか、ラナはいつも、契約なんてなくてもそうしてやる、と笑うのだ。
この手の話は、2人の間では随分していない。
彼もついつい、泉が無いから一緒にいるんだ、と憎まれ口をたたいたりもする。
「不確定な事が多すぎるわね……エアルを集められるなんて話、聞いた事もないし…」
リタは脱力したように、椅子に腰をおろした。
エアルを集める力がラナに悪影響を及ぼす、という事さえ、まだ確証はないのだ。