暗緑の灯火
女は衣装で変わるもの
「うわーーーーー!寒いしっ!」
ラナは両腕を摩りながら、クライヴの背にぴたりとくっつく。
「だから言ったのに」
彼は呆れた様子でそう言った。
「や〜身が引き締まるわ。一体いま何度だ?」
ラナは、近いようにも見える海を覗き込む。
ダングレストから離れ夕焼けはすっかり消えて、真昼の日差しに照らされた水面は、キラキラと輝いて美しかった。
「きもちいいな。このまましばらく飛んでてくれないか?」
彼女は仰向けに寝転がると、大きくあくびをした。
「え〜俺飛びっぱなしなんだけど」
クライヴは抗議の意味をこめて、わざと身体を揺らした。
「わっ危ないなっ!やめろっ!心配すんな、これからの事も今から考えるから」
「あ、やっぱ今から考えるんだ……」
彼ははぁーっとため息を吐いてから、高度を落とした。
水面ギリギリまで下がると、水をわざと足で切って進んでいく。
「水鳥にでもなるつもりか?」
不敵に笑ったラナは、再び彼にしっかりと身体を預ける。
「さっきさ、ミツバチがフェローを説得したんだよ」
クライヴの言葉に、彼女ははっとして起き上がる。
「神業だな……どうやって?」
「俺に話しかけてきたわけじゃないから、よくわかんなかった」
「なんだよそれ。あれか、ナギーグってやつか。クリティアって便利だな」
今度はしっかりと座り直して、クライヴに抱きつくと、楽しそうに言った。
「よし、ミツバチのトコ行こう!」
「何処にいるかわかんないだろ〜」
彼はまたもやため息を吐くが、ラナはにやりと笑って言う。
「エステリーゼ様の所だよ!」
「ってことは、黒いののトコって事だね」
ふふんと楽しそうに彼は笑った。
「嫌味な事いうなよ」
ーーヘリオード昇降機前
「ちょっと、この先に行きたいんだけど」
ユーリは広場から下へと降りる昇降機前で、見張りらしき騎士の男に声をかけた。
「ダメだダメだ。この先にある労働者キャンプは危険だからな」
「ふーん……」
危険、というのはよくわからないが、決して通す気はない事はわかる。
もとより、はいそうですか、と事が運ぶなんて思っちゃいないユーリだったが、隠し事のにおいがぷんぷんする。
しかしながら、大人しく物陰に引っ込んだユーリに、カロルはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった……ユーリのことだから、強行突破しちゃうかと思った……」
「慎重に、がボスの命令だったからな」
「でも、どうやって通ります?」
「やはり、強行突破が単純で効果が高いと思うけれど」
ジュディスは服装に比例して性格も大胆な様で、なぜいけないの?と首を傾げる。
「それは禁止だよ!とにかく見張りを連れ出せればいいんだよ」
カロルがピシャリと言い放った。
「どうやってです?」
「……色仕掛け、とか?」
カロルは苦肉の策、といった感じだったが、ユーリがじゃあ……と女性陣を見た。
「面白そうな事やってんな、混ぜてよ」
いきなり背後に現れた気配に、カロルはビクリと体を縮こめた。
そこには上機嫌なラナと、反して不機嫌そうなクライヴ。
「ラナ!びっくりさせないでください!それよりあの後どうしたんです?!今は何の途中です!?」
エステルがまくし立てたので、彼女はシーっと唇に指をたてた。
「今は追われる身ですので、すみません」
「大丈夫なのか?」
ユーリはラナに触れようと手を伸ばす。
「さわんな、変態」
その手をパシンと払ったのは、クライヴだ。
「あのなぁ……」
ユーリは結構な勢いで叩かれた手をヒラリと振った。
「で?色仕掛け?早く早く」
ラナは何故か楽しそうに笑う。
「じゃあ、お前がやんのか?」
ユーリの問いに彼女はピタッと固まった。
そう来るとは思っておらず、少しだけ考えてから、任せとけ、と親指を立てる。
「えぇ〜副団長が騎士にって……無理だよ、バレるって」
カロルは両手をバタバタさせながら抗議する。
「あら、その服装を変えればいいわよ。女は衣装で変わるものよ」
ジュディスは楽しそうに笑う。
「では、服を買いに行きましょう!大丈夫です、ラナはいつでも団服ですから、かわいい格好をすればバレないですよ!」
ラナの修羅場見たのか見てないのか、彼らはあまり気にしていない様だった。
「あなた、あの時の……」
先を行くユーリ達に遅れてついて歩くクライヴを見て、ジュディスが言う。
彼が鳥だと気がついたようだ。
「どうも、ミツバチさん」
素っ気なく返事をした彼は、少し間を置いてからニヤリと笑った。
「ミツバチ……?」
「俺も結構なはみ出しものだけど、あの若い始祖の隷長は大変だね。ヘルメスの娘のお守りだなんて」
クライヴの言葉にジュディスはあからさまに不快な顔をする。
「魔導器壊して回っても、意味ない事はわかってるんだろ?永久にイタチごっこだ」
クライヴはなおも挑発する様な言葉を続ける。
「それでも……私は……」
ジュディスはぎゅっと拳を握る。
「父親の失態を消し去りたい?それとも……世界を救う事に酔ってるとか?」
「ふざけないで頂戴」
ジュディスは憎らしげにクライヴを睨みつけた。
「別にどっちでもいいんだよ。フェローはそうする事であんたを生かしたいだけ。理由がないと困るんだよね」
彼の言葉にジュディスは押し黙る。
「あんたのナギーグって、他より鋭いみたいだから……わかったんじゃない?始祖の隷長の気持ち」
「私は私のしたいようにしているだけよ」
「俺に言わせたら、それは立派な自己陶酔ってやつだね」
クライヴの言葉の真意はわからないが、ジュディスにとっては気持ちにどこか疑問を残し、後味の悪いものとなった。
ショップへとやってきた一行。
「どんな男の子もイチコロになっちゃうような服ってないかしら?」
ジュディスは店員に詰め寄る。
「イチコロって……お姉さん達が着るの?うーんと……こんなのどう?」
店員はヒラヒラした生地の洋服を出して来たが、エステルが声を荒げて言う。
「ダメです!!それではラナの魅力の半分も引き出せません!」
「そ、そう……じゃあ……これ?」
再び差し出した洋服に、今度はユーリが文句をつける。
「ダメだな。こいつはこういうのじゃねんだよな」
「え、えっとじゃあ……」
「ダメダメね」
今度はジュディスが首を振る。
「ダメなの?」
カロルはさっきから基準がわからず首を傾げる。
「それなら!思い切ってこれはどうだ!!」
「それだ!」
「それです!
「それね!」
「ちょっと、本人の意見は!?」
ラナは抗議しようと覗き込んだが、出された服を見て、おーっと嬉しそうな声をあげた。
「どう?」
着替えて出てきたラナ。
結わえた髪を解き、頼りない紐のビキニに首には長いストールを巻いて、これでもか、というほどに短いスカート。
足元はレースアップのブーツに、黒い手袋をはめて、ジュディス張りの露出度だ。
というか、彼女より多い。
騎士団の服装からは想像出来ないほど、打って変わって活発な格好と言えるだろう。
「ほんとにそれで行くの?」
クライヴは1人冷静につぶやく。
「おう。て言うかもう団服はいらない、これからはこれでいく!」
ラナは鏡の前でポーズを決め、髪をあーでもないこーでもないといじりはじめる。
「もー!切る!!」
彼女は剣を抜くとそのままざっと髪を切った。
「「「ええ!?」」」
カロルとジュディスは驚きに目を見開き、エステルはわたわたと切った髪を掴む。
ラピードとクライヴがため息をつくそばで、ユーリはあーあ、と頭を抱えた。
「あーすっきりしていい感じ」
嬉しそうに鼻を鳴らした彼女は、さらに整えようと剣を握る。
「ばか!後は俺がやる!」
ユーリは慌ててそれを止めに入ると、彼女を羽交い締めにした。
「いくらなんでも大雑把すぎます!」
「ほんと、びっくりしたわ」
「コイツは昔からこうなんだよ。行動が極端すぎる……」
ユーリははぁーっと大きく息を吐いた。
ショップの裏手でユーリはラナの髪を丁寧に切りそろえていく。
その手つきは随分と慣れたもので、彼女の髪はみるみる綺麗に整いを見せる。
「ったく、一言言えよ、最初から切ってやったのに」
ユーリがため息混じりにそう言うと、ラナは嬉しそうに笑う。
「なんかさっぱりしたくてさ〜」
「だから、言えっつの」
ユーリはさっと首元の毛を払うと、できたぞ、と彼女の肩を叩いた。
綺麗に前下がりになった髪は、上品でさっぱりとした清潔感がある。
「ありがとな、ユーリ」
髪を触って確かめ、満足げに笑う。
服装も合間ってか、随分と色々とすっきり吹っ切れた様にも見える。
ユーリはすっと彼女を引き寄せて、軽くキスをした。
「かわいいんじゃねえの?」
彼の一言に、彼女は一瞬固まって、ふいっと目を逸らすと少し頬を赤らめた。
「や、やめてくれ……」
ありえない反応に、ユーリは目を白黒させて、何故か彼までも赤面してしまい、顔を逸らした。
「やめろ、こっちが恥ずかしくなった……」
彼はあぁ、と、うめきながら手で顔を覆った。
騎士団としての彼女以外を見るのは、数年ぶりだ。
露出も多いし、見慣れない格好だが、似合っているのでユーリとしてはよしとしておこう、と1人頷いた。
彼女がいきなりイメチェンを始めるときは、大概思いつめている時なのだが、そばに居れば大丈夫だろう。
ダングレストでの話も、追い追い聞けばいいだけの事。
「どうです?似合ってます?」
2人がショップに戻るとエステルまでも際どい格好で待っていた。
「私も少し雰囲気を変えてみたのだけれど」
すっと隣に現れたジュディス。
彼女もまた、いつも以上に挑発的な服装だ。
「……ってなんで2人もそんな格好してんの?」
カロルは付き合いきれない、とばかりにため息をつく。
「ついでだから、私達も選んでみたの」
「……いくらなんでもその格好はないだろ」
ユーリのつっこみに、ジュディスは首を傾げる。
「エステリーゼ様……フレンにでも見られたら、私が怒られます」
ラナは頭を抱えた。
彼女は思わぬ自由に、気分がかなり開放的になったらしい。
自身も人の事は言えないのだが、それに本人は気がつかない。
「とにかく行こうよ!」
カロルの言葉に、ラナはおう、と返事をする。
「その前に、ジュディとエステルはその格好なんとかしてな」
ユーリがそう言ったので、2人は少し残念そうな顔をした。
彼女達は非常に何か言いたげだったのだが、サラッと無視をしてのける。
物陰からユーリ達が様子をうかがう中、ラナはよろよろと広場を歩く。
「あぁ……」
彼女は大げさによろめいて、騎士の目の前で膝をついた。
「ご婦人!どうかされましたか!?」
騎士は慌てた様子で彼女に駆け寄る。
「す、すみません……ちょっとめまいが……」
ラナは弱々しい声で返事をした。
「ん?どこかで……お会いしましたか?」
「えっ……そんな……嫌ですわ…わたくしを口説いておいでですの?」
「ラナさんって、ああいうキャラにもなれるんだ……」
カロルは別人にすら見える彼女に、感心しながら頷いた。
「ぷっ……だめ俺、耐えられない」
クライヴは笑いを堪えようと、うずくまって震える。
「絶対笑うなよ、ぶっとばすぞ」
ユーリはぐりぐりと彼の頭にげんこつを押し付けるが、クライヴは変わらず笑いを堪えようと短くひーひーと息を吐く。
「口説くだなんてそんなつもりは!ご婦人、立てますか?医者の所までお送りします」
騎士は兜を上げて手を差し出す。
「あの……わたくしそれよりも…あなた様に介抱していただきたいですわ……」
ラナはただでさえ頼りないビキニをくいっと引いた。
「胸の辺りが苦しくて、今すぐに楽にしていただきたいの……」
そう言ってふぅっと艶かしい吐息を吐いて、頼りなさげな足取りで遠ざかる。
「……は、はい〜」
騎士はだらしなく鼻の下を伸ばし、フラフラと彼女についてくる。
引っかかってくれなければ困るのだが、なんともまあ、情けない。
皆が待っている柱の影まで誘導し、騎士がラナに触れようとした瞬間、ユーリが後ろから思い切り殴りつけた。
そのまま地面に倒れた騎士を見下ろし、彼は言う。
「わりい、ちょっと私怨が入っちまったぜ」
彼は拳を振って、不敵に笑った。
「……結局、最終的には殴り倒すんだね」
カロルがあーあ、と肩を落とした。
「じゃなきゃ後始末どうすんだよ」
「ぶっ、あははははっ!俺、ほんとにげんかい〜!」
クライヴが大笑いを始めたので、ラナは彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「完璧です!副団長だとは、思われてもいないですよ!」
「で、あなたはそれをそのまま着ていくの?」
ジュディスの言葉に、あたりまえだ、とラナは笑った。
「好きよ、そういうの」
「じゃあ、次カロル、コレ」
ユーリは騎士の兜を差し出した。
「ええ!?なんで?!……ていうかボク?」
カロルは困惑した様子で、皆を見回す。
「あら、この方が動きやすいんじゃないかしら?」
「いいな、こういうの。ドキドキする」
ラナは1人楽しそうに笑う。
「いるよね、開放的になりすぎて下手こくやつ」
クライヴはかなりうんざりした様子で言った。
「う、動きづらいし息苦しい……」
カロルは兜をかぶっただけなのだが、慣れない事に戸惑っているようだ。
「だいじょうぶ、すぐ慣れるって」
「ユーリ、兜なんかかぶった事ないクセに」
ラナはポツリと言葉を零した。
騎士の所属は大まかに二つに分かれていて、小隊や隊に直属の所属となる場合と、所属はあっても治安維持や警備のために街への配備に割かれる場合がある。
ユーリやフレンは小隊に所属を直に置いたいわば戦闘要員で、彼らが兜をかぶる事はなかったのだ。
そんな彼が兜の心地など知っている筈もなく、適当な発言である事は間違いない。
そうかな?とカロルが兜の具合を確かめていると、詰所の方から騎士が走ってきた。
「おい!何こんなところで油売ってるんだ!」
切羽詰まった様子でそう言った騎士は、有無を言わさずカロルを引っ張る。
「え、え……?」
「詰め所が大変なことになってるんだぞ!」
「いや、違うんです、待って、はなして、助けて〜」
「……ユーリ、なんで助けなかったんです……?」
エステルは眉をしかめた。
カロルが普通に受け入れられた事も驚きなのだが。
「いや……あまりにも突然で、オレも動けなかった……様子を見に行ってみるか……」
ユーリは頭をがしがしとかいて、カロルが引っ張られた方へと歩き出した。
「中で何が起こってるんでしょう?」
エステルは難しい顔で、騎士団本部の扉を見つめた。
「さあな」
ドォォォン!
中からは突然に爆発音が響き、みしっと扉がきしむ。
「中にカロル入ってったのよね?」
ジュディスがそう言うと、クライヴはやれやれ、と肩を竦めた。
「ああ、そうだった。行ってみるか」
中にはいると、騎士が大勢倒れていて、その真ん中ではリタが肩で息をしながら激昂していた。
「モルディオ……!?」
ラナの声で、リタはハッとして振り返る、と当時に首をかしげた。
「あんた……なんか雰囲気かわったわね……ちょうどよかったわ、あたしをこんな所に閉じ込めて、どう言うつもり!?」
事情を知らないリタは、ラナに詰め寄るのだが、どういうつもりと聞かれても、こちらはなぜ彼女が暴れているのかすらわからない。
「おまえが中で暴れてたのか?」
「あんたたち……」
ユーリに声をかけられ、やっと皆がいる事に気がついたあたり、かなりご立腹だったようだ。
「カロルは大丈夫かしらね」
「おっと……カロル」
「カロル」
「チビリーゼント」
「ガキんちょがどうしたの?」
倒れている騎士を押しのけ、ひょこりと小さな騎士が起き上がる。
「まだやる気!?」
リタは咄嗟に身構えたが、ユーリがそれを制した。
「待った……カロル?」
「う、うん……ひ、ひどいよリタ……」
顔を見ずともわかる、彼はきっと涙目だ。
哀れな、とラピードが1人鼻を鳴らした。