暗緑の灯火
裏切り者の名
アレクセイの執務室に忍び込んだはいいが、それらしきものは紙切れ一枚見当たらなかった。
重要な資料などは全て、何処か別の場所にでもあるのだろうか。
「ダメだ……今更、私に手が出せる場所にあるわけないよな……」
ラナはいつも彼が座っている、執務用の椅子に座った。
「他の部屋は?」
クライヴは執務机にもたれかかり、壁に掛かった騎士団の紋章を見つめる。
「他はオヤジの私室ですかね。でもあそこは膨大な何かを隠す場所はないんだよ」
彼女は大きく息を吐いてから、言葉を続ける。
「あるとしたら、ここだ。どっかに隠してるはず…」
「でも、秘密の部屋でもあったら、探しようがないんじゃない?ここも、どっかに隠せるような場所はなさそうだし」
クライヴは隠し扉でもないかと探すが、それらしきものはない。
「………結局、信用されてなかったってことか」
ラナは自重気味に笑って、天井を見上げた。
レイヴンは、その部屋に入ったことがあるのだろうか?
彼は命じられればなんでもする。
心を無くしたかのような振る舞いが、余計に信じさせるのか。
自分は、評議会へのパフォーマンスのために、副団長になったのかもしれないと思うと、つくづく悲しくなる。
「もう行こう。あまり長く明かりをつけていると、誰かに気づかれる」
ラナは立ち上がると、明かりを消した。
「いいの?」
クライヴの問いかけに、彼女は少し笑って肩を竦めた。
その日はもうすっかり空も白んできていたので、そのまま自室で休んだ。
目覚めたのは、再び夜が訪れてからだったが、すぐにクライヴと共に帝都を発つ。向かうはダングレスト。
「バルボスとかラゴウの事、もう解決したかな?」
クライヴが言った。
「そうだな、大丈夫だろ?」
「結構どうでもよさそうだね」
彼は呆れた様子でそう言った。
「そうか?フレンに任せとけば、問題ないって思ってるからな」
「そんなに信用できる?」
「こういうのは信頼って言うんだよ」
ラナはクスリと笑った。
ダングレストから少し離れ、ヘリオードとの間の降りた2人は、夜の明けた森を進んでいく。
夕焼け空でも案外、朝の空気はわかるものだ。
街の入り口の橋手前で、向こうから走って来る少女に、ラナは手を振った。
「モルディオ!何処いくんだ?」
「……あんた、どこで何してたのよ」
リタは不満気に彼女を睨んだ。
「こっちはこっちの事。結局、無駄足だったけどな」
「そう、別にいいけど、バルボスなら死んだわよ」
「死んだ?」
ラナは首をかしげた。
「自分から身を投げたのよ。塔の上からね」
「それも、プライドだろうな」
「あたしには理解できないわ……死を選ぶプライドなんて……それにラゴウのやつもビビって逃げ出したみたいだし」
「………逃げた?あいつが?帝都へ戻ったんじゃなくて?」
「昨日から行方不明だって、興味ないけど。じゃあ、あたし行くわ……エアルクレーネの調査したいから」
リタはひらりと手を振って、ラナとクライヴの間を通った。
「調査、頼まれたのか?」
ラナがリタに向き直る。
「個人的な調査よ」
リタはこちら見ずに、行ってしまった。
「逃げ出すなんて、よっぽどの処罰が下ったって事?」
クライヴはラナを見た。
「処分が決まるには早すぎる。少なくとも…1日やそこらで決まる事じゃない………本当にビビって逃げたのかもな」
彼女はリタの後ろ姿を、 見えなくなるまで見送った。
「金はあるだろうし、隠居して暮らすって?そんなタチには見えなかったけどなあ」
クライヴは心底不思議そうに、そう言った。
その時、耳を劈くような轟音が響く。
「………来た」
クライヴがそう呟いて見上げた空には、フェローが緋色の羽を羽ばたかせていた。
どうやら攻撃をしかけたらしく、橋からは煙が上がっている。
「なにもこんなとこで、おっぱじめなくてもいいだろ……」
ラナは眉を寄せる。
「どうするの?助けに入るの?」
クライヴは試すようにラナを見つめた。
「………なあ、エステリーゼ様の命なんてどうでもいいって言ったら、驚くか?」
彼女は困ったように笑う。
「別に」
クライヴは、それが予想通りの返事だったらしく、肩を竦めてみせた。
「でも……彼女一人の命で世界が救われるわけでもないんだよな」
ラナはにやりと笑って剣を抜いた。
「そう言うと思ったよ……あ〜フェローと揉めるのは嫌だなあ」
クライヴは再び鳥に姿を変えた。
元々、こちらが本来の姿ではあるが。
「やばくなるまで、ここ待っててくれ」
彼女はそう言って駆け出した。
橋を渡っていく途中で、クリティア族の女性がフェローを見つめているのを見つけた。
彼女はこちらをチラリとも見ず、不安気に見上げている。
(……ミツバチ)
ラナは彼女の風貌に合点がいって、心の中で納得した。
「忌マワシキ、世界ノ毒ハ消ス」
フェローは、エステルを憎らし気に見つめて確かにそう言う。
「人の言葉を……!あ、あなたは……!」
彼女は困惑した様子でぎゅっと手を握る。
「エステリーゼ様!ご無事ですか?」
ラナはサッと彼女とフェローの間に入った。
「は、はい……」
消えいるようなエステルの返事が返って来たと思ったら、今度はフェローめがけて術式を纏った砲撃が放たれた。
「っ!これは!」
ラナは思わず、砲撃が放たれた方向に振り返る。
「ユーリ!」
エステルは街から走って来たユーリとカロルに、少し嬉しそうに声を上げた。
なおも続く砲撃に、フェローは次第に離れていく。
「無事だな、ってラナ……?あれもなんだ?」
ユーリは某然とする彼女に声をかけ、砲撃を放ち続ける大きな要塞のようなモノを見る。
川を上がって来たらしきそれは、異様な雰囲気だ。
「ヘラクレス……」
エステルが呟く。
「………ユーリ、エステリーゼ様を頼む」
ラナの言葉に、ユーリは首をかしげた。
「お前……」
「許さない……!」
ラナはアレクセイの姿を見つけ、ぎゅっと剣を握り直すと、再び駆け出した。
「おいっ!」
ユーリが声をかけたが、彼女は一直線にアレクセイのところへと走っていく。
「オヤジィイイイ!!てめぇいい加減にしやがれ!!」
彼女が振り下ろした剣を、アレクセイはとっさにかわすが、僅かに腕をかすめ、鮮血が散った。
「ラナ!何を!」
アレクセイが驚きに目を見開く。
「殿下の計画を邪魔するつもりか!」
彼女は切っ先を彼に向ける。
「ばかな……やむ負えなかったのだ……」
「あれは、聖核を使っているんだろ!そんなもので始祖の隷長を打つのも、彼らに対する侮辱!彼らの恩情を無下にした挙句、殿下の邪魔までしやがって!」
背後では、なおも続くヘラクレスの砲撃が、橋を打ち砕いた。
「彼女の命のが優先的ではないのか?」
アレクセイも剣を抜く。
「だったらてめぇが身体張って守りやがれ……言い訳並べてんじゃないぞ……」
2人の一触即発の雰囲気と、アレクセイの腕を見て、親衛隊がラナを取り囲む。
「副団長…!これは一体…!」
騎士の1人が困惑した声をあげる。
「この女はもう帝国騎士ではない!!裏切り者だ!!」
親衛隊1人が声を張り上げ、騎士達の間には、戸惑いの声が上がる。
しかしラナはすっかり取り囲まれ、不利な状況は誰が見てもわかる。
じりじりと親衛隊が距離を詰めはじめた瞬間
ドォオオン!
彼女の周りを氷の柱が取り囲んで、親衛隊との壁を作った。
あたりには、ひやりとした冷気が流れ込む。
「なっなんだ!?」
親衛隊は驚いて、一歩遠ざかる。
「ふつー暗殺とかにするだろ〜この人数のとこに突っ込むなんて、無茶すぎ」
彼女のそばに舞い降りたクライヴは、はぁーっと大きくため息をついた。
「あれは……!」
アレクセイは氷の壁の外側で、眉を寄せる。
「ごめん、キレた。でも、おかげで頭冷やせたわ」
彼女は剣をおさめ、彼の背に乗った。
「とりあえず、逃げるよ」
クライヴはひらりと舞い上がる。
「ラナ!!」
地上から呼び止めたのはフレン。
「一体どうしたって言うんだ…」
フレンは責める風でもなく、ただただそう問うた。
「………信じるモンが違えば、オヤジの所には居られない」
ラナはじっとフレンを見つめる。
「でも、こんな形で去るのは間違ってる!」
彼は悔しそうにそう言ったが、彼女はフッっと笑って言う。
「……なあ、雲の上から見る朝焼けって、虹色に光るんだぞ」
彼女の言葉にフレンは首を傾げるが、それにも少し笑ってクライヴと共に飛び去って、すぐに見えなくなってしまった。
「……どうして」
フレンは悔しそうに拳を握った。
クライヴは街から遠ざかり、海へ出た。
「……頼む、もっと上まであがってくれ」
ラナは空を見上げる。
「……いいけど、寒いよ?」
「いい」
彼女はそう言って、柔らかいクライヴの羽を撫でた。
「無理になったら言ってよ。絶対寒いし、息苦しいから」
彼は諦めたようにそう言って、高度を上げた。
「ああ、わかってるよ」