暗緑の灯火
ズレ始めた歯車
それから今後の事を少し話し合い、ラナはフレンに殿下護衛を任せると、あくる日にヘリオードへとむかえるよう、ヨーデルが乗る馬車の手配に騎士の野営テントへ向かった。
トリム港には騎士団詰所はないので、ヘリオードから馬車をこちらに向かわせなければならない。
伝令の騎士にその旨を伝え、残りのフレン隊には一旦ノール港に戻ってもらい、フレン達が乗ってきた馬を連れてくるように、と頼んだ。
ソディアがそれに向かったので、ラナは港からそれを見送る。
夕陽が美しく海を照らし、灯台に光が灯る。
雨もやみ、今夜は久しぶりに、気持ちのいい夜になりそうだ。
宿に引き返して、フレンにちょっかいでもかけてやろう、と街の方へと歩いて行った所で、見慣れたオレンジの隊服を見つけてラナは立ち止まった。
ルブラン達と何やら言葉を交わすと、ルブラン小隊三人組は敬礼をして走り去って行く。
「今度はシュヴァーンか。忙しいな団長の腹心は」
ラナが声をかけると、レイヴンもとい、シュヴァーンは無表情にこちらを振り向いた。
「副団長こそ今度は殿下の護衛ですか?」
隊服を着るとこいつの態度は180度かわるので、それがおかしくてラナは眉を下げた。
「ったくこっちのお前はやりにくいわ」
ラナはシュヴァーンをひっぱり、倉庫の裏に連れ込んだ。
怪訝な顔をしながらも、それに着いてくるのは、今はシュヴァーンだからだ。
だが、団服を纏う彼は、酷く息苦しそうにも見える。
「お前、今度は何をするつもりだ?」
ラナは睨むようにシュヴァーンに顔を近づけた。
「………姫を攫った一味をカルボクラムへと誘導しました。今からそこへ向かい、姫様をヘリオードへお連れするつもりです」
レイヴンである時も、こいつの目は何も見ていない。
それでも、シュヴァーンである時は、さらに死んだ目をしている。
「今、オヤジもヘリーオードだ。聖核はあったのか?」
「いえ……見当たりませんでした」
「ほんとうだろうな?」
ラナの言葉に、彼はこくりと頷いた。
大方、これからダングレストへ、レイヴンとして向かう前に、後からアレクセイに頼まれそうな事を、彼らの所在がわかるうちに済ませたいのだろう。
「副団長は宙の戒典について、何かご存知ですか?」
シュヴァーンは自身が放った言葉が、思いも寄らないものだったらしく、少しはっとして、なんでもありません、と制した。
「……宙の戒典は今は失われている。誰が持っているかは、お前ならわかっているだろ?」
ラナは少し驚いたが、目を伏せて話を続けた。
「あれには、今は失われたゲライオス文明の技術が備わっている。ラゴウはその複製を作ろうと躍起になっているはずだ。もちろん、皇位継承のかざりではなく」
「その技術共々、複製を?」
「ああ、実際にどの程度それが進んでいるのかはわからない。オヤジはあえて泳がせていたようだが、ヘルメス式の技術もどこから仕入れたのか……なんにせよ、これ以上は捨て置けないな」
ラナはそう言って、ため息をつくと、また表通りの方へとつま先を向けた。
シュヴァーンの眉がわずかに歪み、その表情はすぐに困惑したものに変わる。
「技術を提供したのは騎士団長です」
彼から飛び出した言葉にラナはハッとして振り返った。
その目は、酷い焦りを感じさせ、言いたい事がたくさんあるのだろうが、混乱しているのが、シュヴァーンでもわかった。
「……冗談だろ?」
ラナがやっとの思いで絞り出した言葉は、何の思慮もない一言だった。
自分でも、そんな事を問うても意味はない事はわかっているが、それでも言わずにはいられない。
全身を嫌な感覚が走っていく。急に自分の周りだけ、重くなったようだ。
嘘だと言って欲しい、とバカバカしい事を考えていたが、シュヴァーンが困惑したように見つめ返してきたので、ラナにとって最低の結果になってしまった。
シュヴァーンと別れ、ラナは気持ちを落ち着けようと、波止場から海を見つめていた。
オヤジが魔導器研究を極秘で行っていたことは知っている。
もちろんそれは、ヘルメス式の改良の為だと思っていた。
いや、そうで無ければならない。
10年前の過ちを、もう一度たどるような事はあってはならないのだから。
ずいぶん前になるが、アレクセイは帝都の地下遺跡を捜索していた。
そこで得るものがあったかどうかはわからないが、ヘラクレスの完成を見たのは、そのすぐ後あとだった。
あれ程ものであれば、動力に聖核を使いたいのであろう。
いや、もしかすると既に見つけ出して使っているかもしれない。
人々の安寧を願う彼ならば、と多少の事には口出しせずにいたが、ラナには言えないような事までしている。
彼女が始祖の隷長と、繋がりがあるとは知らないが、それを除いても計画を進めるにあたっては、どうやら邪魔らしい。
エアルクレーネの調査で最近は帝都を離れていた。
それはめずらしくアレクセイからの頼み事だったが、それが終わって戻れば、今度は殿下捜索。
殿下と合流すれば、以前から言っていた、ユニオンとの友好条約の話を進める事になるため、まだ帝都には戻れない。
そこまでわかって、ラナに言った可能性は大いにあるだろう。
確かめなければ気が済まない。
今すぐに飛んでいきたかったが、殿下をほっぽり出しては行けない。
ぐっと堪え、明日ヘリオードで捕まえて話すしかないだろう。
何としても、時間を作らなくては。
明朝トリム港を後にして、ヘリオードへと向かった。
問題も特になくヘリオードへと辿り着き、案の定ユーリ達が詰め所に捕らえられて居るらしい事を聞いた。
ヨーデルとエステリーゼは彼を罪に問わないように命じ、丁重に礼を、と事付けた。
当然、そんな事を言われれば、アレクセイも赦免するしかなくなる。
ラナはアレクセイと話をする為、彼の所へと向かう。
ここ、ヘリオードは新しい街で、今も建設が続いているので、騎士団の建物も真新しい。
利便性を考え設計されているので、城とは違い、とてもわかりやすい造りをしているので、ありがたい。
騎士団長の執務室としてキチンと設計された部屋は、扉までもいかにもな雰囲気だ。
見張りの騎士に敬礼をされ、彼女は深呼吸をしてから扉をノックした。
中からどうぞ、とクロームの声が返ってくる。
いつもより重たく感じる扉を開ければ、タイミングのいい事にアレクセイとクローム以外は、誰も居なかった。
「ラナか。殿下救出ご苦労だったな」
アレクセイはちらりとこちらを見てから、すぐに手元の書類に目線を戻した。
「ほとんどフレンの活躍だな。あとはユーリ・ローウェルが居なければ殿下は今頃海の底だ」
「滅多な事を口にするな。結果が全てだ」
「結果ね……執政官にはシラを切られたがな」
ラナは執務机の前に立った。
「執政官の任期はそれほど長くはない。こちらでも今、証拠集めに人員を割いている」
アレクセイは書類にサインをすると、クロームに手渡した。
「すまないが、席を外してくれたまえ」
アレクセイの言葉に彼女は頷いて、部屋を出て行った。
扉を閉めれば、大声でも出さない限り、外に会話が漏れる事はない。
「さて、聞きたい事がある、という顔だな」
アレクセイは手を組んで、真っ直ぐにラナを見つめた。
「オヤジ、私がエアルクレーネの調査に行く前、ラゴウ達をしばらく泳がせとけって言ったよな」
「ああ」
「それは、ヘルメス式の情報をラゴウに与えていたからか?」
ラナはぎゅっと拳を握った。
「難しい顔をするな」
アレクセイは立ち上がると、窓辺に立つ。
「こちらでヘルメス式の研究をするには、いささか資金に不安が残る。金も時間も持て余した者に少し任せてみただけだ」
最近、少し尊大さを感じさせる騎士団長も、その背には少しばかり疲れを背負っているようにも見える。
「竜使いが壊してくって事は、やっぱり不完全だって事だろ?何のメリットがある?」
「収穫はあった。いや、正確にはまだだが、あと少し、と言った所だな」
「……オヤジ、今何考えてる?!」
ラナはアレクセイに掴みかかりそうな勢いで詰め寄った。
「どういうつもりだ!不完全なヘルメス式を多く用いれば、始祖の隷長がどう出るか!」
「始祖の隷長など、恐るるに足らぬ。ヘラクレスの完成はラナも知っているだろう」
アレクセイはなだめるように、彼女の肩に手を置いた。
「あれに賛成した覚えはない。不要な軍事力は、ユニオンとの関係にも亀裂が生じる」
ラナはアレクセイの手を払って、背を向けた。
「難しく考えるな。事が済めばあれも不要になる。真に平和で豊かな世界……」
「ならどうして最初から私に言わなかった?私にはラゴウがヘルメス式を手にしている事も言わなかっただろ」
「言わなかったわけではない。ラナには調査を優先して欲しかったのだよ」
「………オヤジだって人魔戦争がどんなもんだったかわかってるだろ?」
「あの様な痛ましい事は、もう繰り返させない。その為にも、今は走り続けなければならない」
アレクセイは目を伏せた。
「……三度目の混成部隊はうまくいってるよ。フレンが上手く纏めてる」
ラナは振り返らずに部屋を出た。