暗緑の灯火
己の無力さを呪う
「で、こいつだれよ」
リタがヨーデルを指差して言ったので、ラナは慌ててその指を両手で掴んだ。
「モルディオ!宿を用意させているから、詳しい話はそこで!」
彼女はそれにしぶしぶながらも納得したようで、手を引っ込めた。
先にヨーデルを連れて、宿へと向かったラナ。
するとすぐに、フレンがラゴウを連れて戻ってきた。
「おやおや、ヨーデル殿下までお揃いで、一体なんですかな?」
ラゴウは嫌みたらしく笑みを浮かべると、大げさな動作でヨーデルに頭を下げた。
「執政官、今回の件であなたのした事は大罪ですよ」
フレンの言葉に、ラゴウは鼻で笑って首を傾げた。
「何の事でしょう?私にはさっぱり」
「税金未納者を拘束、まではいいですが…魔物に襲わせて殺害、おまけに殿下の誘拐、および監禁。そして御身を危険に晒した。これではこちらもあなたを解放するわけにはいきません」
ラナは肩を竦めた。
「……一体なんの話ですかな?確かに未納者を拘束はしていましたが、あくまで法的措置。殺害などと言われる覚えはありませんが?しかも、私が殿下の誘拐などとそんな訳のわからないことを……」
「あなたの名も上がっていますが、あくまでシラを切ると?」
ラナはラゴウを睨みつける。
「シラを切るもなにも、私はそのような事は一切しておりません。何者かが私の名を語ったようで、困ります」
勝ち誇ったようなラゴウの顔は、殴り飛ばしたくなる。
ラナは予想していた結果に、大きくため息をついた。
「それに、殿下が行方不明になられていたとは、まったく存じ上げませんでした。いやはやご無事でなにより」
ラゴウはヨーデルに、わざとらしいほどに心配そうな表情を見せた。
ヨーデルはそれに笑って見せる。
正式な皇帝候補と言うだけあり、その笑顔はなんて事ないように見える。
するとドアが開かれた。
「こいつ……!」
1番に入ってきたリタは、ラゴウを見て思い切り顔をしかめた。
それは、後から入って来たユーリ達も同じだった。
彼らが屋敷の地下で見たものの悲惨さが伺える。
「おや、どこかでお会いしましたかね?」
ラゴウは、というと、やはりすっとぼけたことを言う。
「船での事件がショックで、都合のいい記憶喪失か?いい治癒術師、紹介するぜ」
「はて?記憶喪失?あなたと会うのは、これが初めてですよ?」
「何言ってんだよ!」
カロルが怒りに声を張り上げた。
「執政官、あなたの罪は明白です。彼らがその一部始終を見ているのですから」
フレンが諭すように言ったが、ラゴウは悪びれる様子もなく言う。
「何度も申し上げた通り、私は何もしていませんよ。名前を騙った何者かが私を陥れようとしたのです。いやはや、迷惑な話ですよ」
「ウソ言うな!魔物のエサにされた人たちを、あたしはこの目で見たのよ!」
リタは今にも掴みかかりそうな勢いで、声をより一層張り上げる。
その瞳はラナでも、あまり見た事がないほど怒りに満ちている。
「さあ、副団長、フレン殿、このならず者と評議会の私とどちらを信じるのです?」
ラゴウは2人を試すような目で見つめる。
しかし指名手配犯とその仲間の証言だけでは、罪に問う事はできない。
そしてエステルにもそこまでの権限はない。
というより彼女は無力である。おまけに城を無断で抜け出し、お忍びの最中。これでは立場は無いに等しい。
ラナもフレンも、これ以上の事は出来ないのだ。
「決まりましたな。では、失礼しますよ」
ラゴウはそう言って、何事もなかったかのように、ユーリ達をすり抜け部屋を出て行った。
「なんなのよ、あいつは!で、こいつは何者よ!?」
リタは憤慨した様子でヨーデルを再び指差すので、ラナはまたもや慌ててその手を握った。
「ちっとは落ち着け」
ユーリは困ったように眉を下げる。
「この方は時期皇帝候補のヨーデル殿下です」
エステルが言った。
「へ?またまたエステルは……って、あれ?」
カロルは冗談だと言おうとしたが、エステルの真剣な表情、そして皆の表情に、たらりと冷や汗が伝う。
「あくまで候補のひとりですよ」
そう言って笑いかけたヨーデルに、カロルは後ずさりした。
「先代皇帝の甥御にあたられるヨーデル殿下だ。このたびの救出、改めて感謝する」
ラナが言った。
「殿下ともあろうお方が、執政官ごときに捕まる事情をオレは聞いてみたいね」
ユーリはやれやれ、と肩を竦めた。
「……この一件はやはり……」
エステルが気まずそうにフレンとラナを見たので、ユーリは眉を寄せた。
「市民には聞かせられない事情ってわけか……エステルがここまできたのも関係してんだな」
ユーリの言葉にエステルは申し訳なさそうに俯いた。
皇帝候補だろうがなんだろうが、エステルはエステルで、ユーリにとってはあまり関係はないらしい。
それはきっと、彼女にとってはいい事だろう。
「ま、目の前で困ってる連中に見向きもしない帝国のごたごたに興味はねえ」
「ユーリ……そうやって帝国に背を向けて何か変わったか?人々が安定した生活を送るには法が必要だ」
フレンがユーリに言った。
「けど、その法が、今はラゴウを許してんだろ」
彼はあからさまな怒気を含んだ声で言う。
「だから、それを変えるために、僕たちは騎士になった。下から吠えているだけでは何も変えられないから。そうだったろ、ユーリ」
「……だから、出世のために、ガキが魔物のエサにされんのを黙って見てろってか?下町の連中が厳しい取立てにあってんのを見過ごすのかよ!それができねえから、オレは騎士団を辞めたんだ」
「知ってるよ。けど、やめて何か変わったか?」
フレンの言葉にユーリは押し黙り眉を寄せた。
「お前ら黙れ。殿下に見苦しい様を見せるな」
ラナはフレンの頭を叩き、ユーリを睨んだ。
フレンの言う事は正しいが、それでは今を救えない。
ユーリの意見もわかるが、それでは根本的な解決はしないし、自分が損をする。
それでも彼は、周りを救うだろうが。
だけど実際、皆が皆幸せな生活など、ありえないのだ。何処かで誰かが損をする。
そしてまたこの国も、簡単には正せない。
それは副団長であるラナだからこそ、言える。
変えてやろうともがくアレクセイを見てきたから、それがどんなに困難な事かわかる。
決して諦めている訳ではないし、今に甘んじているわけでもないが、現実はそう上手く運ばない。
ユーリは何も言わずに、そのまま部屋を出て行った。
「あ、待ってボクも……」
カロルが追いかけようとしたが、フレンの呟きに立ち止まる。
「またやってしまった……」
フレンはそう言って、くしゃりと自身の髪をつかんだ。
「あなたはどうされるんですか?」
ヨーデルは優しくエステルに微笑んだ。
「……ユーリと旅をしてみて変わった気がするんです。帝国とか、世界の景色が……それと、わたし自身も……」
エステルは目を閉じて、手を握った。
「そうですか……わかりました。少年……!」
フレンはカロルに向き直る。
「え……ボ、ボク……!?」
彼はびくりと体を固くする。
「ユーリに彼女を頼むと伝えておいてくれ」
「は、はい……!」
「いいんですか……?」
エステルは驚きに目を見開いた。
その瞳はキラキラと、まるで子供のように輝きを含んでいる。
「私がお守りしたいのですが、今は任務で余力がありません。それに、ユーリのそばなら、私も安心できます」
「フレンはユーリを信頼しているんですね」
「ええ」
「話がまとまったところで、そろそろ行かない?あいつ、見失うわよ?」
リタのその言葉をきっかけに、エステル達は宿を出て行った。
「………ったく、行かせてよかったのか?今回の事も、エステリーゼ様には危険が多すぎる」
ラナはふうっと大きく息をはいた。
「君も止めなかっただろう」
フレンはくすりと笑う。
「まあ、連れ戻せとは言われていないし」
ラナはにやりと笑った。
「エステリーゼは私と違って、剣の腕も立つ。少し外を経験するいい機会だよ」
ヨーデルはそう言って、いつもの笑みを浮かべた。
「……そうですね。所で殿下、例の件ですが……フレンを遣いに立ててはいかがでしょう?」
ラナはヨーデルに向き直り言った。
「はい、そのつもりだよ。ラナはどこまでついてきてくれるのかな?」
ヨーデルはニコニコと笑っているが、どこか無垢な笑顔の中に意地悪さが垣間見える。
「意地悪ですね……ここからは殿下とご一緒しますよ」
ラナは困ったように眉を下げた。
「例の件とは?」
フレンが首を傾げた。
「ユニオンと友好条約を結ぶ」
ヨーデルは、変わらず人が良さそうに微笑んだ。