満月と新月 | ナノ
満月と新月



ベティの力



ベティが考えるのは、ナイレンのこと。

彼が任務で死んだとアレクセイに聞かされたのは、雨が降り続いていたある日の午後だった。

遺体は回収不可能で、赴任先であるシゾンタニア近くの遺跡で亡くなったんだと、聞かされた。


命令違反だった。
アレクセイはそう言ったが、緊急性があったのにもかかわらず、増援隊をすぐに派遣しなかったのは、アレクセイの指示だった。

もちろん彼を責めた。
嫌と言うほど泣いた。

でも、未だに雨が降ると、ナイレンの事を聞かされた、あの暗い午後が彼女のそばまで迫ってきて、胸を締め付ける。

もう四年もたつのに、まだ思い出にはなってくれない。




結局寝つけずに、彼女は夜の散歩に繰り出した。


月の光が美しい。
ヘリオードの結界魔導器が創り出す光輪が、星を霞ませる。
広場で座って夜空をみていると、ラピードがやってきた。

「みまわり?」

「ワンッ」

彼はそう言って返事をすると、彼女の隣に腰をおろした。

「ラピード、よくあたしを覚えててくれたね」

優しく撫でるベティの手に、ラピードは気持ち良さそうに甘えて見せる。

彼が咥えている煙管はナイレンの、武醒魔導器はラピードの父、ランバートのものだ。
彼女が彼に会っていたのは、彼がまだ一歳にもならない頃だ。


最近になって帝都で偶然見かけた時は、思わずランバートかと思って追いかけ、煙管と魔導器をみてラピードだと気がついたのだが、彼がこちらを覚えていたことになにより驚いた。

「あなた、立派になったよねぇ」

「クゥン」

「俺なんかまだまだだって?謙遜しちゃってぇ」

「ワンワンッ」

「え?あたしいい女になった?もぉー口説かないでよぉ」

「ワンッ」





「やぁベティ、ラピードとデートかい?」


目の前までやってきて優しく笑っているのは、フレンだった。
キラキラと月明かりに照らされて髪が透き通るように綺麗で、伸ばせば綺麗な長髪かもしれない、とベティは思ってしまった。

「フレン…」

何故だか冷たい風が吹いていた心が、ふわっと暖かくなった気がする。
見知った顔にあったからだろうか。



「なんだか元気がないね、なにかあったのかい?」

フレンはラピードとは反対側、ベティの隣に座る。

「そう見える?そんなはずはないんだけどぉ」

誤魔化すように空を仰いだ彼女。
綺麗な横顔に、彼はしばし目を奪われた。
けれどもやはり元気がないように見えるベティを、どうしても放っておけない。

「今日は君と眠りたいんだけど、いいかな?」

フレンは少しだけ考えてから、彼女をそっと抱き寄せる。


「ん…今日は宿を1人で取ったから、私の部屋においで」

ベティは、1人になりたかったのだけど、1人で居たくなかったのかもしれない、と密かに思った。
だって抱きしめられた身体が、とても暖かく感じたから。








広場を後にして、部屋の前でラピードと別れた2人は、ベッドに潜り込み、談笑していた。

フレンの腕の中でだんだんと微睡んでいくのが気持ち良くて、ベティは彼の胸に顔を埋めた。


「僕は君の力になれないかもしれないけど、辛い時はそう言ってくれ」

「力になれないなんて、そんなことないわ…さっきフレンが来てくれた時、すっごくあったかい気持ちになったから…」

フレンの事は好きだと思う。
けれどそれは、特別なのかどうかわからない。
もしも恋人に抱く気持ちがこれだったら、それは特別なのかもしれないが、ベティにはわからない。

そんな事を考えながら、フレンをぎゅっと抱きしめ、彼女は暗闇に意識を沈めた。



暫くして、寝息を立てはじめたベティを見て、フレンはほっと息をはいた。

「ユーリには渡さないよ…」

彼はそうつぶやきながら優しく笑って、彼女の髪を撫でた。









翌朝、ベティを除いてユーリ達は宿屋のロビーに降りてきていた。

「…………」


「どうした?ラピード」

じっと外を見つめるラピードに、ユーリが声をかける。
その返事を待つ前に、カロルが言う。


「変な音聞こえない?」

「言われてみればそうね」


「ああ、結界魔導器の調子が、悪いらしいんですよ」

宿屋のおじさんが教えてくれた瞬間、リタが飛び上がるカエルよりも速く足を踏み出そうとしたが「ちょい待った!」とユーリが首根っこを掴んだ。


「なによ!」

彼女はその手から逃れようと、バタバタと手足を暴れさせるので、ユーリは思わずため息を吐いた。


「騎士団長様もいるんだし、すぐに手打ってくれるだろ」

「リタが出て行ってエフミドの丘ん時みたいになっちゃうと困るしね」


「フレンに知らせてやりゃいい」とカロルに同意するユーリ。
けれどもリタは、納得はしていないようだった。
これでは目を離したスキに、魔導器に飛びつくに違いない。





結界魔導器の前までくると、やはり聞き慣れないおかしな音がしており、諦めたかに思えたリタが、何も言わずに魔導器に駆け寄った。

「リタ、待ってください!」

ユーリが止めるより早く、制止の声がする。
見れば慌てて駆けてきたのであろうエステルが、少しだけ呼吸を整え「騎士団が修復の手配をしている」とリタに微笑んだ。

「今日くらい騎士団の顔、立ててやれよ」

「お願いします」

エステルはリタに向かって頭を下げた。
こんな皇帝候補はなかなかいないだろうに、リタも彼女に頼まれてはこれ以上は手をだせない。

「……わかったわよ」

さすがにもう魔導器を調べようとはせず、彼女は名残惜しそうに二、三歩離れ、くるりと背を向けた。









エステルは帝都に戻るまで一緒にいたい、と言い出して、リタはと言うとその後もぶつぶつと抗議をしてくるので、フレンに魔導器のことを相談する羽目になってしまった。
もともとフレンに会うつもりだったのだが。


「なんか、結界魔導器が、変な音出してるけど?」


「それが気になって、わざわざ顔を出したのか。相変わらず、ユーリは目の前の事件を放っておけないんだな」

フレンがやれやれ、と笑うのでユーリは何か言い返してやろうと思ったのだが、押しのけて声を張り上げた天才魔導師によってタイミングを奪われた。


「あたしに調べさせて!」


リタはじりじりとフレンに詰め寄る。

「もうこちらで修繕の手配はしてあるんだ。悪いが調べさせるわけにはいかない」

「なんでよ!」

納得いかないとリタはさらに声を張り上げた。
今ここに自分がいるのに、他に手配したというのだから、当然だろう。
どうも彼女は魔導器に思い入れが強すぎる。





ドォォォォォン!!


だが、いきなり大きな音が響いて地面が揺れた。
物が落ちるほどではなかったが、リタは「魔導器だわ!」と誰よりも早く詰所を飛び出してしまった。

「あんのバカ!!」

慌てて追いかけるユーリ達、それに続いたエステルをフレンが引き止めた。

「エステリーゼ様はここに!」







---同時刻

ベティは気持ち良い眠りから目覚めると、隣にいた温もりがすっかり冷えている事に気が付き、いつもより長く寝ていたんだなぁとぼんやり考える。
身支度を整えて、部屋を降りて行くと、なんだか聞き慣れない音が聞こえてきた。

「ねぇ何の音?」

彼女は宿屋のおじさんに聞いた。
無視するには不自然なほどの機械音だ。

「あぁ、なんでも結界魔導器の調子が悪いらしくてね。今朝からずっとこんな調子さ」

おじさんはどうしたもんかね、と肩を竦める。

「そう、ありがとん」



ベティは様子を見に行こうと、外に出て広場に向かって歩きだした。
気持ちのいい陽気なのだが、雨が降るのか少し湿気が多い。
嫌だな、とかだるいな、とかそう言う事を考えてゆっくり歩いていると、急速にエアルの乱れを感じた。
そしてその次の瞬間


ドォォォォォン!!


広場から耳を劈く轟音が響き渡り、石造りの街が揺れた。


「暴走?!」

ベティはだっと駆け出した。

広場についた時には結界魔導器は物凄い勢いでエアルを吹き出していて、かなり危険な状態だ。
周りの植物もみる見る間に巨大化し始め、びりびりと重たいエアルが広場を赤く染めていた。

「どうしよう…魔導器の事はわからないし…こんな量のエアル、とてもあたしじゃ抑えきれない…」

魔導器に駆け寄ってみたものの、さっぱりわからない。







ユーリ達が駆けつけると、ベティが魔導器の前に立っているのが見えた。
そんな彼女の体は淡く光を放っていて、彼女自身はエアルの影響を受けていないようにも見える。


「あいつ!なにを…っておい!リタ……!」

折角追いついたリタが、エアル渦巻く真っ只中に突っ込もうとしたので、ユーリは彼女の腕をつかんだ。

「ちょっとはなして!この子、エアルがバカみたいに出てる!この濃度じゃ命に関わるわ!」

「おまえだって、危険じゃねえか!」

彼はそう怒鳴るが、リタは「はなしてよ!」とさらに暴れた。
ぎゅっと掴んでいたはずのユーリだったのだが、再び街が揺れてエアルの衝撃波が飛んできて、皆一様に倒れこんでしまった。


それを逃さずリタは素早く起き上がると、止める間もなく魔導器の方へ駆け出した。

「あの魔導器バカ!」

ユーリは追いかけようにもエアルに押され、歩みを進める事が出来なかった。
こんな濃度のエアルに、今まで一度もお目にかかった事はない。





「ちょっとあんたなにしてんのよ!それにその体……!」

リタはベティを見て声を張り上げた。

「リタ…!いいところに!時間がないわ!なんとかエアルを調整して!リタの周りのエアルはあたしが抑えるから!」

「あんたが抑えるってそれどーいう…まぁいいわ」

彼女はそれどころではない、と首を振って、結界魔導器に向き直った。

「大丈夫、エアルの量を調整すればすぐに落ち着くから。元通りになるからね!」








「危ない!すぐに離れるんだ!!」


少し遅れてきたフレンの声が響く。

「ベティ……」

ユーリが振り返ると、騒ぎに駆けつけたのだろうアレクセイもそこにいた。
彼は心配そうにベティを見やって、すぐにフレンに指示を出した。

「市民を街の外へ誘導だ。あと姫様を含めた彼らも」


エアルの中で光を放つベティをアレクセイは何とも言えない表情で見つめていた。

「エアルの暴走だ。どうなるか想像が付かん」

誰に向けたかわからない彼の呟きが、ユーリにはやけに耳についた。





「リタ!!ベティ!!」

エステルが人ごみをすり抜け、魔導器に走り出す。

「姫様!?」

誰1人としてうまく身動きが取れない中、彼女はなんの障害もないかのように駆けて行った。
それに驚いたアレクセイは思わず口元を抑えた。



「エステリーゼ様!」


フレンが手を伸ばすが間に合わない。

「あいつ!?」

隣をすり抜けて行ったエステルが、ベティと同じように光っているのを見てユーリは思わず目を見開いた。





「リタ!ベティ!だいじょうぶ!」

「エステルは来ちゃだめ!戻って!!!」

ベティは悲鳴に似た叫び声をあげた。

「……エステリーゼ……」

リタはベティと同じように光を放つエステルを見て、思わず手を止めた。
が、すぐに視線を魔導器に戻し、最後の仕上げに操作盤を叩く。



「よしっ、できた……」

ホッとしたようでリタは大きく息を吐いた。
それで終わる、かのように思えた。
だがベティは、急に何かが弾けるような異様な感覚に襲われた。

「まずいっっ!」

本能的に危険を感じ、彼女は咄嗟にエステルとリタを結界魔導器から庇うように身を翻し、2人を押し倒した瞬間


ドォォォォォン!!


先ほどの二度よりも大きな爆風が巻き起こり、地面が大きく揺れた。

「きゃああああああっ!」
「……っ!!」

吹き飛ばされるようにして地面に伏した三人。


やや間があってエアルが収まり、エステルは恐る恐る目を開けた。
けれどもその瞬間、背筋が凍るのがわかった。
自分とリタを庇ったベティがぐったりと倒れていて、隣にリタも倒れたまま動かない。

「ベティ!リタ!しっかりしてぇ!!」

慌てて2人に治癒術をかけるが、反応がない。



「ベティ!!」

ユーリがこちらに駆け寄ってきた。
それをちらりとも見ずに、エステルが言う。

「……はあ……はあ……ベティと…リタを……休ませる部屋を……準備してください……」


「おまえもぼろぼろじゃねえか」

人の事を言える様子ではない彼女に、ユーリは眉を寄せた。



「すぐに準備を……!私が連れていきましょう」

フレンがベティを抱き上げようとかがんだが、それを攫うようにアレクセイが抱き上げた。

「騎士団長……」

「君も早く彼女を連れてきたまえ」

彼はフレンには目もくれず、大事そうに抱えたベティと、宿へと足早に歩き出した。

「………はい」

フレンはリタを抱えてその背中を追った。





気が抜けたように座り込んでいたカロルに、ユーリはすっと手を差し出した。


「カロル、立てるか?」

「う……うん……」

「オレたちも行くぞ」











コンコンと部屋にノックの音が響く。

「……ど、どうぞ」

エステルは治癒術をかけながらも、そのノックに返事をした。


部屋に入って来たのはユーリで、彼はエステルの姿を見ると、この上なく大きなため息をついた。


「もう2人とも落ち着いてる。もうやめとけ」

「はい……」とエステルは俯いて、かざしていた手を膝の上に戻した。



「ったく、無茶ばっかしやがって」

「本当ですね。リタもベティも、決めたことにはどこまでも真っ直ぐで……」

「ひとごとじゃねえ、エステルも同罪だ」

「……ごめんなさい」と、また彼女は俯く。



「オレがかわる、エステルはもう休め。治癒術使って疲れたろ?」

そんなユーリの言葉には何も言わず、彼女はぽつり、と言った。

「わたし、2人がうらやましいです」

じっと眠るリタの顔を見ながら、彼女は言葉を続ける。


「リタは大切なものを持っているし、ベティは自由でかっこよくて……」


「ないなら、探せばいい。そのために今日は休んどけ。それに自由ってのも不自由なんだぜ?」

「よく、意味がわかりません。それに、だいじょうぶです。ユーリこそ、休んでください」

「オレがフレンに怒られんの」

「なら、怒られてください」

「倒れてから代わってくれって言われても知らないからな」

「倒れてからじゃ、代わってくれって言えませんから」







頑固なエステルに折れる事にして、ユーリは再び廊下に出た。
カロルを探そうと角を曲がったところで、そのカロルが座り込んでいた。

「どうしようもないやつだって、ユーリは思ってるよね。クオイの森でも、カルボクラムでのことも……今日のことだって……」

俯いたまま落ち込んだ様子で言った彼は、ぎゅうっと己の大剣を握った。
彼にとって、何も出来ないならこんなものは意味がないように思えた。
自分のみっともなさが、どうしても許せない。


「今日のはさすがにびびった。
騎士団長様もあれにはお手上げだったぜ。
大の大人にだって、できないことがたくさんあんだ」


「ユーリにも?」と聞くカロルに、彼は「ああ」と頷いた。


「そうだね。世の中、簡単じゃないよ」

「そういうことだ」

「……あのさ、ユーリ」

おずおず、と名を呼ばれ、ユーリは優しく返事をした。
カロルは意を決したようにツバを飲み込んで言う。




「ボクと……ギルド作んない?」




「ギルドか……考えとくよ」


一大決心、告白かのように緊張しながら言ったのだが、ユーリの返事に彼は「え!?」と素っ頓狂な声をあげていた。


「なに、驚いてんだよ」

「断られると思ってた」

「オレにも色々あるんだよ。ほら明日、また様子を見にくんぞ」

嬉しそうに笑うカロルの頭を、ユーリはがしがしと撫でた。





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