満月と新月 | ナノ
満月と新月



相応しい男は…



「水が浮いてる……」

カロルはごくり、と喉を鳴らした。
彼の言葉通り、扉の向こうは大きく空洞になっていて、天井近くには水が浮いていた。
揺らめくように僅かに光が漏れていて、幻想的な光景だ。
きっと晴れていれば水の中にいるように思えたに違いない。



「あの魔導器の仕業みたいだな」

「たぶん、この異常も……」

エステルがつぶやく。
じっと見つめる目線の先には、大きな魔導器があった。


「あれ、壊れてるのかな……?」

カロルは見慣れない魔導器を見つめる。

「魔導器が壊れても、こんな風には絶対ならない」

リタは操作盤はどこかと、当辺りを見回す。

「……じゃあ……一体……」

「わからない……あの子……何をしてるの」

エステルが問いかけるが、リタにもわからない。



グォォォォォォォッ

その時、びりびりと静寂を切り裂く咆哮が聞こえた。


「な……なに……?魔物ですか?」

「ま、魔物ぉ……!」

カロルは魔物の姿は見えずとも、後ずさりした。

「病人は休んどけ。医者はいねーぞ」

「え……?で、でも……う、うわぁ……!」

眼下には、見たこともないような大きな魔物が閉じ込められている。
思わず腰を抜かしたカロルは、ぶるぶると震えた。





「グシオス!?どうしてこんなところに!!」

ベティは弾かれたように走り出して、結界に駆け寄った。
真っ青な顔は相変わらずで、躓きながら走って行く。

「おい!ベティ!……結界が破れるぞ……!」

結界に魔物が激しく体を打ち付けて始めるので、ユーリ達はバランスをくずしてしまう。

「あれは逆結界だから平気」

1人冷静なリタは、魔物よりも魔導器に気を取られているようだった。

「逆……結界……?」

「魔物を閉じ込めるための強力な結界よ。
でも、なに、このエアルの量。異常だわ」

ふらり、と彼女は壁に背をつく。
さすがに息も上がっている。


「こりゃ、やばいかな……」

ユーリも立っているだけで限界だった。
濃度の濃いエアルが如何に悪影響か、身をもってここまで知る事になるとは。


「な、なんか消えそう……!」

「リタっ!?」

リタは突然かけ出した。

「……今すぐ直してあげるから……」

彼女の向かう先には魔導器の操作盤。

「ワンっ!!」

ラピードが皆に知らせるように吠える。
その先には、デイドン砦でみた大男と、フードの男、ナンとよばれた少女が居た。


「俺様たちの優しい忠告を無視したのはどこのどいつだ?」

フードの男、ティソンが叫ぶ。

「悪ぃな。大人しく忠告聞くような優しい人間はいねぇんだ」

ユーリは挑発を含めて、バカにしたように言った。

「ふん、なるほど……って、なんだ、クビになったカロル君もいるじゃないか。
そっちはかなりエアルが濃いようだね」

ティソンは嫌味な笑みを浮かべている。
高台になっているからか、彼らのいる場所はエアルが溜まっていないようだった。


「ちょうどいい。大人しくしていろ。用があるのはケダモノだけだ」


ボスであるクリントが、身の丈ほどある大剣を構えた。





が、甲高い鳴き声が聞こえて皆の視線は上へと向かった。

「何っ!?」

エステルは次々に起こる出来事に目が回りそうだった。

そしてその視線の先には、例の竜使いがいた。

「またあいつ!」

リタは唇を噛む。
彼女にとって、魔導器を破壊する竜使いは敵でしかない。




「グシオス!彼女が来た!もう大丈夫!結界をこわしてくれるわ!
ティソン達に傷つけられる前に逃げて!」

魔物のそばに駆け寄っていたベティは、グシオスと呼んだ魔物の目を見て言った。
そしてそのグシオスも、彼女を見つめ返して、頷いたように見えた。


次の瞬間、竜使いが魔導器に槍を突き立てた。

すると充満していたエアルも消えたのか、ユーリ達に自由が戻る。

「ふへ……平気です……」

エステルは急に楽になった呼吸と身体に安堵して、ふう、と息を吐いた。

「け、結界が破れたよっ!」

「魔導器が壊れたから当然でしょ!?んっとにあのバカドラ!」

だが安心するには早いようだ。



「そうだ、もっと暴れろ!ケダモノは我が手で、ほふってくれるわ!」

クリントが斬りかかろうとするが、竜使いの竜が炎を吐いて彼の行く手を阻んだ。

「……ほう?」

「『まず、オレを倒せ!』って事らしいぜ!面白れえじゃ、ねえか!!
おらおらおらおらぁぁっ!!」

挑発に乗ったティソンが壁を駆け上がり飛びかかるが、ヒラリとそれはかわされた。
空中戦では竜使いには利があるようだ。

当然ながら、そうでなければ今まで邪魔を受ける事なく、魔導器を破壊する事など出来なかっただろう。



「ちょっとクリント!ティソンやめて!」


ベティが叫んだ。


「ベティじゃねえか!!そんなとこに居たら危ねえだろうが!こっちへ来い!」

ティソンは彼女の姿を見つけると、手を止めた。
クリントも黙ってそれを見つめる。

「あいつがティソン……ね」

ユーリは小さな呟きと共にムッとした様子で眉を寄せる。


「え、ベティ、ボスやティソンとも知り合い……?
なんかドンのことも言ってたし…すごいや…」

カロルはぽかんと口を開けた。
自分は物凄い人物と行動を共にしているのだ、と再確認してしまった。




「あんたらのバカに付き合ってる道理はないわよ!すぐに消えなさいよ!」


「冗談はやめろ!これが魔狩の剣の信念だ!」

クリントは語義を荒げた。

「それに付き合えないっつってんの!」


彼女は銃を構えた。
殺気と怒りに満ちてはいるが、顔色は悪いままだ。



「おっと!そんな物騒なもんしまわねえか!」


ティソンが身軽な動作で彼女の所に降りると、ぐいっと抱き寄せ、ふらつく彼女を片手で軽々と抱き上げた。



「あいつっ!!」

ユーリは思わず剣を構える。
どんな関係か知らないが、あの状態のベティをむざむざ任せたくはない。




「ちょっと離して!いまあんたとイチャこいてる暇はないの!」

ベティは身をよじるが動けない。

「久しぶりに会ったってのに、つれねえじゃねえか。
俺の手であんなに鳴いてたくせによお!あの男に乗り換えかあ?」

ティソンはユーリを睨んだ。
ユーリも負けじと睨み返す。



しかし次の瞬間、魔物が暴れだし床が崩れ、状況は一変した。


ティソンはベティを抱きかかえたまま、クリントとナンの所まで戻ると、彼女をおろした。

「ベティさんお久しぶりです。
先ほど気が付かず、ご挨拶が遅れてすみません」

ナンは憧れを含んだ眼差しで、彼女を見つめた。

「いーのいーの。さっきはあたしもかくれんぼしてたからん」

そんな視線など慣れたもののようで、ナンにヒラヒラと手を振って答える。







一方のユーリ達は足場が崩れ、混乱していた。

「やべ……足震えてら」

ユーリは体勢を立て直して、剣を構える。

「……こんな魔物ははじめてです……」

「あ……ああっ……。や、やだ……」

カロルは真っ青な顔をして、一歩、また一歩、と後ずさる。
自身の何倍も大きな魔物など、生まれてこの方出会った事はない。

彼の博識さは己の無力を補いたがため。
それを上回られては、後に残るのは恐怖だけなのだ。



ユーリたちは身構えるが、魔物はじっとエステルを見つめてから、すぐに踵を返し去って行く。




「はあ……なんで逃げたんでしょう」

まだ身体は震えていたが、エステルはホッと息を吐いた。
ズーンズーンと遠くなって行く魔物の足音。


「……カロルは?」


ユーリが辺りを見回す。
彼の姿は無い。





「全ての魔物はな、俺様に殴られるために、生まれてきたんじゃ〜!」

そう叫んだのはティソンだ。


「師匠!危険です!」

ナンが止めるが彼はすぐに飛び上がる。

「極上の獲物を前に!命がおしくて逃げ出せるか!」

竜使いに飛びかかるが、軽々と槍で弾き返された。

「ぐへらああっ」

そしてグシオスも去り、魔導器も破壊した竜使いは、目的を達したのか上から滑り落ちる水を抜け出て行った。



「天井が……ここは危険です!外へ出ましょう!」

エステルが叫んだ。
ガラガラと音をたてて天井が落ちはじめ、誰がどう見てもこの部屋は危険だ。





「ボス!撤収を!長居は無用です!」

「……興ざめだな。引き上げるぞ」

「ベティお前、顔真っ青じゃねえか!」

ティソンは、明らかに体力を削られているベティを、また抱きかかえた。

「気付くのおっそい…これだからティソンは…」

悪態をつく彼女だが、酷く辛そうだ。

「っち!雨か…」

ティソンは呟いてそんな彼女をしっかりかかえると、クリントとナンを追いかけた。





「オレたちも退くぞ」

ベティが出て行くのを見ていたユーリも、皆に声をかける。

「あ〜もう、あたしもバカドラ殴りたかったのに!」
「待ってください。ベティが連れて行かれてしまいました!それに、カロルはどこに!?」
「知り合いみたいだから大丈夫だろ…カロルもその辺にいないとこみると先に外へ出たんだろ。探しながら行くぞ」







再び長い螺旋階段を上がり外へ出ると、そこではカロルがナンに怒鳴りつけられていた。



「なにかあれば、すぐにそう!いつも、いつも、逃げ出して!」



「ち、違うよ!」
「何が違うの!?」
「だからハルルの時は……」

「今はその事は言ってない!やましいことがないのなら、さっさと仲間のところに戻ればいいじゃない」

「だから、それは……」

「あたしに説明しないで、する相手は別にいるでしょ」

「え……?みんな……」

振り返ったカロルに、ユーリ達はため息をついた。

「カロル、無事でよかったです」

「まったく、こっちは大変だったのに」

そうは言うものの、リタも心配していたようだ。

「ご、ごめんなさい……」

カロルは逃げ出してしまった自分が情けなくって恥ずかしくって、しゅんと俯いた。

「ま、ケガがなくて何よりだ」

ユーリは優しく言った。
きっと何事もなかったように迎えてやるのが、今はいいだろう。




「ナン、泣き虫カロルくんのお説教は終わったかあ?」

すると、ティソンがベティを抱えてこちらに歩いてきた。
ユーリは思わず不機嫌に眉を寄せたが、ぐったりと青ざめているベティを見てなんとも心苦しくなった。
今までずっと無理をしていたのだろう。


「ベティ!どうしたんです?!」

ティソンはエステルの言葉を無視して、ユーリにベティを差し出した。




「こいつは雨が苦手なんだよ。
しらねえで連れ歩くってことは、お前なんか俺様の相手にもならねえなあ」



ユーリが抱きかかえたベティは、ぐったりと目をつむっていた。
相変わらず顔は真っ青で、それどころか小刻みに震えている。

「ベティはお前から逃げてたみたいだけどな」

ユーリは負けじとティソンを睨んだ。
なにを言っても、負け惜しみのようだが。

「そおいうのも、こいつの可愛いとこなんだよ」

ティソンはにやりと笑うと、ユーリの耳元で言う。

「嫌がってっても、抱かれるときは素直に鳴くぜえ」

下世話な話にユーリは思い切り顔を顰める。
やはりベティの事を、知らなすぎるのだ。
知らずとここまで惹かれるのも悔しい話だが。

そんな彼を見て、ティソンは勝ち誇ったように笑うと、踵を返す。


「もう、行くから」

ナンはベティを気遣わしげに見てから、カロルに冷たい視線を戻すと言った。


「あ、待って……」

「自分が何をしたのか、ちゃんと考えるのね。じゃないともう知らないから」

ナンもティソンの後ろをついて行く。


ユーリはベティの頭を胸元にやり、いつものように右手でお尻を抱きかかえると、左手でカロルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「わっ、ちょっと!や〜め〜て〜よ〜!」

「行こうぜ、カロル。もう疲れた」

「ユーリ……」


「しかしとんだ大ハズレね。紅の絆傭兵団なんていないし、誰かさんは倒れるし」

リタは深々とため息をついた。

「ほんとに。やっぱあのおっさんの情報はあてにならないな」

「おっさん……って、まさか、あの……?」

「そう」

ユーリは事も無げに言う。

「あ、あ、あのおっさん、次は焼いてやるっ!」

リタが地団太を踏んで、拳を握りしめる。

「穏便に、ね、穏便に行きましょう。それにしても、ベティは大丈夫でしょうか?治癒術かけてみます?」

エステルが治癒術をかけるが、彼女に変化はない。

「体力的なもんだろ、雨が止んだら治まるって。ノール港でもそうだったし」




「……ボクだって」

カロルがぽつりと呟く。


「置いて行くぞ」
「すぐ行く!」
ユーリの後を追って駆け出した。


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