満月と新月
凛々の明星、集結
明日へ還る
::凛々の明星、集結
パタパタパタパタ。
不機嫌に動き回る少女の左足は、面倒事を持ち帰ってきた、とでも言わんばかりに床を鳴らしていた。
エステルの家にいたはずの彼女は、待たせすぎたせいで用事を済ませてアスピオへ戻っていた。
久しく掃除などされていない部屋は、彼女の足踏みによって埃が舞いあげられる。
リタ・モルディオ。
天才魔導士と謳われる彼女は、かつて世界を共に旅した仲間が、頼んだはずのものをごくわずかしか持ち帰ってこなかったのに、とんでもなく大きい別のものを、ついでにしょって帰ってきた事にイラ立っていた。
「色々言いたい事はあるけど、もういいわ」
彼女はもういい、という割に到底そうは見えない様子で、埃まみれの床を気にする事なく胡座をかいた。
「…で、精霊はなんて?」
リタはベティを睨みつけた。
「ま、まだ聞いてない……」
「そんな事だろうと思ったわ…とりあえず、音響魔導器の代わりは、コレ」
リタは小さな箱をリリに手渡した。
手のひらに収まるほどの小箱は、一見するとただの箱に見えるが、ひっくり返すと中心に小さな魔核らしきものがある。
よくよくみるとそれはマナの結晶で、エレアルーミンでとれるものとよく似ていた。
「これは試作品だけど、設計図を書いたから、その通り作ればあんたらにもできるわ」
「ありがとう!さっそくやるわね!材料とか、特殊なものはないの?」
「魔核に使ってるのはマナの結晶なんだけど、幸福の市場に言えば揃うでしょ。ていうか!!マナの結晶がこれだけじゃぜんっぜん割に合わないけど、ベティに免じて許すわ」
「ほんと、何から何までありがとう、魔導士さん!!」
「べ、べつに!ギルドが潰れたら、あたしも困るし……」
お礼を言われると目を逸らして頬を赤らめるのは、リタお決まりの反応。
どうやらいまだにそれは直ってないらしい。
彼女の個性と言ってしまえば、それまでだけど。
「で、世界のマナが増えて、エアルが無くなって、その剣が呪われてる?」
リタはくるりとユーリたちに振り返った。
「んで、あんたが始祖の隷長なのね?」
と今度はアモンテを見る。
「なんでちょっとお遣い頼んだだけで、こんな面倒事ばっかり持って帰ってくんのよ…」
彼女は大げさにため息をついて、腕を組んだ。
難しい顔で眉間にシワをよせるばかりで、解決策が浮かばない、と言った風に。
「とりあえずその剣は海に捨てればって言いたいけど、精霊を呼ぶついでに封印術式を施す…エステルのところへ行きましょ」
「ベティじゃだめなのかしら?」
「最近は精霊も簡単に出てきてくれない。呼ぶんじゃなく、強制的に召喚するのよ。2人いる方がいいわ」
「そう言えば、いるんだけど話しかけても返事がないのよねん」
「それってもうボクらとは話してくれないって事?」
「あたしらは世界に関わりすぎてる。精霊は可視できる存在じゃないから…要は、もったいぶってるってことよ。封印術式も1人じゃ大変だろうしね」
「とりあえず、ダングレストへリリを送るのが先ね。ギルドのボスをいつまでも連れまわす訳にはいかないでしょう?」
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ごうごうと風が吹きすさぶフィエルティア号の甲板。
バウルが空をかけていた。
老婆の姿で空を見上げるアモンテは、今はもうない星喰みを見つめる。
世界の危機を救ったのは満月の子ら、人間だった。
そしてまた、世界のために動くのも人間なのだろうか。
始祖の隷長として成すべきことは、この世界にはもうないのかもしれない。
精霊となり新たな命を生きるのも、悪くはない。
ほう、っと息を吐いたが、それは空の風に消えた。
『精霊になるのが怖くはないのですか?』
バウルはおずおずと声をかける。
『君は、取り残されて生きて行くのが怖くはないか?』
アモンテはそう問うたが、バウルにはまだその答えがわからなかった。
ただ思い出されたのは、始祖の隷長となり、かつての同胞と生を隔てたときの感情だった。
ジュディスの死を迎えることも、それと同様に悲しいのだろうか?
彼にはまだ、想像もつかないほど果てしない未来ことのように思えた。
それほどに彼は、若く幼い。
アモンテが言うことの半分ほども、理解するには遠い。
『生は苦であり、死は幸である。少なくとも、私にとっては』
アモンテは目を伏せた。
やはりバウルには、その意味を咀嚼するに到らなかった。
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「あれ?みんなどうしたんです?」
エステルは揃いに揃った仲間と、見慣れぬ老婆の姿に首を傾げた。
リタがアスピオへ戻ったと伝えたのに、そのリタを連れて皆が戻ってきたからだ。
「緊急事態だよ!エステル!」
カロルは事のあらましを説明しようとまくし立てるが、それが余計にエステルの首をもたげさせてしまっている。
とにかく中へ、と促すエステルの手を握ったのはベティだった。
「今から精霊たちを呼び出すわよん」
「え?呼び出すってどういうことです?」
ずんずん部屋の中へ入っていった彼女らを追いかけ、皆も副帝の家へと入った。
「マナの溢れる世界…と呪いの剣ですか…もう、私なにがなんだか…」
エステルが戸惑うのも無理はない。
あまりに突飛な話しすぎて、どうすればいいのか。
まさか帝国の剣が曰く付きだなんて思わないし、ましてやエアルが無くなるなんて思ってもみない。
「剣は封印すればいいんですよね?マナはどうすればいいんです?」
「それを封印ついでにウンディーネたちに聞くのよ。問題ないならそれでいいし、何か問題があるなら…」
「俺らで解決、だろ?」
ユーリの簡潔な言葉に、皆頷いた。
安易にも思えるが、頼もしい事この上ない。
「じゃ、さっそく…」
「お邪魔しますなのじゃ〜!!」
「嬢ちゃんこんにちは〜」
リタは突如響いた陽気な声に、ピタリと動きを止めた。
「やあやあ……て、皆さんお揃いで、どったの?あら?どなた?」
「むう、仲間外れはいかんぞ」
レイヴンとパティだ。
リタは何もいわずにレイヴンの脇腹にパンチを入れると、もう一度何かを取り出そうとポケットを漁る。
「ぐふうっ……な、なんで俺様だけ…」
よろよろと倒れこんだレイヴンを踏みつけて、パティはベティに飛びつくと、満面の笑みで笑った。
「何をしておるのじゃー?」
「タイミングいいわねん、2人とも」
ベティは彼女のお下げ髪をくるりと指でなでると、帽子を取って自らにかぶせた。
「また説明か?」
ユーリの問いに、リタは首を振った。
勝手に説明しといて、と。
「じゃ、ベティ、エステル。向かい合って」
と、リタは断りもなく床に何やら術式を書き始めた。
「ウンディーネが来て欲しいから、水の術式よね…ちょっと苦手だけど、まあいいわ…」
ぐるりと輪を書いて、そこにびっしりと術式を書き込む。
対角線を引いてそこにも術式を書き込む、という事を繰り返して出来上がったのは、見慣れぬ魔法陣のようなものだった。
「さ、2人とも流れる水をイメージして」
「イメージなら、得意です!」
「水ねん、水、水…」
ザザッと宙に水が浮かんだ。
それは手繰り寄せられるように引き寄せられて、リタが書いた術式の中心で人らしき形をなした。
透明なそれはだんだんと濃い青へと変わり、そこに現れたのはウンディーネだった。
「随分大仰じゃのう……」
「よく言うわね…あんたらがそうさせたんでしょ…」
リタは水を統べる者を睨み、ここまでさせたことに不満を漏らした。
そもそもベティやエステルの問いかけに、彼らが応えてくれれば、こんなやりかたでなくともよかったのだ。
「久しいのう、アモンテよ」
「ベリウスか?随分と若返ったな」
「満ちる力も悪くはない、そなたも精霊となればわかることよのう」
「そうか、ならばこやつらに手ほどきしてもらおうか」
「ちょっと待った!」
リタはアモンテとウンディーネの間に入り、話を遮った。
そうでもしなければ、旧知の仲らしい彼らに別の話を進めてしまわれそうだったから。
「世界のエアルがマナになるってどういうことなの?」
リタの問いにウンディーネは笑みをたたえ、するりと手を延ばした。
その手には水が球になって転がり始める。
「このように、星の中にはエアルがある」
ぐるぐると回る水は、徐々に小さくなってゆく。
「こうして星が回るたび、地脈に残るエアルは減っていく」
すると、そのまま弾けて消えた。
「減っていく?そんなはずない…エアルはマナになって、またエアルになるはず…リゾマータの公式だって、そのサイクルを早めるために作られたんでしょ?だいたいエアルは常に一定の濃度を保ってなきゃ、エアルクレーネが暴走するって……」
「エアルは星が生まれたとき残った余剰の力、時と共に失われてゆく…これはなにもおかしな事ではない」
「だったら、マナは?エネルギーとして使われたマナはどうなるの?」
「マナが消えゆくのも星のさだめ」
「待ってよ!じゃあエアルがなくなり始めてるのは自然な事だっていうの!?だったら星喰みは!?放っておいても消えたってこと!?」
リタの焦れたような大声に、ウンディーネは首を横に振った。
「それは本来であれば遥か遠い未来でおこるべきこと。何者かがエアルを操作し、星の寿命を削っているのです……」
「……その誰かって誰?人間ってこと?」
「過去に囚われし者……果たしてそれを人と呼ぶかは、あなた方次第です」
「だからそいつはどこにいて、なんの目的でそうしてるの!?」
「触れてはならない、開けてはならない。それは閉ざされていなければ、世界を破滅へと導く。わらわとて、エアルもマナもない場所では生きられない」
ぱしゃん、と水が弾ける音が聞こえた。
そしてウンディーネは姿を消していた。
「エアルやマナがなければ、精霊が生きられない?だったら、私たちも世界にはいられないんじゃないかしら?」
ジュディスはエレアルーミンでの異様な静けさを思い出した。
魔物も、動物も、植物もない静まり返った世界。
「精霊たちも弱ってるのかな?」
カロルの瞳は、不安を色濃く映して、ベティとエステルに答えを求めた。
「エレアルーミンに精霊がいない理由はわかった、というか、剣はどうするの…?」
ベティがそう言うと、しまった、とリタは頭を抱えた。
「…ねえ、あんたはエアルを無くそうとしてる誰かに心当たりないの?」
リタはアモンテに投げかけた。
「人の事は人が詳しいだろうに」
「いいから、教えて!」
「むう……エアルクレーネにマナが満ちた場所は三つ。エレアルーミン、ゾフェル氷刃海、レレウィーゼ。だが誰がそのようにしたのか、わからない」
「……とにかくエアルクレーネを巡るしかないか…でもそれじゃ時間がかかりすぎる…」
「ねえ、仮にそれを止めて、なくなったエアルは戻らないんでしょん?」
ベティは困り顔でリタを見つめ、答えを求めた。
「エアルとマナは常に隣り合わせだと思う。前にも言ったけど、エアルは段階的に物質へ移行し、安定する。その物質がマナ。マナはエネルギーとして使えばエアルに戻り、常にエアルとマナは一定の濃度を保ってる、ってのが今のあたしの研究の仮定」
「だから私やベティが治癒術や魔術でたくさんエアルを使っても、精霊がすぐにマナに変えて均衡を保ってくれているんですね」
「だから、マナが使われればエアルは元に戻るはず。ウンディーネがさっき言ったみたいに、エアルが無くなるのが星の寿命なら、これ以上エアルが失われるのを止めなきゃ。自然な形で、星は寿命を迎えるべきよ」
「すとーっぷ!はい!すとーっぷ!!!」
レイヴンが叫んだ。
「俺様たち置いてけぼり」
そう言って肩を竦めた彼に、リタははぁ、と深い息を吐いた。
「そうね、一旦話を整理しましょ。ベティの星の記憶も何か役に立つかもしれないし」
「うーん、星の記憶は、あくまで記憶だから、あまり期待しないでねん」