満月と新月
1・pivot
ーーダングレスト、夢歌の音アジト
「やっぱり音響魔導器がないと、小規模なライヴしか出来ないわね」
夢歌の音のボス、リリはデスクに額をぶつけるかのように、勢いよく伏した。
このギルドの収入源は、主に広場でのライヴ。
入場料を取ったり、グッツ販売などで利益を出しているため、ライヴが小規模になるとそれだけ収益も少なくなってしまう。
おまけに音源として発売していた曲も、魔導器を失い聴けなくなってしまったので売れるわけもなく、今、ギルド夢歌の音は非常に経済的に困った事になっている。
「もう半年も赤字が続いてる。酒場でのステージじゃ大した額にもならないしな……」
クレインはドラムの横ですっかり小さくなってしまっている。
「ちょっちょっと……2人とも暗いわよぉ…」
ベティは困ったように眉を下げた。
「何とかしないと……」
リリは頭をぐしゃぐしゃっと乱すと、立ち上がる。
「ベティ、あなたのお友達の魔導士さんの所に行くわよ!」
「ええ!?リタ!?」
「世界を救った天才魔導士様なんでしょ?」
「いやぁーそれはさぁ……」
「だって光照魔導器の代わりを発明したらしいじゃない!音響魔導器の代わりもすぐ見つかるわよ!」
「……えーいやぁよぉ…研究の邪魔すると怒るしぃ…今は精霊の研究してるって言ってたし」
「いいから!行くわよ!クレイン!留守番よろしくね!」
リリはベティをぐいっと引っ張る。
「ちょっと!リリ!」
女性とは思えない、ものすごい力でぐいぐいと引っ張られ、アジトであるスタジオを後にする。
クレインは騒がしい後ろ姿を黙って見送り、ため息をついた。
「ていうか、リリ……ハルルまで徒歩で行く気?」
「なに言ってるの!あなたのギルドメンバーに空飛ぶ運び屋が居るのは知ってるのよ」
「ええ〜ジュディスだって仕事があるのよん?」
「必要経費だから、お金を払うわ」
「先立つものがないじゃない」
やれやれ、とベティは肩を竦める。
「私のポケットマネー!」
リリはなにくそ、と自分の財布を取り出した。
「………そんなことより、リタの研究心をくすぐるような言葉を用意しといた方がいいわよん」
ますます深くため息をついたベティ。
最も困難なこと、それは、リタが音響魔導器の代わりを作る気になるかどうかだ。
最近はもっぱら、精霊を使った魔術の研究に明け暮れているのだから。
ベティはとりあえずダメで元々、と凛々の明星アジトへ向かった。
良いのか悪いのか、偶然にもジュディスはアジトで、カロルとお茶を飲んでいるところだった。
「あ、リリさん。こんにちは、凛々の明星に依頼ですか?」
カロルが言う。
「そう!依頼よ!天才魔導師リタ・モルディオのところへ連れて行ってちょうだい!友人割引で!!」
せっつくようにそう言ったリリに、ジュディスはクスリと笑った。
「すぐにバウルを呼ぶわね。お代は勉強させてもらうわ。ところで、リタにはどんな御用なのかしら?」
「音響魔導器の代わりを作ってくれないか頼むらしいわよん」
「代わりかぁ……最近は夢歌の音も、ライヴしてないもんね」
カロルはうんうん、と頷く。
その言葉にリリは「そうなのよ!」と彼に詰め寄った。
「このままじゃ、ダングレストは音楽のない街になってしまうわ!」
「それは言いすぎじゃないかしら?」
ジュディスは首をかしげて、いつもの妖艶な笑みを浮かべた。
「というか、リタが引き受けてくれるかどうかよん」
ベティは今日は何度目かわからないが大きくため息をついて、また肩を竦めた。
アスピオはずいぶんと復興が進んでいて、元通りとはいかないまでも、洞窟の学術都市としては充分なほどだった。
瓦礫に埋まった書物などももう一度、図書館にきちんと収められているし、崩れた建物も修復されている。
奥の方は流石にまだ手付かずな部分も多いようで、洞窟から少し出るような形で、半分日向、半分日陰、と街は広がっている。
ぶるりと身体が震えるような、アスピオ独特の空気の中、ベティ、リリ、そしてなぜかついて来たジュディス。
三人はリタの小屋へと歩みを進めていた。
その日陰部分、以前と同じ場所に研究所兼自宅を構えているリタ。
奥の研究施設はまだ復旧作業中のため、この場所が洞窟の最奥と言える。
まったくもってリタが好きそうな、人が来ないとっても静かな立地だ。
「こんなとこに住んでるの?日も当たらない上にジメジメしてるし、それに寒いわね」
リリは結構インドアな上に、ダングレストを出る事が滅多にない。
彼女にとって、気温の変化は苦手な項目のひとつだ。
「それ、リタに言ったら怒るわね、きっと」
以前のように「絶対入るな、モルディオ」とは書かれていなかったが、ベティはここを訪れる度にいつも、研究中じゃありませんように、と祈る。
「リタ〜」
彼女はコンコン、と扉をノックする。
が、いつものごとく返事がない。
おそるおそる扉を開けると、部屋の真ん中で、大量の紙にまみれて倒れているリタの姿が目に入った。
「やだっ!リタ!?」
ベティはあわてて駆け寄り、彼女の肩を叩く。
「ちょっと!しっかりして!」
そう声をかければ、リタはゆっくりと目を開けて、うざったそうにこちらを睨んできた。
「なによ、うっさいわね……」
「もう…倒れてるのかと思ったわよん!」
悪態をつくリタに、ホッと息を吐いたベティ。
「研究中は食事もロクにしないもの。いつか倒れててもおかしくないわね」
まさにジュディスの言う通りで、リタは夢中になると食事を忘れる。
もちろん、睡眠も忘れる。
「2人してどうしたのよ。ここにジュディスがくるなんて珍しい…」
リタはごしごしと目をこすり、端に溜まっていた目やにを拭った。
「ちょっとそんな事しないで顔洗って、ほら」
ベティは適当に綺麗そうなタオルを引っ掴み、彼女に差し出した。
少し罰が悪そうにそれを受け取ったリタは「まってて」と奥に消えた。
「この紙の山、全部術式だわ」
ジュディスは床に散らばった紙を拾い上げた。
そこにはびっしりと術式や小難しい言葉が書いてある。
「こういうの、あんな可愛らしい女の子の頭の中からでも、生まれるのね」
リリはしみじみと頷く。
彼女にとって魔術の類は、もちろん未知の領域だ。
「精霊の魔術かしらねん?私も覚えようかしらぁ」
ジュディスの持つ紙を覗き込んだベティ。
「精霊術って言うのよ。その辺はもうほとんど完成に近いけど、まだ上級魔術に匹敵するような、強力な精霊術はできてないのよね」
リタはずいぶんしっかり洗ったのか、顔まわりの髪も濡れていた。
まるで風呂上りかのように、使ったタオルを首にかけ、ジュディスとベティが見つめる紙を取り上げた。
「でもまだこれはダメ。暴発するから」
「危ないわねん」
「術式の構成がうまくいかないのよ。そこを調整すればなんとかなりそう……というか、丁度良かった。ハルルまで乗せてってくれない?」
「あら、親友に会いに行くのね?いいわよ」
ジュディスがそう言って笑うと、リタは恥ずかしそうに視線をそらし、腕を組んだ。
「ちょっと待って!天才魔導師さん!お願いがあるのよ!」
リリは話を遮り、リタに詰め寄った。
「うわっ……って何?お願いとか聞きたくないんだけど」
彼女は一瞬驚いて、それから嫌そうに顔を歪めた。
「そういわずに……夢歌の音から、リタに依頼よん」
「……嫌な予感しかしないわね。とりあえず行きましょ、話は移動しながら聞くわ」
「ありがとう!」
そう言ってキラキラと瞳を輝かせるリリに、彼女は「とりあえず聞くだけよ」と手をひらひらさせた。