あかるい、ばしょ



 まただ。
 また、ついてる。廊下の電気。





 一緒に住むようになって、初めての冬。だんだん日が短くなるけど、大学はライトがあるから部活は長くできて、飲み会があったりして、だから、あんまり早く家に帰るって感じじゃない。タカは塾講師、オレは割烹料理屋でバイトも始めた。授業が終わってもすぐには帰れないらしくて、遅くなるから先に寝てろ、ってよく言われる。ちゃんと起きてて、待ってたいのに。「おかえり」って、「おつかれさま」って、言いたいのに。ベッドの中で起きてようって思うけど、いつの間にか寝ちゃうんだ。
 そのくせ、オレがちょっとでも遅くなると迎えに行くって言うし、絶対先に寝ない。オレには寝ろって言うのに自分だけズルイ、そんな風に思うけど、「おかえり」って言われたら、そいで、やわらかく笑われたら、オレは弱い。だから、バイトが終わったら早く帰るんだ。だって、やっぱりオレも、タカに早く会いたいから。
 高校の時みたいにほとんど一緒、ではなくなったけど、帰る場所が一緒で、寝るのも起きるのも、朝ごはん食べるのも一緒、っていうのは、スゴイことだって思う。帰ったらタカがいる。帰ってくるタカに「おかえり」って言える。すこしずつ慣れて、でもどこかで慣れたくない、当たり前じゃないぞって思う、毎日。それが、たまらなくうれしくて、しあわせだ。

「た、だいま」
「おー、おかえり」

 プロ野球のシーズンは終わって、日米野球も終わって、ちょっとだけ、テレビも雑誌も、野球の話題が少なくなる。ドラフトで選ばれた人たちは、これからどうなるんだろうって、勝手にわくわくしてる。ゆうくん、元気かな。年末、こっちに帰ってくるかな。榛名さん、は、ホンキョチが遠いから、どうだろう。タカに聞いてみよう、かな。

「風呂入ってきちゃいな、寒ィだろ」
「あ、うん、ありがとう」

 パソコンに何か打ち込んでたタカは、寝る時のスウェットにパーカーを羽織ってる。上がりたてみたいで、ちょっと髪が濡れてる。風邪引くよ、って言いながら近づいて、ただいまのキス。この間、オレが帰ったときに冗談で「ただいまの、キス」ってねだったら、そんならイッテキマスとタダイマは絶対だかんな、って赤い顔で宣言されたんだ。それから、先に出る時も、夜遅く帰ってきても、相手が寝てても、キスするのがルールになった。言い出したおまえが照れんなよなァ、って、熱いほっぺに触れて言われた。
 タカとするキスはすきだ。ちゅっていうのも、そうじゃないのも、溶けちゃうみたいのも、全部、すきだ。急にその時のことを思い出して、……したいなあって思って、慌てて湯船に沈む。
 今日は、ちゃんと聞かなきゃいけない、ことがあるんだ。

「タカ、」
「ん? 何」

 お風呂上がりで濡れたままの頭をがしがし拭かれて、入れてもらったカフェオレを飲んで、一緒に歯を磨いて、ベッドに潜り込んだ。電気を消して戻ってきたタカを呼ぶ。

「あの、ろ、廊下の電気、」
「電気?」
「そう、最近、いつも、ついてる」

 またついてる、って思うぐらいには、電気がついてる。
 この家は玄関からちょっとだけ廊下があって、その脇にトイレとかお風呂があって、ご飯食べたりする部屋につながる。そのちょっとの廊下にも電気があって、それが夜遅くでも、いっつもついてる。別に廊下の電気が消えてても、タカが起きててくれる部屋は明るいから、転ぶとか、こわいとか、そんなことはないはず、なんだ。

「誰も通らない、のに、モッタイナイ」

 電気代だってタダじゃない。二人で住み始めて、明細を見るようになった。お母さんが、冬は暖房で電気代がかかるって言ってたから、節約するところはしなくちゃ。
 タカに限って消し忘れる、なんてことはないと思うんだけど、つけっぱなしの理由が見つからなかった。思ったことは言う。二人で住むって決めたときの、あたらしい約束。だってもう、喧嘩するのもこわくないんだ。

「レンが通るだろ」
「オレだけ、だよ」
「んー……」

 タカが考え事してるときの声を出して、オレの髪に触れる。そのままふわふわって撫でられて、眠くなってくるのを必死に我慢した。あのさ、余計なお世話だったらアレだけど、そう前置きして、タカの声が暗闇にぽとぽとって落ちてくる。

「……明るい方が、いいかなって思ったんだ」
「明るい、?」
「だっておまえ、……帰ったら、いつも家、暗かっただろ」

「なー、教育上よくないだろ? だからウチ呼んじゃうんだ」

 ゆうくんの声を、思い出した。
 高校生の頃、いつもじゃないけど、お父さんもお母さんもいないことが多くて、帰ってもひとりだった。真っ暗な家で、でもご飯があって、それはオレにとっては当たり前だった。お母さんたちと一緒に住んでるってだけでよかったから、例えばかなしいとか、さみしいなんて思わなかった。そんな話をしたらゆう君がオレん家来いって言ってくれて、そこにタカも、コースケ君も来て、その後はみんな来て、さみしいなんて思う暇もなかった。

「明るかったらさ、家に誰かいンぞって思えるだろ」

 オレ、の、ため。
 帰ってきたときに、さみしい、って、ならないように。

 直接、そうは言わなかったけど、そういうこと、だよね。
 電気代、なんて思った自分が恥ずかしい。そんなところまで、タカは考えてくれてたのか、って、胸の真ん中から指先まで、じわじわって熱が広がってく。

「タカ、」
「まあオレしかいねェし自己満だけどさ、ほら寝ンぞ!」

 タカがぎゅうって抱きしめてきた。急だったから、「んぶ」ってヘンな声が出る。ちょっとだけくるしい。こんな風にぎゅうってされたら、眠れない、し、タカのかおが見えない。

「ね、ねえ、」
「オヤスミ」
「タカ、」
「明日も一限だろ」
「に、二限、カラ」

 オレがいくら言っても聞いてくれない。どうにかこうにか顔を見ようってしてみるけど、タカはオレを抱きしめたまま、顔だけ逃げる。
 でも、分かる。
 顔、あかいんだ。だから、見せたく、ないんだ。だって今、無理やりくっつけたほっぺが、あつい。
 タカ、タカ、何度も名前を呼ぶ。あの頃は呼べなかった名前。口の中で溶けてくみたいな、でも絶対なくならない、だいじな音。

「ちゃ、ちゃんと、お礼、言いたい」
「オレが勝手にやってたって言ってンだろ」
「でも、うれし、ご、ごめ、ね、オレ、分かんな、かった」
「分かられちゃハズカシーだけだっつの」

 我慢できなくて、うう、って泣いたら、やっとこっち向いてくれた。アリガトウ、おでこ同士をくっつけて言う。タカの指が、オレの涙をぬぐう。暗闇の中でも、タカのまっくろな目と、ほっぺと耳が赤いの、分かっちゃうんだよ。



 やさしいのに、ほんとにやさしいのに、それをまっすぐ出さないこのひとが、すきだ。
 こんなにやさしいひとを、オレは他に知らない。
 ねえ、オレはたぶん、ずうっとタカにありがとうって言うよ。
 ただいまと、おかえりと、同じぐらい、ううん、もっといっぱい、ありがとうを、言うから。
 ひとつふたつみっつ、なんて、数えられないぐらい、いっぱい。



 まだ言い訳してるタカの口に、オレの口をくっつける。オヤスミのキスは、したことなかったなあ、なんて思う。
 でも、たまには、オレからだって、いいだろ。





20181121/阿部のやさしさを思い知る三橋
20200815/修正



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