オハヨウまでの長い道のり



「……なあ、窓閉めねェの」
「もうちょっと、」
「……これ以上は降んねって」
「まだ、わ、かんない、カラ」

 朝、寒いのに空が明るい気がしてカーテンを開けてみたら、はらはらと白が降っていた。雪だ、と認識して、それからレンが雪好きだったと思い出して、のたのたベッドに戻って「雪だぞ」と揺すったら、猫っ毛はものすごい勢いで飛び起きて窓にはりついた。
 きっと積もるようなものではないけれど、「雪だっ!」と目をきらきらさせる横顔が見られたから、まあ早起きもするもんだな、と思った。

「……レン、寒ィ」
「まだ、降ってるもん」

 実際そう思ったのは一瞬だけで、今、阿部は寒さと戦っている。
 大晦日でも、三橋家は多忙だ。年末年始は群馬に行くのかと思ったら、オヤの仕事が忙しく年明けに行くらしい。部活も年内は終わって、後は年明けを待つのみ。家にいれば大掃除だ部屋の整理だ買い出しだと言いつけられるのは目に見えていて、実際そうして貴重な休みが潰れていった。
 そんな中、何とはなしに聞けば三橋も29日までは大掃除と家の手伝い、そして30日から大晦日にかけて両親は帰ってこられない、とのこと。結局我慢できなくて一緒に冬休みの課題をやるからと30日に転がり込んだ。
 この大きな家に、夜まで一人でいるのだと知ったのは秋口だった。そこから隙間を縫うように何度となく三橋の家を訪れた。両親のいない間に入り込むのは未だに罪悪感があり、同時にすこしだけ、秘密が出来たようでわくわくしていた。しんとした家の中で、たったふたりでいるような世界で、一緒にご飯を食べて、勉強して、……時々キスをして、指を絡めて、体温を確かめ合った。二人で小さく丸まって眠るベッドは、狭いくせにどこまでも続いているようだった。
 今日ぐらい派手に寝坊するか、と目覚ましもスマホのタイマーも全部消したはずなのに、何だかんだいつもの時間に目が覚めた。そのまま横の人間湯たんぽを抱きしめて二度寝――そのつもりだったのに。当の湯たんぽはあろうことか窓まで開けて曇り空を眺めている。はあ、と吐いた息が白くなっているのを見て、ふにゃんと笑う。手を伸ばして雪のかけらがつかめないか試す。ベッドの中から抗議の声を上げても、こっちに来る気配がまるでない。申し訳程度ではあるが片付けられた部屋は、実に風通しがいい。

「……レーン、」
「ふ、あべく、せっかち」
「コラ、名前」
「あ、え、タ、タカヤ、く」
「はいペナルティ」

 しめた、という顔で起き上がれば、三橋はどうしようという顔でおろおろしだす。初めて名前を呼んでくれた誕生日、次に阿部君と呼んだら今度は呼び捨てで呼ぶこと、とからかったのだった。三橋はたっぷり考えた後に、「オ、オレ、呼び捨て、ムリ」と小さく応えた。……ハナから期待はしていない。一生阿部君と思っていたのだ、それがタカヤ君にまで飛躍した。今はもう充分なのだ。こちらだっていざ呼び捨てにされたら、平静でいられる自信など全くない。

「……仕方ねェなあ」
「ご、ごめ、」
「じゃあこれでチャラにしてやる」

 そうした思考を気取られないように、阿部は続ける。チャラ、という言葉を聞いて三橋がぱっと顔を上げた。

「寒ィから早くこっち来い」

 ご丁寧にベッドの上にあぐらをかき、両手を広げてやる。耳から顔に向かって一瞬で熱が集中するのが、自分で分かって悔しい。スマートになんか、いつになっても出来そうにない。そもそも三橋がすぐにベッドに戻ってくれば何も問題なかったのだ。きっと湯たんぽの指先もつま先も、きっと鼻先も冷たくなっているだろう。そんなことで風邪をひかれても困る。帰ってきたおばさん達に何て言い訳すればいいんだ。
 三橋はぽかんとした後、「ふ、わ」だか何だか言葉を発してぶわっと顔を赤くした。勢いよく窓を閉め鍵をかけ、顔を下に向けたまま阿部の方へ飛び込んできた。顔が見えないようにしたかったのだろうが、距離感がつかめないその方法は悪手だった。

「だっ!」

 猫っ毛の割に硬い頭は阿部の胸元にヒットし、そのままベッドに勢いよく倒れこむ。ついでにベッドサイドに阿部の頭がぶつかって、二人して頭を抱える。

「〜〜〜レン、おっまえ!」
「わ、あ、ごめ、ごめん、なさい!」
「ほんっとにおまえはっ」
「ひゃああ、っ」

 頭を抱えて唸っている隙に、思いっきり抱きしめて転がる。ひとしきりもがいていた三橋はやがて観念したように阿部の背中に手を回した。どこまでも続いているようだったベッドはやっぱり狭くて、二人でくっついていないと落ちそうだ。
 冷たい鼻先を指できゅ、と挟めば、「んむう、」と苦しそうな顔をする。やっと捕まえた、思わずため息をついてつぶやいた阿部の本音に、三橋が顔を上げた。

「寒かった、?」
「寒ィよ、窓開いてンだもん」
「……ね、それ、」

 それは、オレが、いなかったから、?

 思ってもいない爆弾に思考が完全に止まって、ハイともイイエとも言えなかった。そうですと馬鹿正直に言えるはずもないし、正解と言えば正解なのだが認めるのは癪だし、ああもう本当に、かっこつけることも何でもないふりすらこいつは許してくれない。答えの代わりにもう一度抱きしめてキス。……ン、ね、聞いてる、んだよ、うん、……ふ、みみ、赤い、るっせ、ちょっと黙れ、
 いなかった時間の分、一緒にいろ。





 ぐう。
 三橋の腹が鳴った。お腹が空いて起きるんだ、確か前にそんなことを聞いた気がする。でもあまりにそれが盛大だったものだから、それまでの雰囲気は一瞬で消え去った。「おま、その音、うっそだろ、」息も絶え絶えに腹を抱えて笑う阿部と、うう、とこちらは恥ずかしそうに腹を抱えた三橋。

「朝ごはん、食べよ」
「おう、」
「あ、」
「今度は何だよ」
「おはよう、タカヤ、君」
「……おはよ、レン」

 すげェ、何か、一緒に住んでるみてェ、とは、思っても言わなかった。
 さあ、今年最後の日、きみと何をしようか。





20180101/年賀状企画2018
20200815/修正



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