あべ先生と生徒みはし 十三話



 もしもの時に、って教えてもらった番号。もしもの時ってどんな時だって思ったのを覚えている。だって学校に行けば先生に会えるし、準備室で話もできるし、だから、いいのにって思ってた。
 高三になって、嫌でもジュケンセイって言われて、まだどうするかも決めてないまま、予備校に行くようになった。今までこんなに勉強したことない、ってぐらい、毎日勉強してた。現代文も、世界史も、英語も、それから、数学も、頑張った、と思う。あっという間に、明日は始業式だ。
 円をかく度に、先生の指先を思い出した。コンパスもないのに、ノートにかいてくれたきれいなまん丸。それから、几帳面な文字の証明。教えてもらった図形問題は、ゆっくりだけど解けるようになってきた。先生に聞いてほしいな、って思って気がついた。


 夏休みは、先生に一回も会ってない。


 いつの間にか、蝉の鳴き声もしなくなって、夜は鈴虫がリンリンいってる。お風呂も上がって、明日の準備を終えて、あとはもう寝るだけ。
 でも何となく寝たくなくて、朝早いから寝ないとって思うけど、夏休みが終わっちゃうなあって思ったら、何て言うんだろう、さみしいような、そわそわするような、そんな感じ。明日になったら、みんなに会えるし、きっとさみしさなんてどっかに行っちゃうんだろうけど。夏が終わっちゃうのって、どの季節より、何でかさみしい。秋がきらいってわけじゃないのに、不思議、だ。
 ぽふ、ってベッドに寝転がって、枕もとのスマホをいじる。電話帳で、先生の名前を探す。ア行だから、すぐ見つかって、名前だけでドキッとする自分がヘン、だ。付き合ってるのに、全然慣れない、し、慣れたくない。先生と一緒にいられることは、これからもずっと特別にしたい。

 ……こえ、聴きたい、なあ。

 ふと沸いたきもちにぶんぶんと首を振る。先生の低いこえ、聴きたい。ほんとは、顔が見たい、し、会いたい。
 もうちょっとで会えるのに、しかも、こんな時間にワガママだ。先生だって寝てるかもしれないし、仕事してるかもしれない。だって、先生からも、何の連絡もなかった。先生は大人で、時々大人っぽくないけどオレより大人で、たぶん、オレと話さなくても、先生の生活があってヘイキなんだ。
 ……でも、もしかしたら、起きてるかもしれないし、ゆっくりしてるかもしれない。
 五回。
 五回、コールして、出なかったら、寝る。そうしようって決めて、通話をタップした。
 二回目のコール音で急に緊張してきて、そいで耐えられなくなった。だって、先生が出なかったら、たぶんオレは勝手に落ち込む。出なかった時のこと、もっとちゃんと考えればよかった。四回目のコールがが頭にぐわんぐわんって響いて、せんせい、って思わず呼ぶ。

「っ、三橋、?」

 せんせいの、声。ずっと聞きたかった、先生の声。

「三橋、オイ返事しろ、三橋、みはし、」
「え、あ、えっ」

 ホンモノ、だ。デンワしたんだから当たり前だけど、ホンモノの、先生の、声。思わず顔を離して赤いアイコンを押してしまった。聞こえてくるのはツーッツーッ、って電子音。
 き、切っちゃった。何してるんだオレ、自分からかけて、切っちゃうなんて、メイワクどころの話じゃない、だろ。どうしよう、もっかいかけて、ごめんなさいって、でも、怒ってたら、出てくれない、よね。

「うわ、わっ」

 手の中でやかましく振動して鳴るスマホ。お母さん、起きちゃう、って名前も見ずに画面をタップする。

「三橋!」
「ひゃいっ」
「勝手に切んなよビビっただろーが!」
「あ、せん、ごめ、ごめん、なさい」

 やっぱり、怒ってた。全くお前は、って小言が続くけど、声が、怒ってない。……こんな時間に、とか、デンワそのものを怒ってるんじゃなくて、切ったことを怒ってる、みたいだ。

「出た瞬間何も言わず切りやがって」
「ご、めんなさい」
「まあ今出たからいいけど」

 いつもよりちょっと遠くで、先生の声。冷房、つけてるのに、あつい。
 せっかくかけてきてくれたのに通話5秒ってさあ、愚痴っぽく先生が言う。ごめんなさいってまた言ったら、もー謝んなって笑う。つられて、オレも笑う。
 先生の笑い声がすきだ。おっきな声で笑うのも、目を細めて笑うのも、ちょっと意地悪そうにこっちを見て笑うのも、全部すきだ。時々、誰にも見せたくないなって思う。
 ……そんなこと、できるわけ、ないのに。

「で、どした? 質問か?」
「うえ、えっと、質問、じゃない、です」
「……?」
「あの、……声、が、ききたくて、」

 はっとして黙った。オレだけ、だったら、どうしよう。またこんなワガママ言って、先生を困らせる。ワガママ言えって先生は言う。イイコじゃなくていいって言う。でも、そうしたらオレは歯止めがきかなくなる。だって、全部欲しいんだ。こんなに大事にされてるのに、まだ欲しがっちゃうんだ。もう、どこからがワガママか、分かんない。
 それでも、声がききたくて、あいたくて、もっともっと、近づきたい。
 先生が何も言わない。声、ききたいのに、きけない。

「……せんせ、」
「……言いたいことはちゃんと言えっつったろ」
「………こ、声、ききたい、し、あいたい、です」
「……遅ンだよ、言うのが」
「へ、?」
「夏休み中に言ってきたら飛んでったのに、明日、あーもう今日か、始業式じゃねェか」
「え、えっ、どーゆー、こと、ですか」
「……仮にもセンセーがジュケンセーにちょっかい出しちゃダメだろ?」
「ちょっかい、」
「そう、ちょっかい」

 電話とかメールとか、会ったりとか、そういうの。
 センセー、と、ジュケンセー。
 そう、か。そうだよね、先生は勉強しろって言う側、だ。普段から阿部先生はそーゆーのをちゃんとするひとで、忘れものとか宿題とか、きっちり見てくれるから、そう考えるのなんて当たり前なんだ。
 でも、飛んでった、って、言った。
 じゃあ、じゃあ、先生も、ちょっとは、会いたいって、思ってくれてた、って、こと?

「あの、」
「ん?」
「先生、は、会いたかった、ですか」
「………そういうのを直接聞いちゃうトコが三橋なんだよなァ」
「あ、えっと、あの、」

 ぽろって口にしたことばは、何だかすごく、上から目線みたいだった。そんな自信なんて、全然ナイ。オレばっか会いたいみたいだ、って、本気で思ってた。だから、ほんとにびっくりした。先生、ほんと、ほんと、に? 空耳じゃ、ない?

 今、会いたかった、って、言ってくれた?

「……三橋君、何か言ってくださーい」
「あ、え、」
「今まで言わせてたけどやべェなこれ、あちい」
「あちい、ですか」
「あちいよ、こっぱずかしいこと言わせやがって」
「あ、あの、うひ、オレも、あちい、」
「照れンのか笑うのかどっちかにしろ」

 ぱたぱた、って手で顔をあおぐ。握りしめたスマホが熱いのかオレが熱いのか分かんなくて、でも、さっきより先生が近くにいる気がして、何だかうれしい。どきどきはしてるけど、ちょっとなら、普通に話せる、かも。

「先生、今、何してた?」
「寝るとこだったけど誰かさんから電話かかってきて目が覚めた」
「うわ、ご、ごめ、」
「……なあ、」
「はいっ」
「三橋さ、もー謝ンなよ」
「だ、だって、起こした、」
「それ、謝んなきゃいけねェことなのか」
「ね、寝るとこ、だったんでしょう、」
「でも寝てねェし」
「う、」

 三橋の声聞きたかったし。

 また先生が爆弾を落とす。そうして、もごもごするオレを笑う。何だろう、会ってる時より、先生が、いっぱいしゃべる。いっぱい、先生のこと、教えてくれる。そろそろ寝ねェと明日寝坊すンぞ、って言われても、まだ話したい。オレのこと考えてくれてるって分かっても、話したい。

「明日、ヨビコウあんの」
「あ、ります、夕方から」
「じゃあ家帰ったらメールな」
「?」
「……今度はオレがかけるって言ってンの」
「うお、ほん、と!」

 夏休み頑張ったゴホウビだよ、そう言われて、勉強だらけの夏休みも悪くなかった、って思っちゃうオレはゲンキンなヤツだ。明日の約束、初めてのデンワの約束。おやすみなさい、って通話を終えて、まだ熱いスマホを置いて、布団に潜り込む。
 明日、もう今日、先生に、会える。デンワで、話せる。何の話をしよう、偏差値が上がったこと、お盆休みにちょっとだけ遊んだこと、そういえば、先生はどこかに行ったかな。ちょっとは、先生を休めたかな。聞きたいこと、いっぱいだ。

 数学の課題は授業の時に提出だからまだやってない、っていうのは、内緒。





20190408/拍手掲載
20200815/修正



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