あべ先生と生徒みはし 十二話



 今年は物にしてくれな、そう言ったらみどりがかったはちみつ色が丸くなった。

「モノ?」
「そう、モノ。つーかプレゼント」
「え、……あ、」
「来週は三橋君の誕生日ですから。あ、食いモンはナシな」
「うええ、」

 ぱっと明るい表情になったのもつかの間、三橋はまた難しい顔をする。その顔を見るのが、最近のちょっとした楽しみだ。オレのことばや行動でこんなにくるくる変わるモン、楽しくないわけがない。小学生男子かよ、と自身を笑いながら見やると、

「な、何で、食べ物ダメなんですか、」
「だって今まで食いモンしかあげられてねェし」
「オレ、食べるの、すきです」
「うん、知ってンだけど」
「だったら、」
「うん、あのさ、」

 一か月前から、だいぶ日が延びた。数学準備室は下校時刻が近づいてもまだ明るい。冬のように、電気を消しても表情を隠すことなんてできない。

「もう一年経ったから」
「いち、ねん、……そう、そうか、」

 三橋が顔を上げる。一緒にいるようになって、一年。またこいつの誕生日が来た。

「……そろそろ、形のあるヤツでもいいんじゃねェのかなって、思ったんだけど」
「………、」

 ぎゅう、そんな音が聞こえそうなぐらいに三橋のこぶしが握られて、次いでふ、と目線が落ちる。

 来年の誕生日も、一緒にいたい。

 去年の誕生日プレゼントで、三橋が欲しがったものだった。それから、オレのきもちが欲しいと続けた。当然のようにそのつもりだった。そんなものでよければいくらでも、全部やると思った。でもどこかで、どうしたらいいか分からない自分もいた。学校で、教師と生徒で、それなのに手を出した。そう言えば三橋はオレだってすきです、と怒るだろうけど、ともかくそのラインを越えたのはオレだ。カレンダーを眺めて、もうすぐ誕生日か、と思ったところで気づいた。……オレは三橋に、何も残していない。
 例えば飴玉やチョコ、ケーキにカフェオレ、ホットココア。いつだって、その場で消えるものばかりだった。誰に言われたわけでもなく、何か形のあるものを望んではいけないような気がしていた。そう思うことで、この関係はいつか終わらなければならないものなのだと勝手に言い聞かせていた。

 一年。

 放課後、土曜の午後、どこかの日曜日、すこしずつすこしずつ、同じ時間を過ごして、手をつないで、時々抱き合ってキスをして、まっすぐにすきだという気持ちをもらって、くしゃくしゃの笑顔を知って、赤くなった耳を知って、髪の匂いを知って、涙の味を知って、そうしたらもう、戻れるわけがなかった。
 また春が来て、三橋は学年がひとつ上がった。来年は、ここからもっと広い世界へと出てゆく。

「ケジメ、だよ」
「けじ、め、」
「三橋と一緒にいるぞってケジメ」

 自分にも言い聞かせたことばだった。
 いつかオレの手を離して、その広い世界で幸せになればいい。誰かと笑って過ごせばいい。
 でも今は、もうすこしだけ、一緒にいさせてほしい。
 そんなことは情けなくて子どもじみていて、口が裂けても言えねェけど、「一緒にいる記念に、誕生日プレゼントはモノにしましょうって話」軽口でそう言えば、三橋はまたその大きな目でまっすぐこっちを見すえる。

「せ、せんせい、」
「ん?」
「幸せ、ですか、」
「はあ?」
「ち、ちがう、えっと、オレは、先生といる、の、が、幸せだから、先生も、そうだったら、いいな、って」
「……幸せだよ、」

 お前にそれをたくさんもらってるから、何か返したいんだ。
 そう言うと、三橋は何も言わずに抱きついてきた。腕を回して細い肩を閉じ込めると、頭をオレの肩にぐりぐり押しつけてくる。何か言いたくてうまく言えねェときの、三橋のくせだ。顔が見えないのをいいことに、ふう、と息を吐いた。くちびるがふるえて、目尻が熱くて、あーこりゃ泣く合図だ。
 かなわねェ。
 きっと全部、筒抜けなんだろう。オレが今このタイミングで言ったことも、それに含んだ意味も。ぬいぐるみを取られまいとしがみつく子どもみたいに、強く抱きしめた。
 どうやら思った以上に、オレは三橋がすきらしい。

「……オレ、オレは、」
「うん、」
「……う、腕時計、欲しいです、えと、その、安いやつ」
「腕時計な、いや値段なんかどうでもいいんだけど、……何で?」
「あの、あと何分で会えるかなって思う、の、楽しそう、」

 涙が引っ込んだ。スマホもある時代に、って思わず笑ったら、だってカッコイイでしょう、とオレの腕の中で頬を膨らませる。それから、ジュケンセイ、で、模試を受けるから、必要なんです、とあからさまに付け足して、

「先生の持ってるやつで、いらないのがあったら、それがいい」

 とまで言ってきた。どんだけ安上がりにする気だよって笑って、きっと理由はそれだけじゃねンだろうなあ、とも思って、でも言うのは野暮だと額にくちづけて、帰ったら家ン中ひっくり返そうと決意した。
 ほんとうにこいつは、自分の誕生日でさえ、自分のことを考えねェ。





 当日、この季節にしては照らしすぎた太陽は、ようやく傾きだした。呼び出した三橋を椅子に促し、冷蔵庫からケーキを取り出す。空き時間に自転車飛ばして駅前のケーキ屋で買ってきた。食いモンはなし、そう言ったのは当たり前にケーキを用意する気だったからだ。イチゴの乗ったショートケーキ、果物が山盛りのタルト、何か焦げたカラメルの乗ったプリンみたいなやつ、1と8の形をしたロウソク、「誕生日おめでとう 三橋君」の砂糖菓子。

「ご、ごうか!」
「何がすきか聞くの忘れてたから、店員に勧められたやつだけど」
「すごい、全部すき、すきです」
「そりゃよかった」

 元から大きな目をさらに開いて、三橋は並んだケーキを見つめる。もったいなくて食べられない、なんてことを言いつつ、手は既にプラスチックのフォークを探している。……ケーキはあくまでもケーキであって、本命はこっちなんだけどな。わざと音を立てて小さな紙袋を振ると、くりくりの目がやっとこっちを向いた。

「誕生日おめでとう」
「あ、ありがとう、ございます、」

 紙袋をのぞいた三橋は動きを止めて、次の瞬間、ばっと顔を上げる。

「オレ、先生ので、いいって言った」
「うん」
「も、もらえないです」
「何で」
「ちがう、新しくなくて、いいのに」
「オレとお揃いでも?」

 今度こそ三橋の動きが止まった。
 お、そろい? 意味が飲み込めていない三橋に、紙袋から黒いケースを取り出す。同じ形のものが二つ積まれていたことに、はちみつ色がやっと気づく。開ければ、それぞれ白と黒のゴツめの腕時計が出てくる。

「ちょうどオレも仕事以外でつける腕時計欲しくてさ」
「う、うん」
「でも白か黒か決めらンなくて色違いで買ったんだけど」
「うん、」
「だから今この時計は二つともオレの。ここまで分かるか?」
「は、はい」
「オレのでいいんだろ? どっちか選べ」
「うええ、何か、何か、」

 だまされてる気がする、そう言っていまだ混乱中の三橋を見て笑う。屁理屈も屁理屈、我ながらひねくれ方に呆れそうになる。でもきっと、こうでもしないと三橋は新しい腕時計なんて受け取らないだろう。お互いめんどくさいやつで、そのままならねェめんどくささが、たぶんいとおしいのだと思う。

「あ、あの、」
「決まった?」
「白、がいい、」
「ん、じゃあ左手出して」

 細い左手首に腕時計をつける。すこし大きすぎる気がしたが、三橋は小さく腕を振ったり、ボタンを押しては驚いたり、何と言うか、とにかく嬉しそうだった。体育ですこしだけ焼けた肌に、白い腕時計はよく映えた。それが見られただけで十分だ。
 ……指輪、なんつーモンは、きっと贈れねェから。

「せんせ、ほんとに、ありがとう、」
「おう、今度どっか行く時、つけてこいな」

 オレも黒つけてくからさ。三橋は顔を赤くしてぶんぶんと頷いた。そうしてすっかり忘れられたケーキに目を向けて、「食べていい、ですか?」と聞いてくる。全部お前のモンだよ、はねまくった猫っ毛をくしゃくしゃ撫でまわして、コーヒーを淹れるために立ち上がった。
 日が暮れる。それ食べたら、主役は早く帰らねェとな。






20180517/拍手掲載
20200815/修正



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