あべ先生と生徒みはし 十一話



「せんせー、お誕生日おめでとー!」
「はあ?」

 チャイムが鳴って阿部先生がクラスに入ってきたとたん、女子の何人かが「せーのっ」て叫んだ。それの返事が「はあ?」ってところがすごく先生らしいけど、今のオレにそこまで考える余裕はない。

「えー、違うの?」
「そうだけどお前に何か関係あるか」
「ひっどーい!」
「ねえ先生いくつになったのー?」
「今日はカノジョとお祝いとか!」
「いーなー!」

 知らなかった。全然、知らなかった。きゃあきゃあ騒ぐ女子の声をよそに、先生は授業始めンぞ、って黒板の方を向く。その背中が、何だか遠い、しらない人みたいだ。

 ……誕生日、なんだ。
 ……誕生日、なのか。

 すきって言われて、すきって伝えて、もうだいぶ経つのに、誕生日も知らない、なんて。
 大人の人が誕生日をどう思うかなんて分からないけど、オレは、友達にオメデトウって言われるのは嬉しいし、家族と一緒に食べるごちそうは美味しい。誕生日プレゼントはそのうちおもちゃから地球儀とか図書カードとか新しい鞄とかに変わったけど、やっぱり楽しい日のはずだった。
 先生は、誰かにお祝いしてもらうんだろうか。前に、一人暮らしだって話は聞いていた。今日は実家に帰ったりとかするのかな。それとも、友達と飲んだりするのかな。……オレと、いてくれる時間は、あるのかな。学校の外で会ったのは、まだ数えるぐらいしかない。それだってちょっと遠くの、知ってる人が誰もいないような場所でだけ。
 期末テストも終わって、きっと今、先生たちは成績をつけ出してるはずだ。そんな忙しい時に、準備室には行けない、な。

『17:30、準備室』

 放課後、震えたスマホが伝えてきた時間。行ってもいいんだ、って一瞬で嬉しくなった。それもつかの間、今度は何かお祝いしないと、って悩んでしまう。時計は16:30。正直、今からプレゼントなんて買ってる時間はない。今日は行けません、なんて言いたくない。どうしよう、って考えて、とりあえず駅前まで自転車を走らせた。


「しつれい、します」
「おー、待たせて悪かったな」

 外は真っ暗。肩で息をしているのがバレないように、ゆっくり入る。後ろ手に袋を隠して、用意された椅子に座った。

「わ、ココア?」
「ミルクコーヒー飲んでるぐらいなら、こっちのがいいだろ」
「……あれも、コーヒーです、」
「あんなに牛乳ドバドバ入れといて?」

 先生がくっくって笑う。むくれるけど、ココアの甘さはコーヒーよりすきだ。一口飲むだけで、じわじわあったまってく感じがした。

「顔赤いけど、風邪か?」
「え、ちがい、ますけど」
「リンゴみてェ、ほら」
「ひゃあ、」

 やっぱりあちィじゃん。
 先生の指は冷たくて、熱を持ったほっぺたにキモチイイ。気持ちよくてふっと目を閉じたら先生の気配が近づいてきて、あ、って目を開けた時にはもうキスされてた。

「せ、せんせ、」
「ん? お誘いじゃねェの」
「ちが、指が、きもちくて、」
「ほら誘ってる」
「、んん、」

 先生、って、こんな、だったっけ。
 背中に回った腕があったかくて、ぎゅって抱きつきながら思う。そういえば、テスト前からずっと準備室には来られなかった。先生はテスト作って、オレは勉強して、だから、二人になるのは久しぶりなんだった。がさ、って音で目的を思い出して、先生の腕から離れる。

「あの、今日、誕生日って、」
「は? ああ、アレお前のクラスだったっけ」
「そう、だから、あの、ケーキ」

 家に、あったら、ごめんなさい。
 そう言うと先生は目を丸くして、自分でケーキは買わねェなって笑った。別に飲み会もないし、用もなく実家にも帰らないって。大人って、そういうものなのか。……じゃあ、今日お祝いできるのは、オレだけってこと?

「なに、三橋が祝ってくれんの」
「い、祝います、おめでとう、ございます」
「そりゃありがとうございます」

 先生がケーキの箱を開けてまた笑った。駅前で見つけたケーキ屋さんで急いで買ってきたから、ぐちゃぐちゃになっちゃったの、か。先生が笑ったのは、小さなホールケーキにつけたネームプレートだった。「おたんじょうびおめでとう あべくん」って、書いてあるだけなのに。

「三橋、阿部君ってナニ」
「え、だって、先生って、言えない、」
「はは、そりゃそっか、阿部君、ねえ」

 先生は何だかツボに入ったらしくてずっと笑ってる。本当は下の名前だって知ってる。でも、まだ呼べてない。ネームプレートに負けちゃうのは、いやだったんだ。恥ずかしくて、そんなこと言えなくて、苦し紛れの、阿部君、だった。

「君付けとか、同級生みたいだな」
「そ、うかな、」
「三橋はいーつも先生、先生、だから」
「阿部、先生、」

 反抗するように、阿部、に力を入れて呼ぶ。それから、深呼吸。
 先生は大人だ。いつだって、オレより先にいてくれる。でも、時々はオレだって、先生を追い越したい。

「タカヤ先生、」
「は、」
「……名前、ちゃんと、」

 知ってるよ、って言う前に、先生が急にしゃがみ込んだから、慌てて駆け寄った。どこか、イタイのかな、気持ち悪いのかな。どうしよう、

「せんせ、」
「……心臓やべェ」
「えっ、あ、きゅうきゅうしゃ、」
「違ェよバカ、」 

 ぐいってひっぱられてまた抱きしめられた。先生の心臓の音が、どくどく聞こえる。オレの心臓も、同じぐらい、どくどく言ってる。耳元に、先生の呼吸。……いつもとは、違う、熱い、息。ぞくぞくするから身じろいでも、先生は離してくれない。

「あー、死ぬかと思った……」
「だ、だいじょう、ぶ、」
「お前のせいだかんな」
「え、えっ、」
「いきなり名前呼ぶなよ、殺す気か」
「こ、ころ、えっ」
「レン」
「ひゃああ」

 もう何が何だか分かってないオレに、ほら見ろって、そう言う先生の顔はいつもの先生で、給湯室から包丁と皿借りてくる、って準備室を出ていった。心臓はまだうるさいまま、落ち着くためにすこし冷めたココアを飲む。
 ……あれは、喜んで、る、のか。もし、そうなら、すごくすごく、嬉しい。廊下でガンって何かがぶつかる音が聞こえたけど、大丈夫かな。





20171211/拍手掲載
20200815/修正



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