あべ先生と生徒みはし 九話



 甘いもの、好きですか、って聞いたら、きっとばれてしまう。それに、先生はきっとたくさんもらうはずだから、オレがあげなくてもいいんじゃないかとか、やっぱりあげるのはヘンだな、とか、そういうことしか考えられなくて、なかなか寝つけなかった。





 何だか、学校中で甘い匂いがしている気がする。女子は友達にチョコをあげたり、男子がそわそわしていたり、いろいろ。クラスの有志って子たちに小さなチョコをもらった。リボンとか、ハートとか、可愛いっていうのが詰まったチョコを見て、またすこし憂鬱になる。……先生は、こういうの、欲しいのかな。

「ね、阿部先生に渡す?」
「渡すよー! 力作できたもん」

 そんな会話が聞こえてきて、ああやっぱり先生をすきな子はいっぱいいるんだ、と思う。
 不意に携帯が震えた。『職員会議16:30まで』。事務連絡のようなそれすら嬉しくて、さっきまでの重苦しい気持ちは吹っ飛んでしまう。ほんとに単純だなあ、と思いながら、にやけて携帯の画面を見つめていた。

「し、」

 つれいします、と言う前に、準備室のドアが開いて、女の子たちがきゃあきゃあ言いながら出ていった。慌てて顔を見られないように下を向いて、足音が聞こえなくなってからゆっくりドアをのぞく。はあ、とため息をついた先生の横顔が急にこっちを向くから、どきっとした。

「おう、来たか」
「あ、今の、」
「ん? あー、チョコだって」

 あいつらに教えてたっけ、と言いながら、先生は机上のラッピングを見やる。そこにもまた、可愛いがいっぱいのチョコがあって、先生に会えたのに、だいすきな人といるのに、何だか急に、ぶわって変な気持ちになる。足元がふらつくような、変な感じ、だ。

「……みはし?」
「せ、んせ、は、」
「うん、」

 やっぱり女の子の方がいいんじゃないですか、

 のどまで出た言葉を慌てて飲み込んだ。先生は不思議そうな顔をしてこっちを見ている。
 先生はきっとモテるし、女の子なら手だって繋げるし、堂々とできるし。……どうしていつもこんなことばっかり考えてしまうんだろう。すきだって、ただそう思っていればいいはずなのに。

「……お、お返しとか、するんですか」
「は? しねェよ」
「しない、のか」
「しねえよ。大体名前分かんねェし」

 せめて名前書いとけって、なあ? 先生はそう言ってラッピングを見る。そもそもチョコそんな好きじゃねンだよな、という言葉に、内心ちょっとだけほっとする。やっぱりあげなくてよかった、甘いものが好きか嫌いかも聞いてなかったから。……何にも、知らない、から。

「とか言っといて何ですが、三橋、手出せ」
「手?」
「違う、両手」

 訳が分からず差し出した両手に、ぽんと乗せられたのは細長い箱。リボンがしてあって、キレイな包装紙で、甘い匂いがする。先生、これ、

「バレンタインなんか久々に思い出したぞ」
「これ、チョコですか、」
「どう見てもチョコだろ」
「先生が、オレ、に?」
「あげちゃ悪いか」
「わ、悪く、ない、」

 ぶんぶんと首を振ると、先生が笑った。たぶん、今日初めて見た笑顔。ほっとしたように見える、顔。
 バレンタインデーは、チョコをすきな人にあげる日だって思ってた。すきな人にもらえるなんて、先生にもらえるなんて、思ってもみなかった。

「飴とか菓子食うからチョコも好きかと思ったんだけど」
「あ、えと、好き、です、よく食べる、」
「そか、よかった」

 でもやっぱ聞かねェと分かんねェよな、好みなんて。
 そう言われてはっとする。もしかして、先生も同じこと、考えてくれていたのかって、……いやでも期待してしまう。

「オレらそういう話もしてねェじゃん」
「べ、別に、いいかと思って」
「よかねェよ。これから一緒に飯食ったり、どっか行ったりすんのにさ」
「せんせ、」
「あ、ホワイトデーは期待してるからよろしくな」
「せんせい、」

 せんせい。
 オレがめいっぱい大きな声で呼んだら、先生はゆっくり言う。ほっぺも、耳も、全部、赤い。

「……なあ、浮かれてんの、オレだけ?」
「………」
「お前も、そう?」
「………」
「沈黙は肯定と見なすぞこら」

 先生の肩越しに、夕日が見える。先生の姿は影になって、黒い髪の毛がもっと真っ黒く見える。でも、先生の赤い顔だけがはっきり見えて、何だか今まで悩んでいたことがどうでもよくなって、オレは思い切り先生の胸に飛び込んだ。

「浮かれて、ます、……うれし、」
「おー、ならよかった」

 先生の心臓がどくどく鳴っている。オレの心臓も、飛び出すんじゃないかってくらい、どくどく響いている。くしゃ、と髪を撫でられて、その手がすごく優しくて、結局泣くのをこらえられなかった。泣いている理由も先生は聞かずに、ただぎゅうっと抱きしめてくれていた。シャツの感触、体温のあったかさ、髪の毛に触れる手のひら、全部、先生だ。

「……せんせい、」
「……何?」
「あの、……食べ物、何が好きですか」
「急にソレか」

 お前やっぱ変だ、と先生が笑うから、つられてオレも笑う。
 ふわふわしていた足が、やっと着地したような気がした。





20160214/拍手掲載
20200815/修正



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