あべ先生と生徒みはし 六話



「誕生日おめでとう」

 そう言ったら目を丸くしてこっちを見返してきた。つい先日手に入れた情報を、さも前から知っていたかのように笑えば、小さく呟かれた「アリガトウゴザイマス」。

「何か欲しいもんあるか?」
「え? え、えっと、あの、」

 何でもいいぞー。大人の余裕ってやつを見せたくて、あえてそんな言葉を選んだ。そうしたら三橋はただでさえこんがらがった頭をもっとこねくりまわさなきゃならなくなることぐらい、分かっている。こいつをこんな風にからかえるのも、おれの特権だ。ブラックコーヒーを飲みながら、のんびりと三橋を見た。くるくる変わる表情は本当に見ていて飽きない。……つーか、毎度百面相やってて疲れないのかこいつは。





 すぐに泣いて不安がるこいつを大事にしたいと思ったのは、一緒に出かけた日だった。ただの恋人同士ならいい。オレと三橋はそもそも立場が違う。そして、それが三橋に不自由を与えるのは目に見えている――たぶん、長くふたりでいるには問題が多すぎて、それにこいつが、オレが耐えられるのかは分からない。
 でもそれを面倒とは思えなくて、むしろ愛しくさえ思うから、三橋が頷く限り隣に居座るつもりだった。開き直った人間は強い、のだ。きっと。

「せんせ、」
「ん、」
「決め、られない、」
「何と何で?」
「んと、」

 欲しいものと、お願いと、ふたつあるのだと三橋は言った。言うこと聞けってことか、と尋ねるとまた首をかしげる。訳が分からない。全く訳が分からない。何でオレこいつのことすきなんだろう、と、自問自答したくもなる。国語教師なら分かるかもしれないが、生憎おれは数学教師だった。

「あの、」
「うん、」
「来年、の、た、んじょうび、も」
「来年?」
「い、一緒に、いて、ほしい、です」

 それから、欲しいのは、阿部先生のきもち。
 恥ずかしげもなく、三橋はそう言った。

「……そんなもん、いくらだってくれてやる、」

 言いながら、オレよりも一回りは小さい体に触れた。ちくしょう、こいつの泣き癖がうつったかもしれねェ。顔が見えないように思いっきり抱きしめる。
 もう知っているんだ、こいつは。オレたちの間を繋ぐのはきもち一個しかないってことを。この先の約束も出来ず、未来へも踏み出せないままでいるだろうことを。
 ――怖がってんのは、どっちだよ。体裁も世間体もばかみてェだと思うけど、年を経るに連れてそういうものが現実的になるのも事実だった。この関係を続けるには、オレも三橋も弱すぎる。それなのにきもちばかりが急いて、形になるものを残したい、残してやりたいと思う。だから、目には見えないきもちが欲しいなんて言われると思わなかった。

「……来年、また言えよ」
「……今、の、」
「今の、また言え、おれに」
「……聞いて、くれるんですか、」
「毎年更新してきゃいいんだろ? やってやるよ」

 この先もずっとなんて言わない。言ってやらない。でもこいつが頷く限り、隣にいたいと、大事にしたいと、切に思う。
 たかが、と思うかもしれないが、少なくともオレたちにとってはそういうものなのだ。これを恋と呼べるかどうかさえ、危うい。





 ミルクをたっぷり入れたカフェオレと、ブラックコーヒーのマグカップが並ぶ。日が長くなった外は、やっと夕焼けを迎え入れようとしていた。

「プレゼントでも何でもねェからな、」

 三橋の手に、引き出しの中にあった飴玉をいくつか降らせる。今朝コンビニに飛び込んでこいつの好きそうなのをしこたま買い込んだものだ。ここがお菓子入れになってるから適当に食えよ、と言えば目を輝かせた。
 まずはここを充実させなきゃいけねェな、と笑いながら、今にも飴を食べようとする三橋のくちびるに触れた。





20120517/拍手掲載
20200815/修正



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