あべ先生と生徒みはし 四話



 三橋のかく円はへったくそだ。しかも何度かいても楕円だったり歪んでたり丸付けの丸みたいだったりとにかく安定しない。慣れっつーのを知らないんだろうか。

「せんせい、」
「ん?」
「先生の円、きれい、ですね、」
「……お前、へったくそだもんなあ」

 ノートの図を指差せば、三橋はう、という顔をして黙る。図なんて分かりゃいい、そう思うが、三橋のかく円だとそれも怪しい。
 図形の単元がひどく苦手だ、と言う。初めて準備室に来たときも、作図して説明してやったのを思い出す。

「でも、オレ、先生のかく円、すきだ」
「ほめても何も出ねェぞ」

 背中の次は円か、とすねるように言えば、三橋は笑う。
 付き合う、ようになってから、三橋は少しずつ笑うようになった。オレと、笑えるようになった。一週間に一回、誰もいない数学準備室で、日が暮れるまで過ごすのが習慣になってきていた。校内の小さな部屋の片隅で、補習がてらお茶を飲む。
 ――外で会うことは、まだなかった。

「……なあ、どっか行くか」
「うえ?」
「付き合ってるってんならデートぐらいしねェと」
「で、デート、って、先生と?」
「それ以外あんのか」

 デートなんて言葉を口に出したのはいつ以来だ。言いながら自分でもこそばゆい気分になる。当の三橋は耳まで赤くして、目が潤んでいる。そこまで驚かなくてもいいんじゃねえの。りんごみたいなほっぺたに触れると、見事に熱かった。

「隠れてばっかじゃ嫌だろ」
「そ、んなこと、ないよ」

 三橋は音がするほど首を振った。それに、ほんの少しだけ傷つく。
 一週間に一回、に耐えられなくなったのはオレの方だった。それでも、変なプライドが邪魔して、言うのが躊躇われた。照れ隠しにもならないキスをして、硬直した三橋の体を抱きしめた。肩口で、三橋が口を開く。

「……オレ、」
「おう、」
「おれ、欲張りだなって、おもった」
「オレが?」
「違う、先生じゃなくて、オレが」
「三橋、」
「もっと会いたいって、思った、けど、今で、じゅうぶんだって」

 言い聞かせてたのに、先生。
 ダイレクトに耳に届いた声は、咎めるような響きさえあった。大人げなくても、どうでもよかった。

「……それ、会いたいってことだろ」
「あの、えと、……そう、です、っでも、」
「でもじゃねェ、ちゃんと言え」
「う、…………だって」

 三橋はでも、だって、を繰り返す。そうやって気にするのは仕方ないことだと思う。こうやって教師と生徒という関係を壊した以上、過敏になるのは当然だ。むしろ、オレが楽天的なのかもしれない。見て見ぬふり、が正解なのかもしれない。
 けれどオレが欲しいのはその先で、だからこそそんな言い訳は聞きたくなかった。もっと欲張りになれ、オレみたいに。

「……会いたい、です、」
「……よし」
「もっと、会いたい」
「……ちゃんと言えんじゃねェか」
「……ごめ、なさい」
「何?」
「オレ、どんどん、先生すきになってく、」
「………謝るこたねェよ」
「……せんせえ、」

 先生。先生。蚊の鳴くような声で、三橋が呼んだ。背中に回された手が、シャツをつかむ。じわりと、伝わってくる三橋の熱と匂いに、酔いそうだった。





 どこ行きたい? お茶を入れ直して聞けば、先生と歩きたい、と小さな声が返ってきた。ここにきて拍子抜けする答えに、オレは思わず聞き返す。

「別に遠慮しなくてもいいのに」
「してないよ、ほんとに、」
「オレと歩きてェの?」
「歩き、たい!」
「……んじゃあ土手でも行くかね」

 初デートは散歩になりそうだ。へったくそな円で、手帳の日付を囲んだ。





20101111/拍手掲載
20200815/修正



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