あべ先生と生徒みはし 二話



 肩で息をして涙目になって、それでもあいつは何も言わなかった。





 座席表と出席簿を照らし合わせる。見なくても分かった。三橋はいない。

「あー、三橋いねェの?」
「三橋くん保健室です」
「……調子悪いのか?」
「何かちょっと悪そうだった、かなあ」

 保健、と書き込んだ出席簿を閉じた。まあそうだろうな、と思う。質問しに行って泣かされた教師になんか会いたくないだろう。ましてその理由が理由だ。
 授業終了のチャイムで教室を出る。次は空き時間だった。自然と足は保健室へ向かう。

「三橋、オレのことすきか」

 その瞬間のあいつの顔がすべてを物語っていたように思う。今さら思い出して自己嫌悪に陥った。あり得ないだろう、準備室に鍵かけて、生徒に向かって告白する教師がどこにいる。どこかに泣きつかれたら言い逃れできない、でもあいつはその後肯定も否定もしなかった。
 養護教諭出張、と示されたボードを横目に保健室に入る。遮光カーテンを静かに開けると、くうくうと寝息を立てて三橋はそこにいた。
 あまりに無防備な十六歳の寝顔に、力が抜ける。……ああそうか、柄にもなく緊張してたのか。

「……おーい」

 ぺち、と頬を叩けば、三橋はうっすらと目を開ける。焦点があってオレと気付いたらしい、飛び起きて見上げてきた。

「せ、せ、んせ、どう、」
「サボった生徒に説教」
「うあ、ご、ごめんなさい、」

 ウソだよ、そう返すと三橋は一瞬こっちを向いてぱっと目をそらした。
 遠くに響く準備体操。近くで盛り上がる調理実習の声。それなのに静かな保健室には秒針の音しかなかった。三橋の手がきゅ、と握られる。
 気まずさにこちらも視線をずらす。何をしにきたか、分かりきっているから。

「……悪かったな、昨日」
「……きのう、」
「忘れていい」

 傲慢なことばだと思った。そうでもしなきゃ三橋が苦しむだろうと、勝手に解釈した上でのことばだった。が。

「わ、すれない、っ」
「……は、」

 間髪入れずに発せられた三橋の声に、オレは耳を疑う。それはそれで困る。のどまで出かかった言い訳を、三橋の声がかき消した。

「だって、オレ、」
「みはし、」
「ごめんなさい、オレ、いいこじゃない、」

 そう言って三橋はぽろぽろ涙を落とした。
 オレはばかだ。こいつがどんな性格か、知らないわけなかったのに。それを言ったらオレが失望するとでも思ったんだろうか。いいこじゃない自分は違うと、いらないと、そう思ったんだろうか。
 三橋はいいこだよ、そう言って傷つけたのか、オレは。

「……いいこじゃなくていい、だから」


「オレはお前の考えてること、知りたいんだけど」

 震えた声に三橋は顔を上げた。声になのか顔になのか分からないが、とにかく驚いた顔をしていた。袖で涙を拭う。目元赤くなるな、ごめんな。なるべくゆっくり引き寄せて、細い体が腕の中に収まる。あやすように背中を叩けば、肩口で三橋はまた泣いた。それでいいような気がした。
 いいこである必要なんかどこにもないって、たぶん何度も言わなきゃいけない。オレとこうなる時点で、もうそんなものは意味をなさない。

「……熱あんの、」
「あ、の、違くて、」

 額同士をくっつけるよりも先にくちびるで触れた。すこし、熱い。

「昨日、寝られなかった、」
「何で?」
「……それ、聞く、んですか」
「聞くね、お前の口から」
「し、知ってる、くせに、」
「知らねェ」
「………せんせいの、」

 うそつき、
 三橋はすん、と鼻をならした。
 ああ、オレこいつすきだ。どうしようもなく、すきだ。





20100124/拍手掲載
20200815/修正



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