あかとあおときとあした



 月が、あかい。あかくて、おっきくて、まるい。



 今日は何年に一度かの皆既月食と、ブルームーン?が重なる日、らしい。化学の先生が何で起こるのかってムズカシイことを話してたけど、全然覚えてない。赤い月なのにブルームーン、なんて、変なのって思った。そんなトクベツな日に、トクベツな日なのに、タカヤ君、が、いない。





 朝、「熱出たから休む」ってラインが来た。昨日の帰り、何だか熱っぽいって言ってて、一緒に帰らせてくれなかった。クラスでもインフルエンザで休む人が増えてきてる。その上オレ達は10人しかいないから、体調管理はしっかりしなさいってカントクに言われてた。だから、年明けからずっと、何かの用事以外で休むひとはいなかった。

「あれ、阿部いないの?」
「珍しー」
「風邪?」
「だから明日雪降るんだよ」
「よっし伝えとくわ」
「ちょ、やめてぇっ」
「あはは、」

 いつもなら一番か二番にグラウンドに来てるタカヤ君がいないことは、皆すぐに気づいた。オレが休みだってことを伝えると、同じクラスなんだしキャプテンの花井に言えよなってゆう君が言った。言われてみればそうだ。珍しく来るのが遅かった花井君に欠席のことを聞いたら、とっくに連絡は来ていたらしい。タカヤ君がそういうところをいい加減にするわけないなって思った。それでも、オレだけに教えてくれたってことが、いけないかもしれないけど、ちょっとだけ、嬉しかった。
 先週降った雪はだいぶ解けてきた。水をたっぷり含んだ土に新しい砂をかぶせてならした。一日じゃとても終わらなかった。端っこの日陰のところはまだ雪が残っていて、氷みたいに固い。やっと一昨日ぐらいから、ちゃんと練習できるようになったばかりだ。
 雪が降った翌朝、やっぱり気になって見に行ったグラウンドは真っ白で、はあって吐いた真っ白な息と同じ色をしてて、別世界みたいだった。三星の時も雪は降ったけど、あの時とは全然違う、雪。隣にいるひとも、一緒にいる仲間も、やりたいことも、変わったから、かな。
 ゆう君が呼ぶ。オレが投げる。ナイスボール、って声。でも、その声はタカヤ君じゃない。

「タカヤのが、いい?」
「ひえっ」

 いつの間にか近づいてきたゆう君が、不意にそう言った。

「何かそーゆー顔してる、」
「え、あ、うそ、ご、ごめ、」
「しょーがねって、セーホシュなんだから」

 でも試合中はダメだかんなー! いっくらタカヤのがスキでもさ!
 びっくりしたオレが何も言えないで目を白黒させている間に、ゆう君はからから笑いながら走ってく。18.44m先。……タカヤ君、との距離は、今どのぐらいだろう。





 阿部君じゃなきゃ、ダメだ。
 そう思ったのは夏の大阪合宿の時で、でも、それはまだ、オレだけの秘密にしている。こうして捕ってくれるゆう君にも、シツレイだと思う。ワガママ、って言われても仕方のないことだと思う。……前にも言われたけど、オレ、分かりやすい、の、かな。
 それでも、タカヤ君がいい、んだ。一緒に強くなろうって約束したんだ。誰にも言ってない、二つ目の、ふたりの約束。初めて認めてもらって、初めてここにいていいんだって思わせてくれて、初めて、すきだって言ってくれて、すきだって、思ったひと。
 野球と分けなきゃいけないって思ったこともあった。でも、野球をしてるタカヤ君も、一緒に笑ってくれるタカヤ君も、全部タカヤ君で、すぱっと分けることなんて、出来っこなかった。
 やっとレンって呼ばれることに慣れてきて、この間、やっと阿部君を名前で呼ぶことができて、阿部君は、えっと、タカヤ君は、すごく喜んでくれて、またちょっとだけ、また近くなれた気がした。付き合う、っていうのがどういうことか、オレ達はまだよく知らなくて、……ほんとは知ってて、気づかないふりをしてるのかもしれないけど、二人でいるのがキンチョー、から、心地いい、になってきたから、それでいいんだって思う。
 オレ、ヘン、だ。
 会ってる時だってドキドキするのに、会えないと、もっとドキドキする。会いたいなって気持ちが、勝手にどんどん膨らんでく。ひとりでいることなんて、慣れっこなのに。今日は、お母さんの帰りが遅い。ベッドにごろん、って転がって、窓を見て思い出した。今日は、トクベツな日だった。
 駆け寄って、開け放した窓から冷たい風が入ってくる。満月のはずなのに、もう月は半分くらいに欠けていて、でもまだ黄色かった。赤くなるのはいつなんだろう。しばらく見てたけどあんまり変わらなくて、思ってたのと違うなあって、お風呂に向かった。





 お風呂から上がって、髪をふく。やっぱり気になって窓を開けたら、今度は月が赤かった。ほんとに赤くなるんだ、って、スマホをかかげたけど全然キレイに撮れない。タカヤ君に、見せたかったのに。そこまで考えて、またひとりなのを思い出した。星がいっぱい出てて、お月さまもキレイで、空は何だかにぎやかなのに、ひとりぼっちだ。もうひとりぼっちじゃないって思ってたのに、今、オレはどうやらひとりぼっちだ。
 明日はきっと来る。来る、はず。でも、連絡は何にもこない。もしかしたら、熱が上がってるのかな。インフルエンザかもしれない。きっとお見舞いしたいって言っても、タカヤ君は許さない。そしたら、明日は会えない。そうやって、大事にしてくれるのは嬉しい。嬉しいけど、どこかでさみしいなあって思う。
 ダメ元で、ラインしてみようと思った。返事が来なければ寝てるだけ。もし来たら、ちょっとだけ、話がしたい。もちろん、無理しないぐらいで。そしたら、何を話そう。今日の朝練の話、オレだけに教えてくれてありがとうって話、月の話、それから、それから。打っては消して、消しては打って、やっと送った「起きてますか」の六文字。数秒で、ぱって既読がついた。起きてるんだ。じゃあ、元気になったのかな。それからすぐに、ブーブーって、スマホが震える音。それは、ラインの通知じゃなかった。

「あ、タ、タカヤ、く、」
「おー、」

 デンワ。まさかかかってくると思わなくて、さっきまで話そうって考えてたことが全部吹っ飛んじゃった。つっかえつっかえ、元気ですか、って聞いたらお前は猪木かよ、ってタカヤ君が笑う。鼻声でもない、いつもの声。いつもの、タカヤ君だ。……タカヤ君が、いる。
 もうすっかり元気らしくて、さっきちょっと走ってきた、なんて言う。無理しないで、って言ったら、お前ほどムチャしねェよ、って、ちょっととげのある言葉。最近は、内緒で投げたりもしてないのに。

「昼には熱下がったんだ。明日は朝から行けっから」
「ほんと?」
「だからウソつかねって、」

 どんだけ信用ないのオレ、タカヤ君がまた笑う。そうじゃない、って言っても笑ってる。タカヤ君は、最初に会った時よりずっとずっと、笑うようになった。オレとふたりの時も、誰かと一緒の時も。女子には怖がられてる、って聞いたけど、……オレからしたら、それぐらいでいい。
 ほんと、って聞いてしまうのはクセみたいなものだった。別に嘘つきだってわけじゃなくて、……約束を破ったことを気にしてるんじゃなくて、ほんとに、ほんとって思っちゃうから。たくさんすきだよって言ってもらっても、どこかふわふわして実感がないみたいに、何度も何度も、聞いてしまう。ふわふわが不安なんだって気づかれないように、繰り返す。

「あ、そーゆ、わけじゃなくて、」
「ん、分かってっけど」
 
 うそ、分かってない。
 オレが、いっぱい、心配してることとか、知らない、だろ。
 もう、ケガも、病気も、しないでほしいって、勝手に思ってること、知らない、だろ。そういう、いやな秘密をオレが持ってるって、知らない。野球がしたくて、オレのしたい野球にはタカヤ君が必要で、もちろんすきだから心配するけど、それ以上に、タカヤ君が捕手だから心配してるって、そんなオレの身勝手な部分も、すぱっと分けられないオレの汚いところも、全部全部知らない、だろ。
 でも、分かってるって、そんなに自信満々に言うなら、すこし、すこしだけ、ワガママを言ってもいいかな。

「レン? レーン、こら」

 寝てんの? 急に黙ったオレに、タカヤ君が呼び掛けてくる。すう、と深呼吸。ゆびさきに心臓があるみたいに、スマホを持つ手が震える。サードランナー、ダメだ、ここはオレの部屋だ。頭の中の台本を読むんだ。大丈夫。こんなことで、何かあったり、しない。

「あ、明日、タカヤ君、が、いないと、困る」
「……は、」
「あ、え、と、明日、だけじゃなくて、毎日、こまる、困ります」

 あ、あれ。こんなことが言いたかったんだっけ。
 毎日いないと困る、なんて、そこまで言うつもり、なかったのに。だって毎日なんて、まるで、まるで、
 止まった思考回路は全然動いてくれない。スマホにくっつけた耳が熱くて、からだも熱くて、ゆびさきだけ、また心臓みたいにどくどく言う。

「………朝、迎え行く」
「え、いいよ、」
「オレが行きてェの、行く、行くから、」

 ちょっとだけ、タカヤ君の声が上ずってる、気がする。今どんな顔してるんだろう、急にすごくすごく顔が見たくなる。いつもみたいに余裕、みたいな顔してるの、それとも、今のオレとおんなじ顔、してるの。

「オレが行くまで玄関出ンなよ」

 寒ィんだから。
 ねえ、どっちが病人なの、って、おかしくなる。ふ、って笑ったのが聞こえたらしくて、タカヤ君も笑う。付き合うようになってから、何が変わったわけじゃない。でも、オレ達は、ふたりして一緒に笑うことが増えた。ようやく手の震えがおさまって、キンチョーがとけて、ベッドに寝転がった。また窓が見えて、あ、と声を出した。今日は、トクベツな日だった。
 何、と聞いてきたタカヤ君に、お誘いをかける。

「外、見られる?」
「おう、何で?」
「えっと、月を、見てください」

 ガタン、カラカラ、って音が聞こえて、「……何か見にくいけど、赤くね?」という感想が返ってきた。同じように窓を開けて見上げたら、さっきまで黄色かった月はほとんどなくなって、代わりに濁ったような赤い丸が見えた。

「あのね、今日、カイキゲッショクで、ブルームーン、なんだって」
「え、赤いだろ? レッドじゃねェの」
「………わ、かんない、」
「ふは、頼りねェの」

 でも、何かすげェ。……うん、すごい、ね。これ全部赤くなんの、た、たぶん、三橋センセー、ちゃんと教えてくださーい、うええ、
 すげェものを、二人して見られてよかった。一緒に、見たかったなあ、ぽつりと呟いたら、いや今一緒に見てンだろ、って言う。
 そうだ。タカヤ君は、そういうひと。実際、スマホ越しに、一緒に空を見上げてる。でも、うまくまとまらないけど、オレの言いたいこととは、ちょっと違うんだ。

「……そーゆう、ことじゃ、ない」
「じゃあどーゆーこと、」
「わ、分かってる、だろ」
「分かんねェから聞いてンだよ」

 ウメボシすんぞ、タカヤ君が笑う。オレも、笑う。その、ちょっとの違いを、面白いなって思えたのは最近だ。首を振るなって言われた時から、逆らうなって言われてから、同じじゃなきゃダメなんだ、嫌われるんだって思った。それがこわかった。またひとりぼっちになるんだって足元がぐらついてた。
 でも、タカヤ君がごめんって言って、オレだって悪かったって、そうして約束をした。だって、違う人間なんだから、全部同じなんてムリなんだ。オレとタカヤ君は、全然違う。その違うことを違うって話して、アタマをやわらかくするのは、きっとヒツヨウなことなんだろうなって思う。
 違うこと言ってるって思うのに、さっきまでのひとりぼっちみたいな気持ちは、とっくに消えてた。

「明日、家の前着いたらラインすんな」
「う、ん、」
「月見すぎて風邪ひくなよ、」
「うん、っくし、」
「……おっまえ、」
「あ、あったかくして、寝ます!」

 オヤスミナサイ、をお互いに言って、通話終了。最後にもう一回、窓から見た月は元通りの黄色になっていて、まるで赤い月がなかったことになってるみたいだった。でも、絶対にあった。だって、通話記録も、いつもの低い声も、上ずった声も、全部耳に残ってる。布団に潜り込んで、ゆっくりゆっくり、かみしめるように会話を思い出す。
 明日、タカヤ君が、いる。明後日もその次も、いる。
 いつも、じゃない。でも、いつか、いつもになればいい。明日が、毎日になればいい。
 まるで、の先は、恥ずかしくて考えられなかったけれど。





 明日、タカヤ君がいなきゃ、困る。それは、ほんと。





20180201/めちゃくちゃでかかったブルームーンとアベミハ
20200814/修正



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