not in SPECIAL day



 何だか格式ばったようなフルコース料理にも、街を見下ろすようなホテルの最上階にも興味はない。いつもより明るい街中のイルミネーションも目がチカチカするだけだ。大学は冬休みにはまだ早く、バイトも稼ぎ時の一か月。師走の言葉通り、年末に向けて毎日が慌ただしく過ぎてゆく。
 そんな中、気が付くと家の中に緑と赤、そして白や黄色のものが増えていった。元々の部屋がほぼモノトーンでまとめられていただけに、そのカラーリングはかなり目立つ。小さなツリーだったり、雪だるまの置物だったり、リースだったり。聞けばリースは母親が作ったものを送ってきたのだと言っていたが、その後で、ツリーとかは、買っちゃった、と猫っ毛は白状してきた。阿部よりも三橋の方がこうしたイベントには敏感で、既にハロウィンの時にはかぼちゃの置物があったように記憶している。
 そんな三橋が、バイト先でもらったという焼肉食べ放題の無料クーポンを差し出してきた。クリスマスなのに色気ねェな、とからかえば、美味しいもの食べるんだからいいんだ、と頬を膨らませる。その時点で、イブの予定は決まったようなものだった。

「なあ、今日休んで平気だったのか」
「いつも、入ってくれてるから、ご褒美、だって」
「じゃあ親父さんたちに何か用意しないとな」
「ふひ、うん」

 阿部は塾講師、三橋は個人経営の和食屋でアルバイトをしている。一緒に住み出した夏、慣れてきた大学生活の中で、何かあった時のためにすこしだけ余裕が欲しくなって始めたものだった。幸い二人とも性に合っていたらしく、やれ志望校対策だ花金の五十日だと忙しく過ごしていた。
 三橋のバイト先では何度か夕食を食べさせてもらった。人のよさそうな夫婦が開いている小さな割烹で、そういや夏合宿で料理してたもんなあ、と思い返したのを覚えている。忙しそうに注文を取ってカウンターに戻る三橋は楽しそうだった。始めこそカレーや野菜炒めしか出なかった食卓にも、冬に近づくにつれて煮つけや小鉢が増えてきていた。
 阿部だって野菜の切り方や火のかけ方は分かってきたものの、未だにひとつまみだとか少々だとかいう但し書きには疑問が残る。好みだろこんなん、とそれこそ適当にやるものだから、タカの作るものはいつもすこししょっぱい、と三橋は笑う。

「そういやそのクーポンって日曜も使えんンの」
「……え、?」
「そういうのってよく土日祝を除く、みたいなのあるじゃん」
「う、そ、ま、待って、」

 案内された席に座り、タブレットで注文を取ろうとした時に、ふと阿部が言った。
 いわゆる全国チェーンの焼き肉屋。今は煙が出ないように工夫されているらしいが、それでも香ばしい肉の匂いがそこかしこから漂ってくる。じゅうじゅうという肉の焼ける音、湯気の上がる白飯、汗をかいたビールジョッキ、それだけ見るとクリスマスとは無縁の場所に思えるが、メニューにはちゃっかりクリスマスデザートが載っていたりする。バニラアイスを二つ重ねただけで雪だるまアイスだと言うのだから商魂たくましい。

「……平日のみ、」
「やっぱり?」
「うう、ごめ、なさい」
「謝んなって、普通に食べ放題頼もうぜ」

 また来りゃいいじゃん、そう笑った阿部に三橋もほっと息をついた。始めにセットで来る肉と野菜がテーブルに用意される。それらは一瞬で二人の腹に収まり、片手で肉を焼きながらもう片方の手で注文を繰り返す。

「二時間しかねェからなとにかく注文すんぞ」
「んぐ、カルビ、と、ピートロ、」
「ん、カルビ、ピートロ、タン塩と……あとハラミにホルモンだろ、サンチェいる?」
「いる、あと、おさつバターも、食べたい!」
「いやまず肉だろーが、あと飯お代わりな」
「ビ、ビビンバ、は」
「あ、確かに」

 注文が済めば脇目もふらずにひたすら食べる。実際食べ放題は勢いが二時間も保たない。初めの数十分でたいていは満腹になってぐだぐだと残り時間を過ごすものだ。しかし大学生男子、それも毎日のように授業に部活とバイトをこなす二人にとって、それはただ時間との戦いだった。とりあえず頼むだけ頼み、食い尽くす。焦って生焼けの肉を食べそうになる三橋を止め、きちんと両面焼けているカルビを皿に取ってやる。
 三橋は本当に美味しそうに食べる。阿部だって不味いと思って食べてはいないが、ここまで表情で「美味しい」と言ってくる人間はそうそういないのではないか。ほっぺたが落ちそう、を地で行く顔に、見ているこちらまで笑えてしまう。顔じゅう口みてェ、思わず出た感想に三橋はまだ食べられる、よ! とけらけら笑った。
 何皿食べたかもはや分からない程度に、店員が行き来した気がする。例のおさつバターをつつきながら、三橋はようやく満タンに近づいたお腹を撫でる。阿部は先ほど頼んだ玉子スープを飲み干し、こちらも小休止だ。

「……いっぱい、食べた、ね」
「や、これだけ食ったのいつぶりだろーな」
「高校の時の、打ち上げ?」
「あー、あれ以来かー。まだ無限に食えそう」
「ふは、お腹、やぶれちゃうよ、」
「こんだけ幸せなら本望かもなー」

 普段より語尾が伸びるのは、酔っている時。そういえば阿部は、最初からビールを何杯か飲んでいた。お腹がいっぱいになってしまうので食事時は飲まない三橋と反対に、阿部は晩酌が好きだ。夕飯の前に缶ビールを飲む姿も何度となく見ている。親父みたいにはならねェよ、とは言うけれど怪しいものだ。

「そういやこの間焼肉食ったって自慢されたわ」
「だ、誰に、」
「ん? 元希さん、ほら」

 見せられたラインの画面には、見るからに高そうな個室の店内と、これも高そうな皿に二枚ほどしか載っていない赤身の肉の写真。それから、半分見切れた榛名の顔。おそらく自撮りは苦手なのだろうが、その表情からは嬉しさが伝わってくる。

『タカヤ、肉だぞ!』
『あーうまそうですね』
『バカ、これ値段ついてねェやつだかんな! めちゃくちゃうめェから!』
『食った気しなさそうですね、足りるんですか』
『味わうんだよ! これだから庶民は!』
『うっさいんで通知切りますね』
『コラテメー!』

 写真と共に交わされた会話に笑ってしまった。この後もしっかり不在着信にしておきながら、最後に『ちゃんと噛んでくださいよ』と送る阿部も、その後球団マスコットのスタンプを連打してくる榛名も楽しそうだ。……こんな風に、なれたんだなあ、と、部外者ながら思ってしまう。部外者と言えば二人はお前も関係者だと怒るだろうけど。
 榛名を初めて知った日、阿部は「あいつはサイテーの投手だよ」と言い切った。その阿部に「また捕れなくなってンぞ」と言い放った榛名。あんなにがっしりして、あんなに速い球を投げる「スゴイ投手」なのに、なぜ「サイテーの投手」になるのかが分からなかった。でも阿部の話を聞いて、おぼろげながら阿部が榛名に求めていたものと、榛名が阿部に求めていたものは、たぶん違うのだと思った。それをうまく言葉にできなくて、ただ、阿部君にはオレが投げる、と、勝手に決めたのだ。
 その時は、阿部と榛名の二人がこんな風に連絡を取り合うようになるなんて、想像もつかなかった。……よかった、のだ。きっと。二人にとって、いい変化だったのだ、と思う。お前がいたからだよ、と阿部は言ってくれた。その時に一緒にいられて、よかった、とも思う。榛名がいたから阿部と会えて、阿部がいたから榛名と戦えた。二人とも三橋にとって、大事な人なのだから。

「う、美味そう、」
「まあ美味いだろうけど、腹にたまんなかったら美味くてもしょうがねェじゃん」

 オレは断然こっちだね、と、阿部が言う。
 こっちって、焼肉とオレと、どっちのこと。
 そんなどうしようもない言葉がせりあがってくるのをどうにか抑えた。と、阿部の指が三橋の額をはじく。

「いっ、」
「ほら眉間、シワ取れなくなんぞ」
「うええ、い、たい、」
「……お前はほんとにさあ」
「な、何も、言って、ないだろ」
「顔見りゃ分かるよ、」

 今さらヘンなこと考えてンじゃねェよ、そう言って阿部が笑う。三橋の頭をくしゃくしゃに撫でた後、ちょっとトイレ、と席を立つ。





 今さら。
 そう、今さらなのだ。阿部と榛名がどうであれ、もう過ぎてしまったことだ。三橋が介入できない場所でのこと。今、彼が笑って、一緒にいられるのだから、それでいいのだ。そういう何もかもをひっくるめて、阿部をすきになったのだから。……榛名サンごと、なんて言ったら、それこそ二人に怒られそうだけど。
 ポケットから落ちそうになった黒のキーケースが、テーブルに置かれていた。それを見て、じわ、と胸の真ん中が熱くなる。
 ついこの間、三橋が彼に誕生日プレゼントとして渡したものだ。五月に阿部の家の鍵と一緒にもらったキーホルダーは、今も大切に持っている。ひとつだった鍵がいつからか増えて、歩く度に軽い音が鳴るのが何だか嬉しかった。阿部もそうだといい、と思って選んだものだった。
 戻ってきた阿部が当たり前のようにキーケースを手に取るのを見る。

「……何、」
「それ、使い、やすい?」
「おう、最近研究室の鍵ももらったからかさばんなくていいわ」
「ふへへ、」
「つか高かっただろコレ、オレがあげたやつそんなしねェのに」
「え、お店、知ってたの」
「……何か、雰囲気」

 キーケースに刻まれているのは有名なブランド名だったが、初めてそれを見た時、阿部は「誰の名前彫られてンの?」と言った。黒や紺といったシンプルな皮革の端々に、幾つもの色が並んでいる。例えば財布にしても内側に鮮やかなプリントがあって、見る人が見ればすぐにあの店だ、と分かるものだった。だがあいにくと阿部はそういったものに疎い。ただ、心地よい手触りが、そう安いものではないことをうかがわせた。

「そうだ、まだ欲しいモン聞いてなかったよな」
「あ、うん、」
「決まった?」
「タカ、は?」
「これといってねェんだよなァ」

 今年のクリスマスは、互いに欲しいものを買いに行くことにしていた。
 いつもは買い物と言えばスポーツショップか本屋、服もそこまでこだわっていない、というかほとんどジャージのため、あえて服飾品を買いにいくこともない。加えて、高いものより安くて美味しいものをたくさん食べたい、という学生らしい思考回路。そもそもそこまで物欲がない二人だから、改めて欲しいもの、と言われても困ってしまう。

「あ、あの、ね、」
「ん?」
「ほんとは、ソレ、財布にしようかとも思ってて」
「え、この店財布も売ってンの?」
「あ、うん、小物とか、服とか鞄もだけど」
「じゃあさ、財布にしよーぜ」

 阿部が自分の財布を取り出して言う。使い込まれた、と言えば聞こえはいいが、疲れた様子が見て取れる。だから悩んだんだった、と思い出した。財布見せてみ、と言われて自分のものを手渡すと、「そろそろ買い替え時ですね」なんて店員じみた口調でからかわれる。酔っぱらいめ、と思いながら三橋も言い返す。

「お、お客様のだって、替えた方が、いい、んじゃ、ないですか、」
「じゃあ明日、連れてってな」
「うえ、」
「ダメ?」
「だ、だめじゃない、です」
「よし、決まりな」

 阿部はそう言うと伝票を持って席を立つ。時計を見るとちょうど二時間。残菜がないことを確認して三橋も後を追う。





 ……タカ、何だか、機嫌いい、ぞ。

 なぜかは分からないが、どことなく阿部は嬉しそうだ。いつもぶすっとしているわけではないのに、そう感じる。そうでなければ、こんなところで頭を撫でてきたり、茶化すようなことを言ったりはしない。でも、そんな彼を見るのは久々だから、何も言わないことにした。
 駅のコンコースに、クリスマスケーキが並んだガラスケースが出ていた。最後の追い込みだろうか、赤いフリースを着て同じく赤い帽子をかぶった店員がガラスケースの前で道行く人に声をかけている。さっきあれだけ食べたのに、真っ白なクリームと真っ赤な苺、砂糖菓子のサンタクロースとトナカイに目を奪われる。

「……ケーキなら家に買ってあるんですけど?」
「え、ほんと、」
「帰ったら昼寝してたから冷蔵庫入れといた」
「わ、あ、ありがとうっ」

 すこしだけ先を行く阿部を、小走りで追いかけた。普段から自分でケーキを買ってくるなんてしないのに、イベントなんてめんどくさいって顔をするのに、プレゼントなんて誕生日と一緒でいいとか言うのに、三橋が遅れたらいつも振り返って待ってくれるのに、

「タカ、!」
「何だよ、買ってきたやつにサンタはついてねェぞ、それから、」

 だってほら、後ろから見える耳が赤い。聞いてないことを早口で勝手に言う。それはつまり、そういうことだろう。寒いからってポケットに突っ込まれた手を無理くり引っ張り出して、自分のそれと絡めた。

「タカ、あ、ありがとう」
「だから何だって、何も出てこねェよ」
「いい、いらない、」
「……ヘンなヤツ、」

 そうは言いながら、阿部も絡めた指に力を入れてくれる。
 白い息が現れては消える、真冬の空。けれど、胸の真ん中から溢れたないまぜの気持ちが、ぽかぽかとからだを温める。きっと何年一緒にいても変わらない、消えることのない、ちいさなひかり。

 ……何つーか、楽しみだったのはオレもだかんな、……うん、……あ、明日も、その次も、楽しみ、は、何それ、……だって、こんなに一緒にいられるの、は、初めて、だよ、……な、オレも今日思った、こんな年末に明日の話できんのスゲーなって、……ふへへ、……おま、その笑い方どうにかしろよ、

 今日は、世間一般には特別な日らしい。
 だけど、二人して楽しくて嬉しい日は、これからも何度だって来る。不意にそんな気がして、ぎゅう、と手を握った。握力考えろよな、阿部がまた笑った。





20171229/ご機嫌な阿部君とクリスマス
20200814/修正



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