それをきみと呼ぶ



「泊まるのに荷物いらねェって言ったじゃん」
「え、っとね、これは、もらった」

 五月後半の週末。駅で待ち合わせた三橋は、いやに大きな紙袋を持っていた。歩きながら話を聞けば、今日の飲み会は誕生日会だったという。大荷物は学科の友達からもらったプレゼントの山。誕生日会、という響きが高校時代を思わせ、阿部は何とも言えない感覚に陥る。
 初めての誕生日会はテスト前で、三橋が誕生日のたの字も言わず、勉強会という名目で皆を家へ連れて行ったのだった。結局田島の一声で誕生日会は決行され、その伝統は他の部員にまで波及することとなった。阿部ももちろん祝ってもらったのだが、改めて誕生日を祝われるという行為が何だかこそばゆかったのを覚えている。今思えばそれはただ、皆で集まってわいわい騒ぎたかっただけだったのかもしれないが――それほど、あの十人は一緒にいた。同じ時を過ごしていた。





 阿部の家に着いた後、三橋は紙袋を勢いよくひっくり返した。有名雑貨店の黄色い袋、遊べる本屋の青い袋、コンビニ袋、よく分からない紙袋、あからさまに大きさのおかしい駄菓子、その他。そのひとつひとつを、これは誰からもらって、そのときこういうことがあって、と、つっかえながら、でも楽しそうに、阿部に説明する。
 三橋の学科は人数が決して少ないわけではなく、むしろ多い方だ。それを知っていたから、何となく阿部は保護者目線で思う。……こういうことをする仲間が、また出来たのだ、と。そしてどこかで安心して、どこかで寂しくなる。違う大学へ行くことはお互いの学力においても、現実的にも当然のことで、納得した結果だ。高校時代から今まで、ただ無為に一緒にいたわけではない。阿部は大学でも、高校ほどの濃密な時間は過ごせないだろうと考えている。それでも時は平等に過ぎる。だからこそ、この寂しさを受け入れてゆかなければいけない、とも思うのだ。

「……でね、これが最後」
「へえ、誰から?」
「み、水谷君」

 どうせ聞いても分からないだろう、と投げかけた問いの答えは、聞き慣れた友人の名前。そういえば、水谷は三橋と同じ大学だ、たぶん。飲み会に参加しているのだから、そうなのだろう、きっと。

「水谷って、あの、米?」
「ぶはっ、」

 懐かしいあだ名、と三橋が吹き出した。そう、その水谷君。それがね、見て、と、続けるから、阿部は顔を上げる。三橋は水谷からのプレゼントを阿部に手渡した。小さな薄い箱。きれいな模様の包装紙は、しゃれたものを好みそうな彼らしさを表している。きっとまた何かこだわって、よく分からない雑貨屋にでも行ったのだろう。

「これ、何だと、思う」
「何、開けたのにまた包装紙包んだのお前」
「だって、中身が、」

 そんなに変なものでも入ってたのか、と開けてみると、阿部にも三橋の行動の理由が分かった。
 箱から出てきたのはアンティーク調のフォトフレームだった。非常に癪だがセンスはいい。また、高校時代の変な写真が入っていなかっただけよかった。――よかった、のだが。

『阿部とのラブラブショットを入れてね!』

 フレームからはみ出すかと思うほど大きく書かれたメッセージ。とりあえずあいつはコレをレジで書いたのだろうか。だとしたら相当の神経だな、と阿部は思う。あのばか次会ったらぶっ飛ばす、そう言う彼を横目に、三橋はまたゆっくりとその時の状況を話し出した。





「み、みず、たにくっ、これっ」
「えー? 写真の一枚もあるでしょー?」

 包装をといてメッセージを見るやすぐに目を向ければ、完全に楽しんでいる様子の水谷。何なに? とのぞきこんでくる学科仲間らにメッセージが見えないように思いっきりひっくり返す。そこで彼も気づいたらしい。三橋が慌てているのは、照れだけではないということに。ここが西浦高校ではないということに。
 抵抗むなしく奪われるフォトフレーム。ラブラブ、の言葉に当然周囲はわきたち、全員で三橋めがけて質問を投げかけてきた。

 阿部ってだれ? 彼女だろー彼女に決まってんじゃんラブラブっていうんだからわーいつからつきあってるのかわいいの写メねえのなあお前入学式でそんなこと言ってなかったじゃんていうか彼女いないって言ってたじゃん水谷知ってたのああ同じ高校だもんねじゃあ地元の子だずるーいあーなに嫉妬してんのでも意外だね三橋くんあんまりそーゆーの興味なさそうなのに阿部さんって言うんだ、ねえ三橋君が一目ぼれしたの、それとも彼女が、

 ねえ、どんなひと?

「あ、えっと、その、」
「えーと阿部はね、うーん黒い髪で目つき悪いんだけどね、」

 三橋は質問の雨に目が回って何一つ答えられない。水谷は責任を取ってどうにかしようとするも、混乱と動揺が手に取るように分かる。このままでは阿部が男だと判明するのも時間の問題だろう。

 ねえ、どんなひと?

 いくらでも言えるのに、言えない。言ってはいけない。相手が男だと言えば、この空間は、この人たちはどう反応するのだろうか。それを知るのはとても怖いことだし、事実知りたくもない。三橋一人の問題ではないのだから、余計に。
 そういえば、二人で写真を撮ったことはあっただろうか。そういった、形になるものは何も残してこなかった気がする。一緒に立った場所の暑さも、草の音も、土の匂いも、空の青さも、机の穴も、足で傾けた椅子も、お弁当箱も、こっそり会った深夜の公園も、一緒に眠った互いの部屋も、屋上で小さく笑い合った彼も、重ねた掌も熱も何もかも鮮明に覚えているから。

「こ、こいびと」
「え? もっかい、」
「こいびと、です、」

 思わず飛び出した言葉は、周囲を静かにするにはちょうどよかったらしい。彼らは各々見合って、また三橋の周りで盛り上がりを見せる。

 おお、あえての恋人宣言! 古風だねえでも三橋君っぽいよとりあえずいないって嘘ついてたことはこの後説教だないやそれ八つ当たりでしょもういいからほら飲んで! 飲め! 馴れ初めはその後聞くからな!

 そうしてプレゼントの開封は続き、慣れない酒を飲まされてほろ酔いになった。友達のところに泊まるからと手を振って別れた後、駅に阿部の姿を見つけたからだは一気に熱を帯びる。そうして実感する。指先から頭の中まで、じわじわと。

 あのひとは、オレの、こいびとだ。
 阿部君、は、オレの、こいびとだ。

 いつか皆にも紹介できたらいいな、そんなことを思いながら歩を進めた。





 一通り話を聞き終わり、阿部はふう、とため息をついた。安堵のような、疲労のような倦怠感。どうやら柄にもなく、緊張していたらしい。

「……そりゃまた古風な言い回しで」
「それ、言われた、」
「今時、つかオレらみたいな年代は使わないだろ」
「だって、か、彼氏、とか、」
「いやまあそれは簡単に言えねェけど」

 文句を言いながらも阿部は嬉しそうだった。耳がすこし赤くて、声が上ずっている。だから、怒ってはいない。阿部はフォトフレームを引き出しの上に置いた。それを見た三橋が、ねえ、写真撮ろう、そいで、飾ろうね、そう言って笑うから、阿部は何も言わずにうなずく。とりあえず水谷はぶっ飛ばさずにひっぱたくくらいでいいか。三橋がこんなに笑うのだから。
 何だかんだ言って、結局三橋を甘やかす自分がいる。周りからしたら迷惑この上ないのだろうが、ふたりがふたりでいたいと願うことは誰に責められるものでもないはずだ。

「でも、こいびと、って、いいね、」
「そうか?」
「恋を、しているひと」
「じゃあ三橋君はオレに恋してくれてるんだ」
「……う、ん、」
「……………」
「何で、黙るの、」
「や、……うん」
「………まっか、」
「……うるせェよ、ちくしょー」
「阿部君は、」
「………言わねェぞ」

 顔から火が出そうで、阿部は思っていても口には出さなかった。もう二度と這い上がれないような穴に、オレたちは落ちたんだと。その穴を、きっと恋と呼ぶのだろうと。
 だから、今も、これからも、きみはオレのこいびと。





「三橋、……寝てんの」

 マグカップを片づけて戻ってくれば、三橋はラグに丸まってすうすうと眠っていた。よくもまあこんな狭いとこで眠れるもんだ、と感心して、髪に触れる。
 やわらかい髪を撫でて、そのまま指でくちびるに触れた。規則正しい寝息は、簡単に変わりはしない。

「……レン、」

 名前を、気づかれないように呼んだ。
 近いうちに、プレゼントにして贈ろうか。驚いて、困った顔で、でも嬉しそうに笑うのが容易に想像出来る。そうしたら、自分のことも名前で呼んでもらえるだろうか。そうしたら、もっと近づけるだろうか。きみに。

「おーい起きろー、起きてくださーい」
「……ん、」
「寝るならベッド連れてくぞ」
「う、……ねる、」
「ほら、三橋」

 たとえオレが呼べても、三橋がオレを呼び捨てにするのはまだ先のことだろうな、ふたりで転がるようにベッドへ倒れこんで思う。別に急ぐことではない。ゆっくりと、過ぎてゆくふたりの時間を楽しもう。
 きみは、オレのこいびとなのだから。





20150606/アベミハこいびと宣言
20200813/修正



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