リフレイン



 特別に何かをあげることなんて出来ない。
 だから、誰よりもたくさん、言おうと思った。





 ゆうべ、0時になった瞬間に、メールを送ろうとしてやめた。起きているとは限らないし、起こしてしまったら悪いし、夜更かしをしているのがばれたら怒られるし、メールをする仲でもないし、とにかく色々と言い訳をして、やめた。
 言い訳を考えなきゃいけないくらいに、オレは阿部君をすきになっている、と思う。たぶん、友達とか、仲間とか、それとはもっと違う、すき、だ。
 阿部君は知らない。知ってほしく、ない。知られたら、話してくれなくなるかもしれない。もう捕ってもらえないかもしれない。一緒にいられるだけで嬉しいから、このままでいい。今より遠くなってしまうくらいなら、このままがいい。最近は、そう思えるようになってきた。
 阿部君の誕生日は、土曜日だった。朝から練習だったから、会ったら言おうと思って家を出た。何となく、そわそわする。まるで自分の誕生日みたいに。
 グラウンドにはもう何人かいて、その中に阿部君が見えた。

「おー、おはよ」
「お、おはよう、」

 誕生日、おめでとう。その言葉が、続かなかった。オレがよっぽど変な顔をしていたんだろう、阿部君は「お前いつも通り落ち着きねェなァ」ってちょっと笑う。それだけであったかくなるオレは、ほんとに単純だと思う。そのままもたもたしていたら早く手伝えって怒られて、慌ててトンボを取りに走った。

「阿部ー! たんじょーびおめでとー!」

 そう叫んでグラウンドに飛び込んできたのは田島君だった。それを聞いてみんなの視線が阿部君に集まる。「おめでとう」の言葉が、いくつもいくつも宙に舞う。

「おめでとう!」
「あれ、今日だっけ?」
「おめっと」
「おめでとー」
「おー」
「んじゃあハッピーバースデー歌うか!」
「いーよそんなん、つかこの間やったじゃん」
「んな恥ずかしがらずにさあ」
「黙れ米仕事しろ」

 野球部での誕生日会はもう恒例になっていて、この間泉君と阿部君を一緒にお祝いした。期末テスト前だったからみんなで勉強会をして、ハッピーバースデーを歌って、ケーキを食べた。ふたりともやんなくていいって言ってたけど、最後には笑ってた。オレは、そのときまで阿部君の誕生日を知らなかった。だから、当日に何かしてあげたいって思った、のに。
 ……先に、言われ、ちゃった。田島君と一緒に、言っておけばよかったな。ぼうっと、そんなことを思う。その後すぐにカントクが来て、いつも通りの練習が始まって、結局言うタイミングはなくなってしまった。言いかけて、言えなくて、もやもやした気持ちは、ボールに出る。少なくとも、阿部君には、それが分かってしまうらしい。後で言おう、後で言おう、そうやって言い聞かせて、気持ちを隠すつもりで、ひたすら投げた。





 練習後は、よく田島君といろんな所へ寄り道する。その田島君は、家族で飯食いに行くんだって、すぐに帰ってしまった。みんなでのろのろとコンビニへ寄って、一人減り二人減って、気づいたらオレと同じ方向に帰るのは阿部君だけになっていた。
 二人でいるのは慣れたけど、こういうのはすこし、困る。どうしたらいいのか、分からなくなるから。さっきから頭の中ではずっと「おめでとう」という文字がぐるぐるしていて、でもどうしても切り出せなくて、いまさらのような気がして、何でもないことを話しながら自転車を押した。今日の投球のこと、明日の練習試合のこと。それ以上もそれ以下もない、会話。つっかえつっかえの、会話。言いたいことはいつも、うまく言えないでいる。
 分かれる曲がり角の近くで、歩くスピードをゆるめる。何となく、ふたりして立ち止まった。

「三橋」
「うえっ、はい、」
「あのさ、……」

 阿部君が言いよどんで、何でもない、と続けた。そのままサドルにまたがるのを見て、オレは大きな声を出した。

「あ、べ、くんっ」

 これが最後のチャンスだ。目尻が熱い。ああ、オレはいつでもこうだ。でも、言わなきゃ。言わなきゃ。おめでとうって、言うって、決めたのはオレなんだ。息を吸って、吐いて、切り出した。

「あ、あの、ね、」
「ん?」
 
「たっ、誕生日、オメデトウ」

 いきなり大声でそんなことを言われて、阿部君は目を丸くした。それから、はあって息をついて、笑った。面白くて笑うんじゃなくて、何だか、安心したような笑い方だった。

「……よかった、」

 その言葉に、今度はオレが目を丸くした。よかった、って、何がだろう。

「よ、かった?」
「三橋は言ってくんねェのかと思ってた」
「え、えっ、」

 スタンドを立てて、サドルに手をついて阿部君が言う。オレが言ってないって、気づいてたのか。それより考えなきゃならないことがあるような気がするのに、頭が回らない。「おめでとう」って言った、その後のことは何にも考えてなかった。オレにとっては、そう言うだけで満足だったから。どうしようもなくてもう一回「おめでとう」って言ったら、阿部君は「もーいいよ」って言いながらコートのポケットに手を突っ込んだ。すこしの沈黙の後、目が合う。なぜだか、逸らせなかった。風が葉っぱを揺らして、足元で落ち葉がかさかさ音を立てる。

「……言ってくれんの、期待してたっつったら、お前どうする?」

 期待、何、を。オレに、「おめでとう」って言われるの、を?
 ぎゅっと、ハンドルを握る。もしも、阿部君が、待っていてくれたのなら。ほんとうに、ほんとうにそうなら、オレに出来ることはひとつだけだと思った。

「……い、」
「い?」
「いっぱい、言う、よ」

「おめでとうって、たくさん、たくさん、言うよ」

 特別に何かをあげることなんて出来ない。
 だから、誰よりもたくさん、言おうと思った。
 おめでとう。何度も、何度でも。
 ほっぺたを赤くして、ばかみたいに繰り返す。さんきゅ、小さく呟かれた言葉は、じんわりとこころに入ってきた。そのときの阿部君の顔も、声も、周りの景色も、風の寒さも、こころのあったかさも、オレはきっと忘れない。

「やっと同い年だな」
「オ、オレのが、年上、だ」

 まあ全然年上とか思ってねェけど。阿部君がぼそっと言うから、つられてオレも笑った。阿部君の方がずっと大人っぽくて、頭がよくて、すごい。それを、知っている。誰より、知っている。
 春に会って、夏を越えて、秋が過ぎて、冬になった。もうすぐ、会って一年になる。まだ一年なのか、もう一年なのか。一緒にいられる時間はどんどん減ってゆく。やっぱり、言えてよかった。阿部君の生まれた日に、おめでとう、って。

「……オレ、三橋に言われたおめでとうがいちばん嬉しいかも」
「ほ、ほんとに、」
「うん、ありがとな」
「……ふ、」

 不意打ちの言葉は、たぶん頭のてっぺんからつまさきまでオレを真っ赤にする。マフラーに顔を半分埋めて、にやけた口元を隠す。すきなひとが、阿部君が、そんな風に思ってくれるだけで、叫びたくなる。何て言ったらいいのかも、分からないけど。

「それなら、オレ、も、嬉しい、」
「……今の、どういう意味か分かってンのか?」
「……? ど、どうゆう、」
「さっきからオレは緊張しっぱなしなんだけど」
「な、なん、」

 何で、阿部君が緊張するんだ。さっきからキンチョーしてるのは、オレの方、なのに。そこまで考えて、ふと顔を上げた。阿部君のほっぺたが赤いのは、寒いから、だけなんだろうか。それとも、オレと同じなんだろうか。白くなった息が、黒い空に消える。
 今なら、言えるかもしれない。言ってしまえるのかもしれない。でも、どう言ったらいいか分からなくて、やっぱり怖くて、口を開けない。頭のすみでどくどくって音が聞こえて、視界にマフラーが映る。
 阿部君はそんなおれの様子を見て、ふうと息を吐いた。困ったように、頭をかく。

「や、分かんねんならいいや、」
「あ……あの、ご、ごめ、」
「別に謝ることじゃねェって」

 気長にいくから。
 その言葉にはっと顔を上げたオレに、阿部君は手を振る。んじゃあまた明日、くるっと自転車の向きを変えて走り出す。手ぇ冷やすなよ、うん、また明日、そう言う間に小さくなってゆく影を、目で追った。どんな顔をしていたかは、早くて見えなかった。





 ゆっくり自転車を押しながら、ずっとずっと阿部君の言葉を繰り返していた。おめでとう、期待、嬉しい、緊張、阿部君、全部がぐるぐるまわる。早く帰らなきゃって思うのに、足元がふわふわしてうまくいかない。
 見上げた空はあんまり星が見えなかったけど、いつもよりきれいに見えた。ふわっと吸いこまれるように、白い息が何度も消えた。
 明日、ちゃんとおはようって、言えるかな。





20101213/両片思いあべ誕2010
20200810/修正



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