モノポリー・モノポリー



……キレーな爪、してンなあ、と思う。

「っう、」
「あーわり、もーちょいガマンできっか?」
「へ、平気、だ!」

 爪だけじゃなくて、日焼けし始めた指も手のひらも、ぜんぶキレーだ。マニキュアとか爪みがきしてるとかじゃなくて、まめで堅くなった指先とか、血色のいい短い爪とか、そのものが。たぶん、健康的とか、そんな感じの。
 ……キレーに、させてんだよなあ、と思う。下手すりゃ爪切ってやったりとか、ハンドクリームあげたりとか、手袋しろとか、おせっかいしまくってんだろうな。こないだ、篠岡が「ノートの端にも気をつけさせてるらしいよ」って言ってんのを聞いて正直引いた。三橋はどっかのお坊っちゃんか。箸より重いモン持っちゃいけねえってやつか。

「ほい、取れた」
「おお、」

 ほとんど見えない傷跡をちょっとだけ開いて確認、よし、残ってねえな。三橋はグーパーしながらもう痛くないよ、と上機嫌だ。
 えーと何だっけ、三橋が坊っちゃんて話か。いや、実際ウチはでかいし祖父ちゃんは高校の理事長だし金持ちなんだろうけど、何つーか、そう、カホゴ。過保護すぎる。同級生、それも同性にする態度じゃないだろう。普通、そこまでするかって感じ。そんなん、オレが三橋だったら絶対無理、

「……何してんの、」
「あ、阿部く、ん!」

 一瞬。
 一瞬であいつは三橋の全部をかっさらってゆく。空気がぶわって変わるって言えばいいのか。いいよな、無条件の信頼というか、刷り込みというか、とにかく三橋ン中で阿部はきっと絶対で、主従関係っていうんじゃないけど言うことは全部聞いてる。オレや田島なんかは阿部ウッゼーってなるし実際なってるけど。オレが三橋の手に触れていたのを見て、若干不機嫌そうになった声が、余計にそう思わせるんだろうな。でも三橋は違う。阿部君、ありがとう、ごめんねって、笑う。

「机の端っこのトゲ刺さってさー、指ん中入っちったから取ってたの」
「うわ、いってェやつソレ」
「ご、ごめんなさ、」
「はあ? 何でだよ?」
「あの、み、右手、だから、」
「……ん、ちょい見してみ」
「う、うん」

 阿部の指がやわらかく三橋のそれに絡む。まるで当たり前のように、ふたりの空気が生まれる。すこし頬を染める三橋も、彼の指をコワレモノみたいに扱う阿部も、それには気づいていないみたいだけど。そうして見ると、三橋の手に触れるのは阿部にしか許されていない行為のようで、何かムカつく。どこまで三橋を自分のモノ扱いするんだ、って。もちろん、阿部はそうは思ってないだろうけどさ。

「……な、トゲなくね?」
「あ、えと、も、取れた」
「何だ、じゃあいいじゃん」
「あのね、ハマちゃんが、針持ってて、」
「うん、」
「そいで、泉くんが取って、くれて、ね、」
「へえ、ちゃんと礼言ったか?」
「うお、あ、ありがとお!」
「……おー、どーいたしまして、」

 お前は三橋のカーチャンか。のどまで出かかった言葉を飲み込んだ。三橋が、嬉しそうだったから。昼休みの残り5分か10分の合間に来る阿部も阿部だけど、あいつの顔見た途端、きらきらってなった三橋の目を見たら何も言えねェ。ほんとに嬉しいんだなって、そんなん見てりゃ嫌でも分かる。

「ん? あー、ここか」
「も、痛くない、」
「とりあえず部活までバンソコしとけ、お前忘れそう」
「忘れない、よ」
「……ならいーけど、」

 すこし不満そうな顔をする阿部は、それでも三橋の指を離さない。絡められたそれが何だか恥ずかしくて目をそらした。何つーか……エロい。阿部の触り方が。そう思うのは、こいつらが付き合っていることを知っているからか。
 たぶん、毎日こんな調子で見せられたら、野球部以外にもこいつらの関係は丸分かりなんじゃないかと思う。オレらはさすがに慣れたし、バッテリーが仲いいのに越したことはないし、結局みんなして、ふたりがいいんならいいって放置してる。
 オレ自身は別に内緒にして守らなきゃって気はないし、そんな義理もない。けど、世間体っつーモンがあって、男同士で付き合ってるっていうのはまだおおっぴらに言えないことだってのも理解してる、つもりだ。だけど本人たちはそんなことお構いなしにいちゃいちゃしてるようにしか見えなくて、こっちの胃がキリキリするってこともザラだったりする。何だかんだふたりともが大事だから、こいつらが変な目で見られたりするのはあまりよろしくない。
 ……ま、それを抜きにしても過保護だ。まじで過保護。ちょー過保護。阿部は三橋は自分がいなきゃダメだと思ってるんじゃないだろうか。そんなわけないのに、まるで一緒にいるのが当然のように振舞う。
 指先は確かに大事だ、投手はまして気を遣うだろう。それはよく分かんだけど、どうにも阿部の気遣いはそれを逸しているように見えてしまう。きっと阿部は三橋の頭のてっぺんからつま先まで、ぜんぶ欲しがってるから(たぶんそれは無理なんだけど、そりゃもういろんな意味で)、だからこうしてうざいくらい構うんだと思う。何より周りへの威嚇にもなるし。

「……お、こってる」
「へ、」
「だって、何か、」

 三橋が阿部の顔色をうかがうようにもだもだ口の中で言う。平気だよ三橋、そいつの機嫌が悪いのはオレが三橋にさわったから、そう思いながら見守る。たぶんこれを言ったら図星過ぎて阿部がますます不機嫌になるから言わねェけど。

「怒ってねェよ」
「ほんと?」
「うそ、」
「うそっ」
「じゃない、」
「ど、どっち!」

 阿部がからからと笑う。くしゃくしゃって乱暴に頭を撫でられて、三橋もつられて笑う。まゆげ八の字の、すこし困ったような笑顔。
 問題なのは三橋が受け入れちゃってるとこだ。阿部のそれはもはや独占欲で、オレ以外見んなって言ってるようなもんで、ともすれば教室でもキスしそうなくらいのもん。たぶん三橋が変なとこリアリストだから絶対やれないけど、そんな雰囲気はオレからすればめんどくさいことこの上ない。
 自分を肯定してくれるひとを、大事にしたいと思うのは自然だ。まして三星でのことを考えれば、必要とされるのはきっと嬉しいしキモチイイことなんだろう。あそこにいた最後の方は、あまりいい思い出がなさそうだったし。細かいことを聞くつもりも掘り返すつもりもないし、そんな興味もない。三橋は西浦の投手。それでいい。嫌な思い出を思い出す必要なんかない。自分にも言い聞かせるように思う。おれにだって、そういうのはある。昔の浜田のこと、とか、いろいろ。たかが15、6年くらいの人生の中でも、オレはちゃんと人間をやってきたんだから。

「みはし、」
「うん?」

 部活での休憩中、水道まで一緒に歩きながら話しかけた。帽子をとってうちわ代わり、汗だくの顔をとにかく冷やしたくて水を顔にぶっつける。まさか水分補給まで管理されてねーよな、と聞くと、ふはっ、という声。どうやら、おれの言ったことは彼にとって面白かったらしい。ごくごく、と勢いよく水を飲んで三橋がこちらを向いた。たぶん、オレが何も言わないから変に思ったんだろう。

「阿部のこと、嫌ンなったりしねえの?」
「ど、うして、?」
「や、何つーかさ、……あいつ、すっげえ三橋んこと独占してるじゃん」
「どくせん、」
「んー、少なくともオレらにはそう見える、」

 正しくは、オレには。わざと言葉を濁した理由は、別にない。

「……んー、そう、見える、」

 三橋がオレの言葉を繰り返して考える。

「何、思い当たるコトでもあんの?」
「……あのね、」

 泉君にだけ、教えてあげる、

 三橋はそう言ってくりくりした目をおれに向ける。オレよりもすこし色素のうすいそれは、こっちが戸惑うくらいまっすぐで、どうしたらいいのか分からなかった。けれど、続いた「ないしょ、だよ?」という言葉の誘惑に負けて、そっと耳を寄せる。共犯、上等だ。三橋は口元に手をやって、その内緒話を始める。

「阿部君、ね、」
「うん、阿部が、」
「やきもち、やかないんだ、って」
「やきもち?」
「やかない、って、言ってた、」
「はあ? まじで言ってんの阿部、まじで」

 ありえねェだろそればかかあいつ。
 あの視線とか行動とか言葉とか何がやきもちやかねェだもうやきもち通り越して嫉妬だろあれああそういう意味なら言ってること分かっけど。早口でまくしたてると三橋はびっくりしたような顔をして、それから、ほら、と続けた。

「泉、君、だって、そう、思うのに、ね」

 その瞬間のオレの顔はそりゃあ間抜けだっただろう。
 ぽかん。そう、ほんとうに、ぽかんとした。

「お前、知ってて、」
「だから、ないしょ、って」

 言った、だろ。上目遣いで、三橋は笑った。
 それは、今まで見たことのない、かおだった。オレより大きな目も、下がり気味のまゆげも、やわらかそうな鼻も、すぐにとがる口も、知っていたはずなのに。こんなかおは知らない。こんな三橋を、オレは、知らない。

 独占されることの心地よさを知った三橋のかおなんて、知らない。

「ないしょにしてて、ね」

 そこで、気づいた。同時に、ぞわっとした。
 独占されてるのは、阿部も同じなんだ。阿部が三橋を好きで仕方ねェのは見てるだけで分かってたし、三橋のそれだって知っていた。でもそれは嬉しそうな顔とか、赤いほっぺとか、視線とか、きれいな指先とか見える部分だけで、それは全部本当のことなんだろうけど、見えない部分なんて考えたこともなかった。こいつは阿部の行為をただ受け入れてるんじゃなくて、何というか、ただそうなんじゃなくて知っているんだ。お互いに知っていることと、知らないことと、まるでボタンの掛け違いみたいに。それがどれだけのことなのかも、分かっていない、だろう。たぶん。そんで、幸せそうに、笑っている。お互いが、お互いを、それぞれに想って。
 何だ。何なんだこのふたり。もしも、もしも本当にそうだとしたら、

「いずみ、く、」
「……三橋って、スゲー奴、だな」
「何が、え、?」
「や、ほんとスゲー。何つうんだっけ、こういうの、」
「こーゆー、の、」
「あ、そうだ」

 策士。そう言ったら三橋は、「オレ、歌わない、」と返してきた。そっちの作詞じゃねえやっぱバカかもしんねェわお前、とはちみつ色の頭から帽子を取り上げてぺちんと叩いて走り出す。三橋は一瞬遅れてつんのめるようにして追いかけてきた。その様子を見て田島が「鬼ごっこか! オレも!」と一緒に追いかけてきて、水谷が「鬼だれ、泉? 楽しそー!」と合流、結局三橋はオレに追いつくことなく阿部に「遊ぶなばか! 転ぶだろうが!」って捕獲された。
 もう「ないしょ」を知ってしまったオレは久々に笑いながら走り回って、花井が頭痛をこらえるように「集合!」と怒鳴った時にはわき腹が痛くなっていた。
 水、飲みすぎたな。





 もしも本当にそうだとしたら。
 あの時飲み込んだ言葉を、はあはあと乱れた呼吸で吐き出そうとする。吐き出してしまいたかった。なかったことにしたかった。





 もしも本当にそうだとしたら、勝ち目なんてないじゃないか神様。






20140619/ひみつを知った泉
20200810/修正



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