鼻緒とわたあめ



 今日ってお祭りあるよね、と言う水谷に、そういや今日だっけ、と返す栄口、出店の焼きそばって何でかうまいんだよなあと泉、あー分かる、何でだろうね、と頷く沖、祭りの雰囲気ってあるよなーと笑う巣山、夜外出するって特別な感じするもんね、と西広。我慢できずに目を輝かせて行くしかねェじゃん! なあ三橋! と飛び出そうとする田島を落ち着けと捕獲する花井、うひゃ、と引っ張られたままの三橋をおまえも文句ぐらい言え、と引き止める阿部。西浦高校野球部は今日も平和である。





 とりあえず荷物を家に置いて、祭りに行く奴は正門集合。ただし明日も部活があるんだから適当なところで遅くならないうちに帰宅。はやる部員をなだめすかして部長が出した案は一瞬で可決され、各々があわただしく帰路につく。いつもは騒ぐ田島や泉を見ているだけの花井や西広さえもどことなく楽しそうで、そうこうするうちに残されたのは出遅れた三橋とその腕をつかんだままの阿部だけだった。

「……行くか?」
「へ、」
「お祭り」
「い、行きたいっ、」
「まーたまには遊ばねえとな」
「じゃあ、えと、正門」
「いいよ、迎え行くから」
「うえ、……ど、どして?」

 帰り際のことばに、思わず聞き返した。確か正門で待ち合わせて、みんなで行くという話だったはずだ。夜とはいえ、さすがに通い慣れた学校まで迷うことはない。はず、だ。阿部はひとつため息をつくと、「お前、雰囲気ってもんがあンだろうが」と続けた。はっと気づいたように目を見開く相手に、追い討ちをかけるように言う。

「オレは三橋とふたりで行きたいって言ってンの」
「ふ、ふたり、で、うあ、」
「嫌なら正門集合でいいけど」
「い、嫌じゃない、よ!」

 ふわあ、と顔を赤くして断言する三橋に、阿部も思わず顔がゆるむ。自分たちが付き合っていることは何となく知られているようではあったが、だからといって公言もしていない。それを抜きにしても、この自覚のなさは何だ。からかわれるだとか冷やかされるだとか、でもふたりでいたいとか、そんなことをうだうだ考えて誘った自分がおかしくなる。これでも割と勇気がいったんだけどなあ、と考えながら三橋の頭をなでる。くすぐったそうにする様子にぽん、とひとつ叩いて手を離した。

「じゃあ、帰ったらお前ンち行くから」
「うん、……うん」

 そう言って別れたのが30分ほど前。インターホンを押してすこし待つ。玄関から転びそうになりながら飛び出してきた三橋の姿に、阿部は一瞬目を奪われた。

「……ゆかた?」
「あ、えと、お母さんが、」

 着てけって。……変、だよね、
 言いながら家に戻ろうとする三橋を引き止めて、勢いのまま抱きしめた。腕の中で硬直する彼に、変じゃねェよ、それでいいから、と告げる。どうしてオレは気の抜けた恰好で来てしまったんだろう、今更ながら後悔が生まれた。
 白地に黒の金魚柄、朱色の帯は母親の趣味だろうか。予想外だった。だからこそまずい。まずいというかやばいというか、……意外なほどに似合っている。口に出さない代わりに、頬にくちびるを寄せた。

「あべく、お、お祭り、」
「……おう、行くぞ」

 ともすれば三橋の部屋になだれ込みそうになる自分を何とか抑えて、からだを離す。道中、下駄のせいでいつもより歩みの遅い三橋に合わせると、からころと軽い音が響いた。
 ゆるい風は昼間の暑さが嘘のような心地よさをもたらす。いつの間にか蝉はなりを潜め、代わりに鈴虫がそこかしこで鳴くようになっていた。季節はゆっくりと秋へ移ろうとしているのだろう。

「とりあえずメシ食うか」
「あ、りんご飴、とわたあめ、」
「お前なァ、メーシっつってんだろうが」
「うえ、じゃあ、焼きそば、」
「じゃあ、焼きそばの屋台探さなきゃな」

 お祭り、というより神社を囲う縁日だったそれは、小さいながらも盛況だった。人ごみをぬうように屋台をのぞきこめば、色とりどりのものが目に入る。お好み焼き、からあげ棒、たこ焼き、フランクフルト、空腹のあまり何度となく立ち止まりそうになる三橋をどうにか焼きそばの屋台を探しながら引っ張ってゆく。
 手首を掴んだ左手を、阿部はさりげなく下ろして指を絡めようとした。慌てたように動いた三橋の指は、それでも離れることを嫌がったのかしっかりと握り返してくる。

「手、いいの、かな」
「こんだけ人がいりゃ分かんねって」
「……何か、あべこべだ」
「何が?」
「いっぱい、人、いるのに、……秘密、なのが、」

 手を繋ぐことさえそうしなければならないのは、どこか寂しい。隠れるのはそこまで苦ではないし、どこかで楽しんでいる自分たちもいる。相反する気持ちは、時々こうして顔を出してはお互いを悩ませる。
 幸いこの人ごみなら、たとえ見られてもはぐれないようにしている、と考えてもらえるだろう。ならば存分に見せ付けてやろう、と阿部は思う。付き合って手を繋いで何が悪い、とでも言うように、指先に力をこめた。





 大盛りにしてもらっていたくご機嫌の三橋は、鼻歌まじりにひたすら焼きそばを頬張る。座る場所が近くになかったために、屋台の裏側で立ち食いになってしまった。まあこれも祭りらしいっちゃらしいか、と顔を見合わせて笑う。
 泉が焼きそばと言ったときから、三橋はみんなで焼きそばを食べたいと思っていた。実際、隣にいるのは阿部で、ふたりっきりで、他のひとには内緒で、色々考えていたものとは違ってしまったが、しあわせだった。飲みかけのペットボトルを手渡され、勢いよく飲み込むと「よく噛めっつってんだろ、詰まらせるぞ」と小言が飛んでくる。
 田島や泉から散々構いすぎだと文句を言われているという阿部のことばは、三橋には心地よく響く。しっかりしなきゃ、と思う反面、そうして自分のことを見てくれていることに嬉しさを感じる。それから、すきだなと思う。残りを飲み干してペットボトルを捨てに行く阿部の後姿を、そんな風に見つめていた。
 唐突に、気づく。
 それから、どうしてオレは鈍いんだろう、と目尻が熱くなるのを感じた。泣きそうなのをごまかすように、戻ってきた阿部の手を取って、足を進める。

「あ、」
「ん、どした?」
「こ、こっち、」
「何だって」

 きょろきょろ周りを見る様子に、誰かいたのか、と問いかけられて首を振る。

「あの、……足、だいじょぶか、って」
「へ? そんな変な歩き方してたか、オレ」
「ちがう、違くて、オレ、……全然、気にしてなく、て、ごめ、……ごめん、なさい」

 そう言われて、阿部もああ、と思い至る。夏大で負傷した左足はまだ完治には遠く、だから少し引きずるような歩き方になってしまっている。走れはしないが、今はその必要もないし、ただ人にぶつかったりしなければ特に問題はない。部活でもその姿は見せているし、まさかそれを今更心配されるとは思わなかった。辺りを見回していたのは、きっと座れる場所を探していたからだろう。

「痛かったら言うから平気だって」
「で、も、オレ、すごい、歩いて、」
「今気にしてくれたじゃん、オレはそれ嬉しいよ」
「あべ、く、」
「お前が謝るこたねえから」
「じゃあ、じゃあ、ね、どっか、座ろ、」

 さっきまでの上機嫌はどこへやら、もうあと数秒で泣きそうな、もとい既に半泣きの三橋を、急にいとおしく思った。たぶんいちばんよく見る涙目の表情も、不器用にこっちを気遣う様子も、赤い耳も、汗ばんだ手も、何もかも。耐えろオレ、ここで何かするわけにはいかない。せっかくのデートなんだ、とにかくこいつを笑わせようと、道すがら特大のわたあめを買う。神社の裏にあった石段に座って、まだ何か言いたげな口にわたあめを突っ込んで、やっと三橋に笑顔が戻った。
 餌付けだと笑われるそれは、言い得て妙だ、と思う。もちろん、不本意ではあるが。


「うまい?」
「う、まい、」
「誰も取らねェからゆっくり食え」
「ん、」

 ビニール袋に手を突っ込んでわたあめの塊を口にする様子は、とても先ほど焼きそば大盛りを食べた人間とは思えなかった。よほど嬉しかったのか、時折ふひ、と笑いながら食べ続ける。くるくる変わる表情は、ほんとうに見ていて飽きない。座れたことで足の疲労もすこしは回復してきている。人ごみと違って涼しさが感じられる場所で、一息つけるのがありがたい。

「よくそんな甘いモン食えンな」
「え、だって、おいしい、」
「……あ、そう」

 ざらめの塊じゃねェか、と思いながら三橋の方を見やると、甘い匂いに包まれた。口元に食べきれなかったわたあめを見つけて、阿部は半ば呆れたようにそれを指摘する。

「口、ついてる」
「ど、どこ、」
「右下、あーお前からだと左か」
「んー? ここ、あれ?」
「だあもー全然違ェよ、」
「うええ、だって」

 めんどくせェ、と言わんばかりに、阿部はわたあめをぺろりと舐め取った。突然のことに硬直した三橋の隙をついて、そのままキスを仕掛ける。わたあめの袋が、ぽとりと落ちた。

「う、あべ、」
「ちょい黙れ」
「ん、う、………」
「………うわ、あっま」
「だって、わたあめ、」
「ん、まーいいや」
「だ、だめ、」
「何が」
「……うう、」

 目元にちゅ、と触れて、まだ細い肩を抱きしめる。帯がすこし邪魔だが、この際どうでもいい。ひとがいない場所に来た時点で、割と我慢は限界だった。ことばは大事だと思う。でも、時にはそれ以上のものが欲しくなってしまうものだ。ふうう、ふうう、と息を吐く三橋はもういっぱいいっぱいのようで、思わずはは、と笑ってしまった。

「わ、わら、わ、ない」
「わり、何かお前面白いんだもん」
「おもしろ、く、ない、」
「ん、面白い」

 面白く、ないよ。そう反抗しながら、三橋は阿部の肩口に顔を埋めた。阿部が何か言うたびに、鼓膜がふるえて、くらくらする。人ごみにいた時よりも暑くて、からだの中からじわじわ熱が生まれてくる。誰かに見られるかもしれないのに、顔が熱くなるくらいなのに、離れたくない。こんな風に、誰かを想うなんて初めてだった。……こんなに、すきになっていたなんて思わなかった。汗ばんだ手で、阿部の背中にしがみつく。

「……三橋、」
「……う、?」

 不意に、阿部が動いた。何だろうと思う間にポケットからゴムボールを取り出して、手渡される。

「あっち見て」
「あっち?」
「そう、ボール持って」
「?」
「あの茂み9分割な、そんで、右下にまっすぐ」
「右下、に投げるの、か」
「思いっきりいけ」
「な、何で」
「練習だ練習」

 何が何だか分からないまま、転ばないように投げる。さすがに下駄ではうまくいかなかったものの、阿部の言う茂みに当てることは成功した。途端に聞こえたのは叫び声と笑い声だった。それはひどく聞き慣れた、数人の声。
 陰から順に出てきたのは頭を抱えて飛び出した田島、それを指差して笑う泉と浜田、顔を赤くした水谷と栄口、呆れ顔の花井、顔を上げようとしない沖、既に違う話題に興じる巣山と西広、つまりは野球部が勢揃いした状況である。

「もー何だよ! ボール投げさせるとかまじありえねんだけど!」
「うあ、あ、ごめ、田島く、……あれ、え、あれ?」
「祭りにいるのはいいそこまではいい。何っで覗いてンだお前ら」

 訳が分からないままの三橋はさておき、阿部は腕組みをして仲間を見やる。水谷がここぞとばかりに解説を始め、それに便乗するのは泉と田島、さらには浜田のいわゆる9組連中だ。

「えー? だって正門にふたりとも来なかったしー」
「三橋がお祭り行かないとかないだろってなって」
「じゃあ二人でラブラブデートかよってなって」
「そんなのまじ許せねェって話になってさあ」
「で、デート、」
「抜け駆けすんのが悪いんだろー? なあ阿部ー」
「いや、気持ちは分かるぞ阿部」
「浜田は黙ってろよ」
「ひどっ、オレ一応三橋の幼馴染なのにー!」

 三橋の顔は丁寧な説明を聞くうちにみるみる赤くなる。恥ずかしいやらいたたまれないやらバレてしまった諸々の感情から、浴衣に下駄なのを忘れて逃げ出そうとした途端に足がもつれた。転びそうになるのを抱えてくれたのは西広で、「ごめんね? でも気になったのは本当だよ」と、優しそうな顔で言われたら文句も思いつかなかった。「やっぱり付き合ってたんだなおまえら」と言う巣山に、もはやうなずくしかなかった。そこにオレは聞いてたもんねー!と田島が飛びついてきて、途端に騒々しさが増す。
 おろおろと阿部の方を見れば、いつの間にか水谷の首に腕をかけていた。

「ぎゃははは水谷捕まってやんのー!!」
「やばいやばいまじ助けてえっ」
「お前らまじでぶっ飛ばす、水谷からぶっ飛ばす」
「ねえ何でオレ!? あーもーだからやめようって言ったじゃーん!」
「嘘つけ水谷いっちばんノリノリだっただろ!」
「阿部と三橋がちゅーしてんの超見てたじゃん!」
「ちゅ、ちゅー、見て、」
「そりゃ見るでしょ! あの阿部だよ? 阿部がだよ!?」
「シシュンキだよシシュンキ!」
「だあもーうっせえなあ! オレは何も見てねェかんな!」
「あ、花井逃げんなよずっりいぞ!」
「部長、逃げるんですかあ!」
「ばっ、オレは阿部と三橋が来ねェから心配してだなあ!」
「いいからてめえらまとめて並べ!!」
「大丈夫だ、阿部まだ走れねえから逃げるが勝ち!」
「みーはしーまた明日なー」
「あ、あの、また、明日!」
「だあくそったれ!」
「じゃあねーふたりとも! あとはごゆっくり!」
「三橋に無理させたら承知しねえぞー!」
「こら浜田あ!!」

 泉が浜田の頭をひっぱたく。大きく手を振りながら、ふたりを除く野球部はまさに嵐のように去っていった。肩を落としため息をつく阿部を、まだ熱さの残る声で呼ぶ。

「あべ、く、」
「……あー、明日部活行きたくねェ……」
「……バレてた、んだね、」
「……薄々は分かってただろーけどな」

 抱き合ったりキスしているところを見られたのはいくら何でもないだろうが。三橋はともかく、自分は明日から死ぬほどからかわれるのだと思うと気が重い。
 うなだれる阿部は、そう見えてどこか嬉しそうだった。三橋がTシャツをきゅ、と引っ張ると、ばつの悪そうな顔で手を握られる。

「オレ、阿部くん、すき、」
「……どした、いきなり」
「い、言いたく、なった、カラ」

 繋がれた手を離さないように、三橋は笑った。それを見て、阿部もすこし笑う。散々騒いで帰った彼らは、思ったよりも自分たちの関係をあっさり受け入れたらしい。もちろん本心はどうか分からないが、三橋と仲のいい田島や泉が楽しんでいること、花井が心配してくれていたことも分かった。それに気が抜けた、と言ってもいいだろう。
 明日のことは明日考えるか、と、三橋の頭をなでる。なあに、と問いかけるくちびるに、自分のそれを重ねれば、ゆっくりと三橋も応えてくる。

「さて、と」
「ど、どう、しよっか、」
「お祭りっつったら、あとはかき氷と金魚すくいか?」
「き、金魚すくい、やりたい!」
「じゃあどっちが多くすくえるか競争な」
「勝った、方が、かき氷、おごる」
「言ったな? ゼッテー負けねェ」
「ふ、は!」

 からころ、と音を鳴らして、ふたりはまた人ごみに戻ってゆく。そこで待ち伏せていた野球部に再びどやされ、散々遊ばれた後に全員対抗の金魚すくい大会が開催されたことは、言うまでもない。





20110903/君がいた夏は遠い夢の中ではないアベミハ
20200810/修正



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